第百二話 事件
その日わたしは、薬草学の授業で、見たこともない謎の薬草をすりつぶしていた。
エオル先生から配られたその薬草は、妙なにおいがした。
「この草、湿布のにおいがする~」
わたしは目をしぱしぱさせながら、言う。
「うわっ、すーすーする」
「でもとっても効きそうだわ」
「たしかに薬っぽい。湿布のにおいだし」
すりつぶすと、さらににおいはきつくなる。
その上、手は緑色になるし、腕は痛くなるしで、さすがにわたしは辟易していた。
教室中が、ゴリゴリという薬草をすりつぶす音で満たされている。一種異様な光景だった。生徒全員が、すり鉢に向かって、ゴリゴリゴリゴリ……。
にゃあ介も、
(耳と鼻がおかしくなりそうだニャ)
と、文句を言っている。
薬草学の授業は一番苦手だ。魔法と直接関係ないし、たくさんの植物の特性を覚えなくてはならない。編入試験で出た、オルム草の効能でさえ、わたしは、まだ覚えきれずにいた(何せ、その効能は17もあるのだ!)。
それでも、前の世界で習っていた学校の勉強よりは全然ましだけどね。わたしが習っていた学校の授業は、どこで使うの? っていう知識を、ただ詰め込むだけって感じだった。
その点、覚えれば役に立つ薬草学の授業の方が、我慢が出来る。傷薬や、毒に効く薬、眠り薬、胃薬、一時的に目がしゃっきり冴える興奮薬なんてヤバそうなのもある。
でも、やっぱり、魔法そのものの授業がサイコー!
「早く魔法使いたいなぁ」
魔法の実践授業がある日は、朝からその時間が待ちきれなかった。
それにしても……今日の薬草学の授業、なんだか長く感じる。
エオル先生の指示で薬草をすりつぶし始めてから、もう、ずいぶんたった気がするんだけど。
単調で退屈な作業をしているから、長く感じるのかな。
はあ、とため息をつく。周りを見回すと、何人かの生徒の腕は、すでにぷるぷると震え始めていた。
隣の席で同じようにすり鉢に向かうセレーナに目をやる。
落ち着いて薬草をすり続ける整った顔は、冷静で、何も気にしていないようにも見える。
だがよくよく観察すると、その眉間にわずかにしわが寄り始めているのがわかる。セレーナでさえ、うんざりしてるみたい。
「もう限界! 腕に湿布貼らなきゃ!」
そのとき突然、教室の扉が開き、金髪の女性が顔を出した。
それは、事務のエイサさんだった。
「エオル先生、授業は終わりです」
エイサさんは言った。教室内のみんなが、エイサさんに目をやる。
「どういうことですかな?」
エオル先生が椅子に座ったまま、顔をエイサさんに向けて訊ねる。すると、
「鐘つき機が壊れてしまったようで……」
と、エイサさんは答えた。
自動鐘つき機。わたしは、合格発表の日に、塔に登って整備の手伝いをしたのを思い出した。
ガーリンさんとセレーナと、三人で、油まみれで整備した鐘つき機。
壊れちゃったんだ、あれ。
「ですから、終わりにしてくださいますか。私は、他の教室も回らなくてはならないのでこれで……よろしくお願いします」
そう言うとエイサさんは、あわただしく扉を閉めて去っていった。
エオル先生は、みんなの方に向き直ると、
「みなさん、授業は終わりです」
と言った。安堵のため息が、教室中に響く。
「ようやく終わった……」
わたしがしびれた腕をさすっていると、セレーナがわたしに話しかけてきた。
「鐘つき機、壊れちゃったのね」
「うん、ガーリンさんがっかりしてるだろうな……」
ガーリンさんの、鐘つき機を眺める我が子を見るような目つきを思い出す。
「ちょっと、ガーリンさんのところへ寄っていこっか」
「そうしましょう」
わたしたちがそんな会話をしていたときだった。
教室の外から、大きな叫び声が聞こえてきた。
「火事だーーーっっ!!!」




