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第八巻 第3章-第4章間 251.5ページ

 真夏の太陽が、白い砂浜を焦がさんばかりに強く照りつける。どこまでも続くコバルトブルーの海は水平線で空の青と融け合い、その境目を曖昧にしていた。普段であれば騒がしい海水浴客が大勢押しかける所だが、まるでプライベートビーチのように静まり返っていた。ただ、打ち寄せる波に流されながらはしゃぐ少女の喚声だけが潮騒に混ざって響いていた。

 物語の始まりの地でもあるグランスから見れば、ちょうど地球の真裏に当たる場所、エラッド地方。ここはリゾート地として栄えているだけでなく、同盟軍の有する最新鋭の研究所と人機の組み立て工場が立ち並ぶ、まさに彼らにとっての生産拠点でもあった。

 宇宙船ライト・アロー号がこの地に停泊したのは、同盟軍の英雄と称されるフェニックス隊の若きエース、クラウス・アルカディアが使う手筈になっている、現時点で言えば銀河系最強とも言える超高機動人機エルヴァイル・アルティメイタムを受領するためだった。そのついでに同盟軍のなんでも屋と称されるアンダードッグ小隊のメンバーが載っている機体も最新鋭とは言えないまでも、現行モデルの中ではハイエンドクラスの人機へ乗り換える事になった。

 細かい調整を待つ間、連戦に次ぐ連戦によって疲れた体を休めるため、大いに羽根を伸ばし、一部の人間は大いに羽目をはずしていた。アンダードッグ小隊の面々はフェニックス隊やシルバーウルフ隊との交流もそこそこに、幕間空間で五人水入らずでの短いバカンスを楽しんでいる所だった。


「楽しいなー楽しいなー! こんな広いプール、上には無いもんなー! おーい! ゆーちゃん、すごいよこれー! めっちゃ流れてるー!」


 飾りっ気の無い紺色のスイムウェアに身を包んだアリサは、引いていく波を蹴立てながら海から上がると、デッキチェアに腰掛けていたユウへ手を振りながら呼びかける。ユウはと言うと、派手なビーチパラソルの陰で強烈な日差しを避けつつ、寄せては返す波をぼんやりと眺めていた。声をかけられた事に気付くとユウは手を振り返し、やおら椅子から立ち上がるとアリサのもとへと駆け寄った。


「海を満喫出来ているようで、何よりです。あまり遠い所まで行くと帰って来れなくなってしまいますから、注意してくださいね」

「はーい! でも幕間空間で死んじゃったらどうなっちゃうのかなー……ちょっと気になるね」

「いくら本編側と物理的な相互作用が無いとは言え、危険である事には変わりない訳ですから、むやみに試したりしないでくださいね。……しかし良かったですね、どうにか水着を確保出来て。まさかこんな事になるとは思っていませんでしたし、全く用意していませんでしたからね」

「だよねー、アリサなんか私物とかお洋服くらいしか無いからねー」

「中尉の能力で水着やパラソル、他にもいろいろ取り揃えて頂いたお陰ですね」


 アンダードッグ小隊の一同がこのビーチに呼び出された時、遊ぶ用意を何一つしていなかった部下の為にジョージが浜遊びに必要になりそうな資材を一式用意していた。それらは今も、ユウが先ほどまで休んでいたビーチパラソルの近くに山のように積まれている。


「たいちょーが『女の子の水着よく分からないから』って手当たり次第バンバン持ってきたのはちょっと困ったけど、本当おかげさまさまだよー、大満足ー! ゆーちゃんも後でもっかい……えーと、海だっけ? これに入ろうー」

「ええ、構いませんよ。でも……本当にそれで良かったんですか? もっとデザインの良い物もあったでしょうに」


 ユウはアリサの水着があまりにも地味である事を指摘した。それはここよりさらに東の島国で水泳の教育を受ける際に着用が義務付けられている水着であり、胸の部分に名前を書くための白い布が縫い付けられていた。そこには本の向こう側の世界で使われている文字でアリサの名前が書かれていた。たどたどしく書かれたそれは、彼女がジョージに強く要求した物だった。


「いいのいいの、これしっかりしてるし凄く動きやすいからねー! たいちょーが名前書いてくれたしねー!  ゆーちゃんこそ、それ大丈夫なのかなー? 水がざばーって来たら流されたりしない?」

「うーん……男としての自分はとても危機感を感じているんですけど、多分大丈夫かと……」


 布地の面積が少ない自分の水着のチェックをしながら、ユウは困惑気味に答えた。彼女が身につけた真紅のビキニは左右の腰で紐を結わえる形状になっており、その結び目がどうにも気にかかるのか念入りに何度も結び直していた。


「あれ? 普通のパンツに紐結んだだけの奴じゃないの? それめんどくさい方だねー、何でそれ選んじゃったのかなー……でもさ、女の子よりも男の子で生きてきた時間が長いのって大変だねー、慣れた?」

「いや、それは……今でも時々、お手洗いとかお風呂に行くと混乱します」

「でもゆーちゃんとして生きてきた記憶もあるんでしょ? どうなのかなー、そこんとこ」

「皆さんがどういう感じなのか分からないですけど、ユウ・クサナギとしてのパーソナリティはちょっと薄いんです。やっぱり幕間空間での記憶の方が上位に来るからでしょうか、ユウにエミリオが取り憑いてる感じです」

「あー、そっかー。元々無口な性格って設定だったもんね、こんなにおしゃべりしてるけど……ちなみにゆーちゃんはどんな喋り方だっけ? 前に一回向こうでお話しようとしたら無視されちゃったもんなー」

「……」


 ユウは口を真一文字に引き締め、アリサの目をじっと見つめていた。先ほどまでの優しく穏やかな目つきではなく、敵意こそ無いにせよ非常に鋭い物だった。


「おーい」

「……」


 アリサはユウの気を引こうと彼女の目の前で手を振ったり、柔らかい二の腕をつまんだり、ボリューム感をあまり感じさせない胸を突っついたが、まるでロボットか何かのように表情一つ変えずにアリサを注視していた。


「ゆーちゃーん、アリサとおしゃべりして欲しいなー」

「御意」


 短くユウが答えると、分かったと言わんばかりにアリサは手を打ち鳴らした。


「なるほどー、そういう奴かー、本当に喋らない奴かー……てっきり嫌われちゃったかと思ったよ」

「でしょう? ですので、こちらでは根っこは半分エミリオの気持ちで話してます」

「アリサもその方がいいなー、喋ってくれないと困っちゃうもんねー。女の子同士仲良くしようねー……ん、女の子同士って事でいいのかな……?」


 他愛も無い話に花を咲かせていると、ユウが波打ち際を自分たちの方へ歩いて来る二人の男女に気付いた。花柄のシャツと白い短パンの男は二人もよくよく見知ったカルロスだったが、真っ白なサマードレスと麦わら帽子を乗せた長い金髪を浜風に踊らせ、不機嫌そうな顔を引っさげて大股で歩いてくるその女性を二人はついぞ見たことが無かった。


「……あら? あの方はどちら様でしょうか?」

「おー、なんかすっごい綺麗な人だねー……でも怒ってるね、なんでだろ?」

「さあ? カルロスさんがちょっかいを出しているからでしょうか?」


 ユウの見立て通り、カルロスはその謎の女性を口説いているようだった。女性の横を同じ歩幅で歩きながら、女性の顔を覗き込むように声をかけていた。


「なあ、お嬢さん。さっきから何度も言ってるけど、どうかな? 一緒に遊ばない?」

「……」

「つれない態度だなあ、笑ってごらんよ。可愛い顔が台無しだよ?」

「ふんっ」


 何も答えない事を良い事に女性の肩に手を回したカルロスの脇腹に、女性が思いっきり力を込めた肘鉄を叩き込んだ。気の抜けていた所へ急襲をもろに受けたカルロスはその場に倒れ込み、咳き込むように空気を吐き出した。ようやく落ち着きを取り戻したカルロスは倒れ伏したまま、女性を見上げて睨みつけた。


「いっ……てえな! 何しやがる!」

「僕が誰か分かってないとか、その目はピンポン玉でも入ってるのかな? ん? どうなんだろうね? カール?」


 女性は麦わら帽子と長い髪に手をかけ、思い切り地面へ投げつけるとカルロスの襟を掴んで持ち上げた。顔は女性用のメイクが施されてはいるが、髪の長さや声からその女性がアルバートである事が辛うじて認識出来た。


「お前……お前、もしかしてアルなのか!? どことなく触った時のごつごつした感じが女には思えねえなと思ったけど……まさかお前だったなんて」


 カルロス達のやり取りを見ていたアリサとユウが二人に駆け寄った。ユウは倒れたままのカルロスを抱え起こし、アリサはアルバートの顔や体をぺたぺたと触りながら感心したようにため息を吐きながら声をかけた。


「はえー、これアルるん先輩なの? なになにどしたの、バッチリ決めちゃって……もしかしてそういう嗜好持ちかなー?」

「そんな訳あるか! フェニックス隊のシェイラにとっ捕まってこんな格好させられたんだよ! 向こうで出番作ってまでやる事かよ! 下着まで取り替えるとか頭おかしいだろ、あいつ!」


 無遠慮なアリサの問いに対し、アルバートが半ば八つ当たり気味に畳み掛ける。アリサと話しているうちに自分が体験した事を思い出してか、彼の顔は次第に青ざめ、目には涙が滲んでいた。しかし、三人はそんな彼へ更なる追い打ちをかけていく。


「え、何、あそこの隊そんなおいしい……えっと、爛れた趣味の人がいるの? わー、アルるん先輩かわいそーだなー」

「しかし本当に良く出来てるなあこれ、もう俺アルでいいかも知れん」

「誰々でいい、と言うのは失礼にあたりますよ、カルロスさん。しかし……本当に良く出来てますね。男だと言われても俄には信じられませんね。このままでもいいのでは? 十分かわいいですよ」

「僕が死んでも嫌だよ!」


 海の向こうまで届いてしまいそうなくらいのアルバートの絶叫がビーチに響き渡る。それで張り詰めていた気が切れてしまったように、アルバートはそのまま白い砂の上で膝を抱え込み、ふさぎ込んだ。


「本当もうやだ、彼女に顔向け出来ない……」

「そんな『お嫁に行けない』みたいなノリで言われてもなー……別に気にしなくていいんじゃない? 彼女さん設定資料集に名前も無いんでしょ? 出て来るかどうかも怪しいよー」


 傷心のアルバートへさらに無遠慮なアリサの言葉が突き刺さる。アルバートはそのままうつ伏せに倒れ込み、熱く焼けた砂を握りしめた。


「うう、それ言われると本当辛い……カールの妹のエレナちゃんみたいに名前くらいあっても良かったのになぁ……」

「随分騒がしいと思って来てみたら……皆、思い思いにバカンスを楽しんでるようで何よりだ」


 女性陣の後ろからひょっこり現れたのはジョージだった。カーキ色のTシャツに迷彩柄のカーゴパンツを身につけたその姿は、逞しい体つきも相俟ってリゾート地であっても兵士としてのオーラを放っていた。その手には釣り竿が握られてはいるものの、クーラーボックスの類はどこにも見当たらなかった。アリサはくるっと振り返ると、ニコニコと笑顔を浮かべながら彼の釣果を調べるために周囲を回りながらじろじろと眺めた。


「あ、たいちょーだー! どうかなどうかな? おさかな釣れたかなー? あれー? おさかなどこにもないよー? 釣れなかった?」

「ああ、一匹も釣れなかったよ。そもそも魚を釣る事が目的ではないからな。水面に釣糸を垂らしてウキを見ているだけでも、それはそれで心が落ち着くモンだ。……ただでさえ気がかりな事があるからな」


 アリサの執拗なボディチェックに苦笑いを浮かべながらジョージは銃口を突きつけられた兵士のように両手を上げる。


「前回おっしゃった、大虐殺……ですか?」


 ジョージはシリアスな面持ちで尋ねてきたユウに視線を送って一つ頷くと、大きく手を叩いてから明朗な声色で皆に呼びかけた。


「よしお前ら、やりたい事は全部やったか? まだ何かやりたい事はあるか?」

「私は中尉のお傍にいられれば、何でも構いません」

「海で泳いだし大満足ー! 本当言ったらばーべきゅー? とかはなび? とかもやってみたかったけどねー」

「さすがに幕間空間でナンパは難しいからなあ、俺も大丈夫ッスよ」


 各々笑顔を浮かべて満足そうに答えたが、一人だけ例外が居た。むくりと起き上がり、恨めしそうな顔をしているアルバートだ。


「一刻も早く元のノリに戻りたいです、すぐにでも!」

「……ああ、そうか。災難だったな、アルバート。フェニックス隊のシェイラは、その……お前に女装をさせる為にわざわざ用意されたキャラみたいだしな。慰めになるかどうか分からんが、この巻だけの出番らしい。……よし、じゃあ楽しい楽しいバカンスはおしまいだ、ほら」


 ジョージが指を鳴らした瞬間、太陽が燦々と降り注ぐビーチが宇宙船ライト・アロー号のブリッジに、全員の着衣が同盟軍のパイロットスーツに変容した。アルバートに施されたメイクも綺麗に落とされ、ジョージの持っていた釣り竿も消え失せ、無骨で殺風景な巨大スクリーンの前にいつも通りの姿の面々が立っていた。


「良かった……良かった、あのままだったらどうしようかと……」

「しかし短い休暇だったなぁ、服くらいはゆったりしたのを着たいッスよ」

「シャワーくらいは浴びたかったのですけれど……仕方がありませんね」

「おおおお、凄い! 早着替えかなー! アリサもその指ぺちーんってやる奴やってみたいなー……どうやって鳴らすのかなー」


 各々が好き勝手に喋っている所にジョージが大きく咳払いをし、雑談の自粛を求めた。


「これから起こる出来事を先に伝えておくぞ。……アガルタが地上に墜ちる」


 ジョージが告げると、その場がしんと静まり返る。やがて、その沈黙を破るようにアルバートが挙手をして発言した。


「アガルタって、こないだまで僕達がいた……地球から一番近いスペースコロニー群の?」

「ああ。とは言え、全部が全部地上に降り注ぐ訳じゃない。最初期の頃に研究目的で作られた、比較的小さめの奴が一つ、落ちてくる」

「じゃあ残りのコロニーはどうなったんですか?」

「跡形もなく消滅した」

「消滅!?」


 衝撃的な一言に一同驚きを隠せない様子で互いに顔を見合わせてささやき合っていたが、カルロスが一歩進み出てジョージに問い詰めた。


「じゃ、じゃああそこに居た奴らは一体どうなったんスか!?」

「恐らくは、全滅だろう。本の描写を読むと、どうにも逃げられた気がしない」

「誰が死んだかとか、そういう情報は無いんスか?」

「いや、そこまでは分からない。その辺りは次巻になるだろう」

「しかし一体どうやって……ブラックホールに飲まれた訳じゃあるまいし」


 ジョージの指を鳴らす音が艦橋に響いたかと思うと、次の瞬間には文庫本が彼の手に握られていた。彼はそのページを後ろの方からパラパラと読みながら説明を始めた。


「帝国軍の最終決戦兵器とでも言えばいいのか、とんでもなくデカい移動要塞にやられたようだ。前に言ったと思うが、火星に近いホウライが壊滅したのもコイツが原因だな。名前はヴェッグ・ドルスと呼ぶそうだ。帝国の初代皇帝が使っていた剣がそんな名だったそうな。見た目は少しダサいんだが……ほら、こいつだ」


 文庫本を皆に見えるようにひっくり返すと、そこには宇宙に浮かぶ立方体が描かれていた。しかしその周囲には人機や戦艦等の細かい描き込みがあり、立方体の大きさの異常性を表していた。中央にはサイコロの一の目よろしく大きな穴が開いており、メカニカルな描写のせいでその穴もロケットエンジンか砲門のようにも見えた。しかしアンダードッグ小隊の面々にとっては、緊張感を持って受け止める事の出来る物ではなかったようだ。どこからか失笑とも取れそうな鼻で笑う声が聞こえる。


「なにこの……サイコロ? あ、そうだ、ボードゲームやりたいなー! 今度みんなでやろうねー」

「確かにこれはダイスにしか見えないッスね、あんまり緊張感を感じない形してるッスけど、そんなにヤバいんで?」

「ああ、こいつがとんだ食わせ物でな。中には高性能な人機がわんさか積まれている。しかしそんなのは序の口で、一番ヤバイのはこのでっかい穴……実はこれ、ビーム砲門なんだよ。こいつを撃たれたら戦艦どころか、小さめの衛星一つくらいなら軽く吹き飛ぶぞ。まあ、その分エネルギーもバカみたいに食う訳だが」

「再充填にどれくらい掛かるんですか?」

「ああ、えーと……この文脈から察するに、おおよそ十日くらいだろうな」

「そんなにかかるんですか、これ!?」

「衛星一つ消し飛ばすビーム砲を五分やそこそこで連発されたら堪ったものではないからな。まだマシだろう?」


 ジョージは本を手近な机に置くと、四人を見回した。そしてやや声のトーンを落とし、深刻そうな声色で皆に語りかける。


「これは俺の想像だが……同盟軍としては、これ以上の被害を生む訳にもいかないだろう。我々を含めた残存兵力を結集してヴェッグ・ドルスの破壊に向かう事になると思っている。さっき読んだ限りでは、帝国軍もこの移動要塞による同盟軍の掃討を国家存亡のかかった戦いと認識しているようだ」

「なんかクライマックスって感じがするねー! アリサついこないだ混ざったばっかりだからちょっと物足りないけどー」

「そうだな、第六巻から合流した二人からしたら割と早いクライマックスかも知れないな。だがまだその心配をするには早い。生きて地球から脱出出来るかどうか、だな」

「第九巻、危険巻……ですか」

「具体的にどう危険なのかは、現時点ではまだ分からないが……地球に駐留している帝国軍の兵力がこの地に集結しつつある。シルバーウルフ隊と地球に降りているフェニックス隊、あと残念な事に我々アンダードッグ小隊もマークされている。奴さん、どうあっても我々……と言うよりも、クラウス一行を宇宙へ逃したくないらしい」

「上の被害も分からないし、大きく動く事になりそうですね」

「先に気をつけるべき事を伝えておくぞ。出過ぎない、見捨てない、一人で対処しないの三つだ」


 ジョージは三本の指を立て、その一つ一つを折りながら説明する。


「油断したり恐怖心に負けて、集団を離れて逃げる奴は真っ先に死ぬ。集団から離れるな。女性陣は何故か重要な所で靴紐を踏んだり、滑りやすい物を踏んで転んだり、体力が尽きて倒れたりする。男性陣は倒れた仲間を置いていく事の無いよう、周囲に気を配りながら逃げる事。ちょっと遅れたくらいなら十分挽回出来るからな。……そしてこれが一番重要だ。何かトラブルが発生した場合、他人を逃がす為に自分一人で対処しようとしない事。昔は自分を置いて先に行けと命令する事が生存フラグになるパターンの方が多かったが、昨今は生存フラグにならない場合もあるからな」


 滔々と説明するジョージの顔から、皆視線を外せずにいた。あの楽天家のアリサでさえ、シリアスな表情で時折頷いてはジョージの指示をしっかり理解しようとしていた。


「……と、今詰め込んでも忘れてしまうかも知れないからな。詳しい話は、また次回にしよう。皆、自分自身の行動が取り返しのつかない物になるかも知れないって事をしっかりと肝に命じておくように」


 皆一様に暗い面持ちでブリッジを後にする。ジョージは彼らに背を向けると、ぼんやりと巨大なモニタを眺めながら胸ポケットからタバコとオイルライターを取り出した。ジョージはタバコを咥えたままで少し錆びついて開きにくくなったライターの蓋を開けてフリント・ホイールを何度も回すが、何かの擦れる音がするだけで火花が飛ばない。ジョージが怪訝そうな顔でライターを見ると、火花を飛ばすはずのフリントが摩耗していた。ジョージが軽く舌打ちをしてライターを胸ポケットに戻そうとした所で、横から火の付いたライターが差し出された。


「はい、中尉」


 差し出した手の主はユウだった。ジョージはその顔をライターの方へ持っていきタバコに火を付け、深くゆっくりと吸いその煙で肺を満たした。そして吸った分と同じだけ吐き出すと、今度はユウが携帯灰皿を差し出した。何から何まで至れり尽くせりの気遣いに若干の居心地の悪さを覚えながらも、ジョージはユウの差し出した灰皿へタバコの灰を落とす。


「すまないな、何から何まで。……フリントが磨り減っちまったようだ。今度取り替えないとな」

「……まだそのライター、お持ちになられていたんですね」

「まあな」

「あれからどうですか? そのライター、役に立ちましたか?」

「いや、幸いな事にまだコイツの助けが必要になった事は無い」


 ジョージは定位置に仕舞うつもりだったライターを見つめる。それはジョージが今の物語より三作品も前、白銀の騎士ヴェスディアの頃にエミリオから贈られた物だった。不思議な事に、どれだけ物語を乗り越えても、どれだけジョージの役割が変わっても、そのオイルライターだけは物語を飛び越えて手元に残っていた。


「胸ポケットに思い入れのある物をお守りとして入れておくと、それが弾丸を防ぐ生存フラグになる事がある……でしたっけ。それでも中尉、タバコは体に良くないですよ。そのライターを贈った人間が言う事ではないかも知れませんが」

「分かってはいるんだが、嫌でも落ち着かなけりゃならない場面が多くてな。今の俺はあの頃と違って……落っことす訳にはいかない物が増えすぎた。頭をクールに保てなければ、仲間が死ぬ」


 もう一度大きくゆっくり煙を吸い、ため息をつくように吐き出したジョージの顔は、ユウの中に残るエミリオの見知らぬ物だった。背負うべき物が増えてしまった上司の、ややもすれば父親のような表情だった。


「『紅蓮の牙』のセリフとは思えませんね」

「……かと言って『死神』のセリフでもないだろうな」


 二人は示し合わせたように笑い声を上げる。ひとしきり笑うと、ユウがいつになく寂しそうな顔でジョージを見上げて、呼びかけた。


「……中尉」

「何だ」

「その……落っことす訳にはいかない物の中に、私は入っているんでしょうか?」

「愚問だな、当然入っているに決まってる。お前は自分から勝手に飛び出して落っこちかねないから、特にな」


 その返答が正解だったのかはジョージには知る由もなかったが、ユウの恥ずかしさと嬉しさの入り混じったような赤ら顔が如実に語っていた。ジョージは彼女の頭に手を置くと、ぽんぽんと軽く叩いた。


「一人も落っことさず、宇宙へ……やるしか無い、か」


 憂鬱な気分を紛らわせるように最後にもう一度、ジョージは短くなったタバコを吹かした。タバコに灯されていた真っ赤な火がその輝きを強め、ゆらゆらと煙が天井へと昇っていく。それと同じくして、彼の手の下でされるがままになっていたユウも、煙が出ていないのが不思議なほどに真っ赤になっていた。

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