第二巻 第4章-あとがき間 254.5ページ
アルバートとカルロスは、気がつくと長い廊下を歩いていた。良く言えば年季を感じる、悪く言えば老朽化の激しい施設だった。どちらもこの場所に自分の意思で来た記憶は無い。それはまるで、少し前に身の上に起こった不思議な出来事を想起させる物だった。
「あれ? 気づいたらこんな所に」
アルバートはいつから続いていたかも分からない歩みを止め、うんざりしながらあたりを見回した。一体どこから来て、どこに行くのかも見当がつかない。しかしながらカルロスには、景色に見覚えがあった。ポスターの掲示一つ無い殺風景な通路は、地球における同盟軍の統括本部のそれに酷似していた。
「ここってアレだろ、本部だろ? まさか査問会に行く途中だったりして?」
「そんなバカな……と言いたい所だけど、こないだの件もあるしなぁ」
自分達以外誰も通らない道に不安を覚えながらも、二人は壁に寄りかかり、そのまま腰を下ろした。まだ昼間であるにも関わらず人気は無く、普段であれば規則正しく隊列を組んだ同盟軍の兵士達があちらこちらで見られるはずなのだが、この場においては、そういった物は一切見受けられなかった。
「しかし、何だったんだろうな、アレ」
「物凄くしっかり覚えてる明晰夢か何かだと思ったんだけどね」
「同じ夢を見るとかありえねえだろ……って事は現実って事になっちまうけど、うーん」
カルロスは腕を組み、眉間に皺を寄せながら軽く頭を横に振る。物音一つしない廊下では、軍服の衣擦れの音さえも大きく聞こえた。ともすれば耳鳴りを起こしてしまいそうな静寂の中で、彼はなるべく黙り込まないように喋り続けた。
「まさか小隊長殿が言ってた通りになるとはな。奴さんの新型機を言い当てるとか、ありゃあさすがに引いたわ」
「一度言い出したら聞かないカールがあの子……クラウスだっけ? 彼に非を認めて謝るなんて、普通じゃ考えられない事だもんね」
「フラグで死ぬ、って言うのは眉唾モンだけどな。気味の悪い話だが、あんだけ当たっちまうとなぁ」
「まあ、常識的な話や現実的な話ではないよね。信じろって言う方が無理な話だよ」
アルバートがこめかみを指先で叩きながらひとしきり考えを巡らせていると、廊下の先から人影が現れた。ジョージだった。廊下のタイルに添って歩くのは二人もよく知っている癖だった。
「おや、まだ信じられないか?」
「あ、小隊長殿! いや、それは……」
やにわに立ち上がり軍服を正し、ジョージに向き直り敬礼するアルバート。対照的にカルロスは座りこんだまま、手を軽く挙げた。普段であればカルロスの仕草は褒められた物ではなかったが、この場で咎められたのはアルバートの方だった。
「おいおいアルバート、こっちではジョージで良いって言っただろう?」
呆れたようにジョージは肩をすくめて首を横に振る。そして彼は腰に手を当てながら、カルロスに目をやった。彼は第一巻でそのまま棺の中へと送られるはずだった部下の無事な姿を確認出来た事に安堵するとともに、それが何を意味するのかを悟っていた。
「だがこうして生き残ってくれたと言う事は、多少なりとも俺の言う事を信じてくれた事に他ならない」
うんうんと満足げに頷くとジョージは深く考え込むように、しかしながら期待感に笑顔を微かに滲ませながら顎に手を当ててつぶやく。
「ふむ……うまく行く保証はなかったが、これなら……」
「『うまく行く保証がなかった』とは?」
耳聡くそれに反応したのはアルバートだった。彼は敬礼を解きはしたが、姿勢を崩さずにジョージの言葉に耳を傾けていた。感情を表に出さずにしっかりとジョージの顔を見つめるアルバートの姿は、上官に対する下僚の態度としては百点満点と言える代物だった。ジョージは自分の失言を気取られた事に気づき、少々バツの悪そうな顔で返答した。
「ああ、すまない。フラグを無効化して生き残った奴はカルロス、お前が初めてなんだ」
「あん? どういう事ッスか?」
カルロスは中腰のまま、怪訝そうな表情でジョージを見上げた。お前は死ぬと脅され、未来を予言しておきながら確証がなかったと告げられたのだからカルロスの態度は至極当然の物と言えよう。
「ここが『高機動人機エルヴァイル』――小説の中の世界だと、この間話しただろう?」
「ええ、確かに聞きました」
ジョージは確認するように何かを指折り数え、話を続ける。
「俺は今まで――『高機動人機エルヴァイル』より前に4作品を生き延びて来たんだが……お前らのように死亡フラグの立った奴は当然、何人も居た。そいつらも助けようとしたんだが……うまくいかなくてな。死んじまったよ」
「その人達が信じようとしなかったから、ですか?」
「いや、まあ、アイツらばかりが悪かったとも言えないさ。あの頃の俺の役は中途半端な下っ端だったからな。フラグで死ぬなんて非現実的な事を、うまい具合に説明する技量も発言力も無かった」
悲観するでも無く、後悔するでも無く、事実をただただ泰然として語るジョージにつられて、カルロスが応える。
「確かに俺も同僚や後輩から言われたら多分信じなかったッスね、多分」
「あと、さっきお前らも言ってただろう? しっかり覚えてる夢かなにかだと思ったと。これは俺の予想なんだが、この空間での出来事は普通の記憶とは別の領域に蓄積されるんだと思う」
それが考え事をする時の癖なのか、ジョージは廊下を横切るように何度も往復する。真新しさを思わせる乾いた軍靴の音は、どこまでも続いている廊下に吸い込まれていった。その残響の寒々しさにどこか恐ろしさを覚えた二人は、何とはなしにわずかに身震いした。
「俺達の本来の記憶は、ストーリーの進行によって都合よく書き換えられる。書き換えられたつもりも無いがな。お前らもそうじゃないか? 自分の記憶の中で、はっきりと思い出せない物があるんじゃないか?」
その言葉を受けて、二人は目を閉じ、深く俯いて己の記憶を探った。どれくらい経っただろうか、長く唸りながら首をかしげていたアルバートがゆっくりと目を開けた。カルロスはずっと頭をひねったままだったが、やがて想起する事を諦めたかのように大きく伸びをした。
「そう言われて見れば、確かに……ここ最近の会話は思い出せるのに、訓練生時代の事とかぼんやりとしか思い出せません」
「そうッスね、そういや親の顔がどんなだったかも思い出せないのって、明らかに不自然ッスね」
「カルロスの場合、極端に設定が少なかったからな。家族の設定も無いのかも知れん。とにかく我々登場人物は、記憶が物語に左右される曖昧な物でありながら、それを不審に思わずに生きている」
ジョージはカルロスの前でしゃがみ込み、その肩に手を置いて続ける。カルロスはハッとした表情で彼を凝視する。その顔つきは上司や仲間と言うよりも、友人や家族に向けられるような優しさを湛えていた。
「……もう一度言うが、カルロス。お前が初めてなんだ。自らの出自に疑問を覚え、物語に抗った俺以外の人間は」
肩に置かれた手に力が込められる。カルロスはその腕が震えている事を感じていた。
「しかし、ジョージさん。疑問に思う点がいくつかあります。まず根本的な所として、何故僕らを助けようとしたんですか?」
「……? 何故助けた、とは?」
ジョージはカルロスを掴んでいた手を離し、立ち上がった。天井で煌々と輝く真新しい蛍光灯が、その影を再び長く伸ばした。
「ジョージさんは、その……先の事が書いてある小説を読んで、僕らを助けたんですよね?」
「ああ、そうだ」
「ジョージさんが生き残るためであれば、別に僕らを……カルロスを助ける必要は無かったんじゃないですか?」
「アル、お前サラッと酷い事言ってるの気付いてるか?」
カルロスはたまらず立ち上がり、アルバートの肩を横から抱き寄せて脇腹を小突いた。
「何だアルバート、カルロスを見殺しにしても良かったとでも言うのか?」
「いや、別にそう言う訳では……」
「――可能性だよ」
「は?」
アルバートはカルロスに組み付かれたまま素っ頓狂な声を上げた。ジョージは二人に向き直り、真剣な顔で語り始める。
「俺は4作品生き延びて来たって言ったよな。だけど別に好きで生き続けた訳じゃない。いつかはこのループから――物語が始まって、終わるサイクルから抜け出したいと思っていた」
「……」
淀み無く紡がれる彼の言葉の気迫に当てられたのか、誰も遮る事が出来なかった。二人が押し黙ったままである事を確認するかのように、わずかに間をおいて再び語り始めた。
「今まで俺は一人で最終巻の『あとがき』を迎えてきた。あとがきの後に待っていたのは、次の物語だ。そして大勢の仲間が死に、俺だけが生き延び、いくつもの傷を引きずって……そしてまた、その物語の結末を迎える」
これまでの出来事を思い返しているかのように、ジョージの話調が乱れる。言葉が逸り、声が大きくなる。震えるその手は爪が食い込むほどに、拳を握っていた。
「物語を破綻させれば、いっそ主人公を殺せばループは終わるだろうかとか、いろいろ無茶な事をやってきた。それでもダメだった。もう出来る事は何もないのか……そう絶望しかけた、前作の終わり際にな。思いついちまったんだ」
彼は静かに拳を開き、手のひらをじっと見つめた。先ほどまで浮かんでいた悲壮な面持ちは消えていた。
「俺はまだ、仲間と共に最後の『あとがき』を迎えた事が無い」
「仲間と……共に」
「そうだ。俺は誰も救えず、たったひとりで物語の終焉に辿り着いていた。もしかしたらそれが俺のループが終わる『可能性』になり得るんじゃないか? とな」
「じゃあアンタ……自分が救われたいってだけで俺を助けたって事かよ!?」
カルロスが両手を広げながらジョージに詰め寄る。その勢いは、今にもその襟に掴みかかろうかという程だった。
「そればかりって訳でもないさ」
ジョージはその手を避けるかのように一歩後ろに下がると、背を向けた。食い下がろうとするカルロスの背中を、アルバートが制服の襟を引っ張って止める。
「確かに俺は助かりたいって思ってる。抜け出したいって思ってる。だけどな、物語の中だけとは言え、お前らは俺の大切な部下だ」
振り向いたジョージの顔には、笑みが浮かんでいた。それは打算的な考えに満ちた物ではなかった。二人が『あちら側』で見た、部下を思いやり、安心感を与える小隊長としてのそれだった。
「その大事な部下がピンチだって時に、それを助ける力が俺にはあるって知ってたら……どんな事をしてでも助けたいって思うのは当然だろ?」
「まあ、でも実際、アレが無けりゃ俺も死んでただろうから……うん、その……」
毒気を抜かれたカルロスは、やり場をなくした手を頭に当ててバツが悪そうにつぶやく。
「ありあとあした、隊長」
「あ、そうだ。ちょっと気になっただけなんですが……ジョージさんって、何が出来るんですか?」
「ああ、そうだな。人にこの話をするのは何作目ぶりかな。俺には3つ出来る事がある。まず一つ目は――」
ジョージが右手を掲げ、パチンと指を鳴らす。するとどこからともなく本がバサバサと落ちてきた。その種類は多種多様で、ハードカバーの本や雑誌、書類をステイプラーで止めた物もあった。
「このように、異世界――正確にはここより高次元にある世界の書類や書籍を取り寄せる能力だ」
「パッと見、手品のようにしか見えないですけどね。……ちなみにそれ、何て書いてあるんですか?」
「ああ、そうか。これは『月刊ドルフィンマガジン』と言う……向こうでは『エンタメ小説雑誌』と呼ばれる物らしい。厄介な事に、向こうから取り寄せた本は俺しか読めないようだ。重要な事があれば、俺が読んで聞かせよう」
アルバートは虚空から現れて地面に散らばった本を無作為に拾い上げた。胸ポケットから取り出した眼鏡をかけてそれを読もうとしたが、読書を好む彼ですら見たことの無い言語で書かれていた事に面食らって、顔をしかめた。
「うわ、本当に全然読めないや。文法どころか文字がそもそも見たことない物だから推測も出来ないですね、これ」
「いや、もし読めたとしてもそういう本は俺はパスだな。裸の女の写真が乗った本なら、俺でも読めそうッスけどね」
ニヤついた顔で軽口を叩くカルロスを捨て置き、ジョージは話を続ける。
「二つ目は、俺は小説で言う所の章と章の間――俺は幕間空間と読んでいるが、そこで好きな場所で好きなように行動する事が出来る」
「え、じゃあその能力を使って敵の……例えば帝国軍の首都を破壊してしまえばいいのでは?」
「残念な事に、幕間空間から物語に直接干渉する事は出来ないようでな。お前らが言ったように『夢』みたいな場所だと思っていい。こんな事も出来るぞ。それ」
ジョージが両手を一度強く打ち鳴らすと、殺風景な廊下が崩れ落ちるように消えた。次の瞬間、辺りはひらけた野原に変貌していた。涼やかで心地よい風が三人に吹き付ける。そう遠くない所には冠雪した山々が聳え立っている。高山地帯だろうか。アルバートとカルロスは急激な周囲の変化に目を白黒させていた。
「三つ目は、小説一巻につき一度しか出来ないが、この幕間空間に他の登場人物を呼び出す事が出来る」
「俺らみたいに、って事ッスか」
「それも不思議なんですが、主人公……クラウス・アルカディア君でしたっけ。彼を呼んだり出来ないんですか?」
「どうやら俺が呼べる人物は限られているようでな、呼べる奴と呼べない奴がいるんだ」
俺にもさっぱり、とでも言いたそうにジョージは小さく肩をすくめた。彼は近場にあった古い切り株に腰掛け、どこからともなく取り出した紙巻きタバコをくわえる。そして左胸のポケットから年季の入ったオイルライターを取り出すと、やおらタバコに火を付けて紫煙をくゆらせた。
「カルロスを呼び出すのは確定していた。現に死ぬ予定だったからな。他にも来る奴がいるか確かめる為に、全員呼び出してみたんだ。そうしたら、お前らだけが来た」
「何だ、アルが来たのはただの偶然って事ッスか」
「有り体に言えば、まあ、そうなるな。……それで、本題に入ろうか。俺はこのループを抜けたい。お前らは生き残りたい。求めている事は別だが、やるべき事は同じはずだ」
「そうですね、その為にはジョージさんの能力が必要になってくる」
「フラグに殺されないように……って事か」
カルロスは足元に落ちていた石を思い切り蹴飛ばす。石は大きな放物線を描きながら草地の向こう、坂と言うには急すぎる斜面を転がり落ちていく。その様子に自らの境遇を重ねてしまったのか、カルロスは不機嫌そうに舌打ちをした。
「物語に植え付けられた性格や記憶に引っ張られてしまうから、フラグ自体を立てないようにするのは土台無理な話だ。お前らを呼び出せる回数に制限がある以上は、毎章毎章呼び出して注意を促す事も出来ないしな。だから俺は、誰かが死にそうになる直前でお前らを呼び出し、死なない方法を相談しようと思っている」
「なるほど、最初にフラグを回避した結果、別のフラグが出てきて死んだら元も子も無いですからね」
「……あれ? じゃあ今回は誰が死ぬんスか?」
アルバートの相槌を聞いて、開放的な光景に緩んでいたカルロスの気持ちと表情が引き締まった。緊張感ばかりではなく、再び死線を潜らねばならない不安と、このうちの誰かが居なくなってしまうのではないかと言う恐怖も多分に含まれていた。
「あ、確かに。現時点で呼び出したって事は誰かフラグを立てたんですか?」
「いや、今回に関しては大丈夫だ。この作者……『高機動人機エルヴァイル』の筆者なんだがな、癖があるんだ」
「癖……ですか」
「危険巻と安全巻が一巻ずつ交互に繰り返しているんだ。前巻……一巻がカルロスが死ぬ危険巻だっただろ? 今俺達の居る二巻は安全巻なんだ」
「じゃあ今回は誰も死ぬ事は無いんですか?」
「ああ、事前に読んだ。クラウスは前回の働きで同盟軍の最終兵器とも呼べる超高機動機『試作型エルヴァイン』の正パイロットに任命された所だ。ヒロインとの邂逅も果たした。やっぱり主人公サマって奴は我々噛ませ犬とは持ってるモノが違うな?」
ジョージは破顔し、大声を上げて笑った。虚勢からか、はたまた本心を隠す演技であったかは知る由もないが、陰鬱とした雰囲気を吹き飛ばすような笑い声に、二人の顔にも笑顔がこぼれた。
「ああ、そうだカルロス。お前は俺にこってり絞られて3時間にも亘る高重力トレーニングの刑に処せられた」
「そんな記憶、さっぱり無いッスよ!」
慌てて食ってかかるカルロスの必死な形相に、アルバートは笑い声を堪える事が出来なかった。
「当然だ、お前に出番は無かったからな。……とにかくだ。あまり完璧にフラグを回避しても、物語が破綻したり筆者に目を付けられる可能性がある。俺達はあくまでギリギリで回避し、もしくはフラグを利用して、運が良く生き残った事をアピールするんだ」
ジョージは不敵な笑みを浮かべて、二人に向けて拳を突き出した。
「フラグが俺達を殺そうって言うのなら、俺達がフラグを殺し返してやろう」
「望む所ッスよ! だーれがそう簡単に死んでやるかって!」
差し出された拳に真っ先に自分の拳をぶつけたのはカルロスだった。乾いた音が辺りに響く。
「もとより、僕は死ぬつもりはありませんよ。頑張りましょう」
アルバートも控えめに拳を重ね、にっこりと笑った。今まで経験した事の無い本当の仲間との出会いに三人は、特にジョージは強い気持ちの昂ぶりを感じていた。紛い物でしかないはずの冷たく澄んだ風は、彼らの物語を導くかのようにどこまでも吹きわたっていた。




