第五章 しおれた葉っぱ
伴奏を頼まれてからおよそ2週間。
今日から2パート練習が始まる。
今までは、ソプラノ、アルト、テノールに分かれて練習してたけど、2パート練習はソプラノとアルトとか、アルトとテノールで合わせる練習になる。
嶋田先生からは昨日、
「伴奏できるんだったら明日から入って」
って言われた。
実際、祐希と何度か練習したおかげで、伴奏できるクオリティにはなっているから、やってもいい。
だけど、まだ皆の前で弾きたくない。
ーはぁ。
自分のうじうじした性格が嫌になる。
ため息をついて、辺りを見回してみると、いつも以上に廊下が騒がしいことに気づいた。
「おい、あれ、なんか怒ってねぇか?」
「なんかものすごい殺気を感じるんだけど」
どうやら誰かが先生を怒らせたみたいだ。
そんなことで騒がしくなるなんて、よほど珍しい人が激怒したんだな、ってこのときは思ってた。
後ろの席から拓の呟きが耳に入ってくるまでは。
「真…」
ーえ、うそ?
学校では女子にちやほやされ、アイドルスマイルで話している姿しか見せることがないイケメンが…めっちゃ怒ってる。
さすがの取り巻きらしい女子たちも、今日は話しかけられない様子だ。
「あいつが怒るって、何があったんだよ」
「さぁ…」
騒いでいた男子の声がどんどん耳に入ってくる。
ードンっ!
隣のクラスからバックを乱暴に置いた音が聞こえた。
「うわ、あれたぶん真が置いた音だぜ」
「よほど何かがあったんだ」
ー相当お怒りだ。イケメン王子様は。
「おい」
小さいけれどすごく怒気を帯びた声が後ろのドアから聞こえる。
「なんかあいつ、うちのクラス来たぜ」
「このクラスの奴か?お怒りのげんい、」
「青野琴葉、いるか?」
ーは?私⁇
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ータン、タン、タン
ーダン、ダン、ダン
二人分の足音が音楽室前の廊下に響いてる。
今はまだ朝の会が始まる前だから、誰もここにはいない。つまり、二人きり。
ーこのシュチュエーションって、ファンが見られたら私殺されるかも…
そんなことを考えてたら、急に真が振り返った。
「おい、お前、伴奏引き受けたこと、納得したんじゃなかったのかよ」
「…は?」
「っ!これ見ろ‼︎」
真が突き出した紙には、昨日わたしがステータスメッセージに書いた文章が印刷されていた。
「これ…」
ーえ?真って、LINEの「友だち」になってなってないから、これは見れないはず…
理解不能な出来事に、自然に声が震えた。
「これ、お前のクラスの美津井が読んで、心配になって俺に回してきたヤツだ」
なんと、犯人は拓だった。
思いがけない人に、まばたきをすることさえ忘れてその紙を見つめていた。
「『新しい依頼。素直に嬉しいし、頑張りたい。でも、それと同じくらい、怖い。』ここまでは、わかる。俺も経験済みだ。だけど!」
そこから真の怒りがさらに大きくなったのが声でわかった。
「『なんで私なの?私よりももっと上手な人、もっといるはず。私なんかじゃ、務まらないよ』ってなんなんだよ、これ‼︎せっかく選ばれたのにやりたくないみたいだろ、これじゃ」
ここまで一気に叫ぶと、真は少し息切れしていた。
「どうなんだよ…」
「…」
「なんとか言えよ!」
真のいつもの姿からは想像もつかない剣幕に、私は不意に嗚咽が漏れそうになるのをこらえた。
「俺はな、」
落ち着いたのか、真がさっきとは打って変わって静かな口調で話し始めた。
「俺は、やってもいないのにすぐ、できないとか、やりたくないとか言うヤツが本当に見ていて嫌なんだよ。なんでもやってみりゃいいじゃん。少しくらい失敗したって、主役じゃないんだからあんまバレないだろ?」
同じ伴奏者で経験豊富だからか、はたまた元の声がイケボだからなのかはよくわからない。
ただ、真の言葉がスッと胸に入ってくる。
「お前は物事を重く捉えすぎなんだよ。もっと楽に考えてみろよ。伴奏って、ほんとに楽しいんだぜ?大人数が頑張って歌ってる裏でもっとその歌を盛り上げてる。それってなんかすごいことじゃねえか?」
ー伴奏は、楽しい。
そうだ。その気持ち、今まで忘れてた。
初心忘れずべからず。
その本当の意味がやっとわかった。
「確かにお前よりピアノがうまい人はたくさんいる。D組の前田とか、C組の神ノ内なんかは格段に俺より上手だと思う。
だけど、お前と俺は伴奏者賞をとったんだ。
ピアノコンクールで賞を取ったんじゃない。伴奏で取ったんだ。
だから、伴奏だったら自分が一番うまいって自信持てよ」
心のしおれていた葉っぱに水がかけられたみたいだ。
私は、悪夢から覚めたような気持ちで、気がつくと目から涙が溢れていた。
―キーンコーンカーンコーン―
「うわ、朝の会始まっちまった。
俺先に行くから、きちんと泣き止んでから教室行けよ。それと、」
正面に立っていた真がすれ違い様に私の方に手を乗せて、囁いた。
「伴奏で一番うまいのは、俺だから」