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大都会東京

作者: 六月

目を覚ます。年を取ったのだろうか、日に日にはやい時間に起きてきている。目の奥にいにこりを感じながら、ベッドから起き上がり、部屋を出て、廊下をふらつきながら歩く。

洗面台について、顔を洗う。冷たい。こりがうっすら消えていく。顔を拭く、部屋に戻り、スーツに着替える、朝ごはん、はコンビニで買うとする。とにかく、なんとなく、早めに家を出ることにした。

「もう出るんだ?」妻が話しかけてくる。「うん、今日はね。」

「そうなんだ。きょうはこっちに多く来るらしいから。気をつけてね。」

「分かった。うん。」

こうやって、一言だけしか妻に返すことができない。本当に申し訳ないと思う。

「じゃあ頑張ってね。家で待ってるから。」

その言葉を背中で受け止めたまま、玄関のドアを開けた。

 ドアを閉める。周りを見まわすと、妻が言っていたことが理解できた。

「やっぱ多いな。気つけないと。」

舌打ちを1回して、歩き始めた。

 やっぱりこうも多い日は、前に進まないし、歩きづらい。せっかく靴も買ったのだけれど

「おいっ、おまえ。」全く意味がないな「おい、お前だよお前。」下に顔を向ける。「ったく、わかるだろ普通よお、」皺だらけの、スーツであったものを着た男が横たわっている。「引っ張って起こしてくれ。なあ。」ただ見つめる。「おいっ、早くしろよ。」見つめたまま「てめぇっ、無視すんな、おい、」だ「こらっ、起こせっつってんだろ、ガキっ殺すぞウグッ」顔を踏みつける。鈍く唸り、男は黙った。私は踏んづけた勢いを使い、そのまま歩き出す。

その男が騒いだせいで、他の奴等も次々と話しかけてくる。偉そうにしやがって。自業自得だろうが。踏みつけていく。

 疲れた。まだ時間もあるので、そこらのベンチで一息つく。だが、下がこんななので、体育座りをしなければならない。 

東京がこんな風になってから、どのくらいの年月が経ったのだろうか。あの近道をした路地裏も、親友と歩いた通りも、みんな汚い人間が積もり、溢れている。  

休むだけでは暇だから、流れ行く人々を眺めてみることにする。

改めて見てみると、その服装や仕草から、奴らが人間らしさを失っているのが分かる。

力の限り大声を出して暴れる若者。

生きた野良猫に齧り付く中年。

発狂したのか、逆らわず、流れに身を任せる老人。どれも見ていて面白い。

疲れも取れたので、ベンチから降りて、再び歩き始める。少しよろける。あともう少しで会社だ。

「君には会社を辞めてもらいたい。」

え?

「うちの会社も風当たりがきついんだ、」

いやいやいや。

「誠に申し訳ない。」

冗談だろ。

 会社を出る。自動的に歩く速度が上がっていく。動悸が止まらない。息苦しい。何も考えられない、考えたくもない。歩く。歩く。

歩く。歩く。あっ。

ばふ。

転んでしまった。下の奴らがクッションになったので、幸い怪我はない。私の下敷きになった奴らがざわつく。

「痛てえな、何だよ。おい、あいつ踏人じゃねえか。」

「踏人が転んだぞ。」

「肉だ。」

「肉だな。」

「肉だ!」 

「肉だ!」 

やばい、喰われる。

あいつらの汚い手が忍び寄ってくる。鞄からボールペンを取り出す。左腕を掴まれた。右腕を大きく振りかぶる。掴んだ男の顔めがけ突き刺す。絶叫とともに腕の力が軽くなる。他にも掴もうとする手も追い払い、起き上がった。そのままゆっくりと歩き始める。転ばないように、一歩ずつ。あいつらから離れていく。

助かった。安堵感が脳みそ一杯に満たされる。その状態のまま、黒いものが流れ込まないように真っ直ぐ家に帰る。

 インターフォンを鳴らす。夫だとすぐに分かったからか、妻の気分が高揚しているのが階段を下りる足音から伝わった。ドアが開く。

隙間から、妻がにやけながら嬉しそうに私を見ているのが分かる。

「おかえり。」

「ただいま。」

「あ、服が汚れてる。転んだ?」

「うん、ちょっとね。」

「そっか。疲れてるみたいだし、お風呂沸かしておくね。」

「ありがとう。」

部屋に戻る。ベッドに倒れこむと同時に、抑えていた黒いものが頭にどっと溢れ出た。それは徐々に姿形を変えながら、やがて不安となり、それ以上は変化しなかった。

これからどうすればいいのか。妻に何と言えば。もし仕事先を見つけられなかったら。

嫌だ。あいつらになんかなりたくない。なりたくない。なりたくない。なりたくない。なりたくない。なりたくない。なりたくない。

「お風呂沸いたよー。」

「ん、あっ、うん、分かった。」

さっぱりして身も心も整えてから考えよう。

それからだ。

 ダメだ。頭が全くスッキリしない。部屋に戻る。考えよう。まずは、妻に言わないと。それからどうするか話し会おう。よし。リビングへ向かう。ドアを開けると、妻が料理を作っていた。

「あがった?」

「うん。」

「じゃあ私も後で入るね。ごはん一緒に食べよ。」

「うん。」

「どうしたの?顔が暗いよ。なんかあった?」

「あっ、えっ、」

言わなければ。言わなければ。言わなければ。

「いや、何でもないよ。」

「えー本当に?絶対嘘だ。」

「本当に、何も、ないから。」

「そう。じゃ、食べよ。」

「うん。」

私はクズだ。

目を覚ます。また早い時間に起きてしまった。だが、今日はしっかりと目覚める事が出来た。こりもない。ベッドから降りて、部屋を出る。廊下を歩く。驚くほど冷静だ。

洗面所についた。鏡を見る。自分の顔が写っていた。顔は洗わず、部屋に戻った。

 クローゼットを開ける。スーツが掛かっていた。暫く見つめ、そして着る。

とにかく、早く家を出なければ。そう思った。

今日は奴らは少なく、普通に歩くことが出来た。だからといって、何処に行く訳でも無い。しばらくは何も考えず、訳も分からずただ彷徨うだけだ。

ふと我に返る。辺りはもう暗くなり始め、私は公園の真ん中に佇んでいた。どこだここは。とりあえずブランコに座ることにした。

私は何をやっているのだろう。こんな事をしている場合じゃないのに。うなだれる。すると、視線の先に一人寝転がった老人がいた。

近寄っていく。

「すいません。」

「あの、すいません。」

「んあ。ん?誰?」

「あっ、すいません。」

「あ、お前、踏人だな。なんの用だよ。」

「いや、寝ていらっしゃたんで、大丈夫かなと。」親近感を感じてなんて言えない。

「嘘つくな。俺が大丈夫じゃないことぐらい分かるだろ。」

「あっ、すいませんっ、すいません。」

「それよりお前、こんな所で何してんだ。」

「会社の帰りですけど。」

「夕方5時に帰れる会社員がどこにいる。」

何も言えない。

「まあいいや。ところで、ちょっと飯をくれないか。ここ三日何も食べてないん」

走り出す。

公園を出る。走る。走る。走る。向かうは妻の待つ家へ。言わなければ。やり直さなければ。走る。走る。走る。

家が見えてきた。もうすぐだ。ドアを開ける。鍵はかかっていなかった。階段をあがる。早く、早く。

リビングに入る。少し驚いている妻がいた。

「ただいまっ。」

「うん、おかえり。」妻の顔色が暗い。

「どうしたの?」

「今日、区役所から手紙が来てね、」そう言って開けられた茶封筒を渡してきた。中に入っている紙を見る。

 宮崎 俊雄 彩良様

あなた方を下方平民に任命することになりました。従って、下記の時間に職員がお迎えに上がりますので、ご待機の方をお願いいたします。

時間 明日の午前十一時頃

膝から崩れ落ちることもできない。

「ごめんな。ごめん。」

やっとの思いで言葉を出した。涙が溢れ出る。遅すぎた。何もかもが。

「あああ、ごめん、ごめんなっ、あああっ、ごめん、ううっ」妻は黙ったままだ。言葉も出なくなった。ただ震えている。妻が言葉を発した。

「前から気づいてはいた。近所の人からね、あなたが会社に行かずにいつも同じ公園にいるって聞いたわ。」黙ることしかできない。

「でも、それ聞いて私嬉しかったの。」

顔を上げる。妻は笑っていた。

「だって、あなたが行っていたその公園、あなたが私にプロポーズしてくれた場所じゃない。」ああ、そうだったのか。

「私ね、あなたはもう私のこと好きじゃないと思ってた。まだ私のこと思ってくれたんだね。ありがとね。」その言葉を聞くと同時に、また涙が流れた。私は、なんて美しいものを失ってしまったんだろう。

妻が私を抱き寄せる。私はその腕に抱かれたまま、まだ泣いていた。

午前十時五十分。私たちはリビングにいた。二人とも言葉は交わずにいる。恐怖という感情はない。妻も多分そうだろうと思う。

インターフォンが鳴る。妻が出ようとしたので、

「僕が出るから。」

と言った。妻が微笑む。

 ドアを開けると、少し若い男2人が横に並んで立っていた。

「失礼します。私たち○○区役所の長谷川と水谷と申します。お約束の通り、お迎えに上がりました。」

 妻を呼ぶ。返事ののち、妻が階段から降りてきて、男達に丁寧に返事をした。そのような反応を見るのが初めてだったのか、男たちは怪訝な顔をした。

「では、車で送迎いたしますので、あちらの方へ進んでください。」

私たちは向こうに停めてある白のボックスカーへ進み始めた。

 不意に、妻が私の手を握ってきた。私も強く握り返した。絶対に離さない。

車に乗り込む。男の一人が手馴れたようにわたしたちを乗せ、自分も乗り込み、車は発進した。手は繋いだまま。

車が止まる。ドアが開き、男が降りるように言った。私たちが降りると寡黙な方の男が、

小さな箱を重たそうに運んできた。

「ではですね、こちらにあります、腕輪と足かせの方をですね、御二方に付けさせてもらいます。では失礼します。」

 そう言って私たちの両腕と両足にその鉄の腕輪をはめ始めた。手がこんな感じなので、随分やりにくそうだった。

「はい、ではスイッチ入れますね。じゃあ急に来ますからね。いきますよ。はい、」

と男が言った瞬間に、両手に物凄い重量がのしかかった。二人とも地べたに倒れ込む。動けない。私たちを男二人が運んでいく。しばらくして、奴らの上に投げ落とされた。   無数の手足が当たり、揉まれながら、私たちは流れていく。まだ繋がっている。絶対に離すものか。絶対に。痛っ

ふっ。

手にあった感触が消える。必死でかき分ける。見つからない。

 汚い身体が覆いかぶさり、視界が遮られていく。私は何もせずただ沈んでいった。



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