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Ⅷ 承諾と、最後の思い出

描写薄いですが致してます


 残った西瓜の半分は、気づけば腐って捨てられてしまっていた。

 それがシェリーの悲しみと、虚しさに拍車をかける。あの日から、シェリーはハルヨシと言葉を交わすどころか、顔を合わせることも無くなっていた。

 シェリーが、ハルヨシの頼みを断り、彼が悲しげに笑ったあの日からだ。


 あの夕日に染まるバルコニーで、やはり普段と変わらず、何てことはない調子で放たれたハルヨシの言葉を思い出す。


『僕はね、僕を愛した人間の手にかからなければ、死ぬことが出来ないんだ』


 生まれてきてからずっと、死ぬことを夢見て生きてきたのだと彼は語った。

 百を超えて生きる彼がどんな想いを抱えてきたのか、シェリーに図り知ることは出来ない。けれども、普段から何をするにも楽しげに笑い、全てを受け入れて生きているように見える彼がそんな風に考えてしまうような人生だ。多くの苦悩があったに違いない。


 憂いを浮かべるハルヨシは、シェリーの視線に押されるようにして、彼の人生を語り聞かせた。


 ハルヨシは基本的に人を喰らうことはしない。けれども、時折、無性に人が食べたくなる時が来るのだそうだ。

 彼は半分は人で、半分は妖だ。どんなに彼が拒もうとも、彼に混じった物の怪の血が、それを求める。

 初めて喰らったのは、彼の母だったそうだ。父が死に、その親族である妖どもに疎まれ、母子二人で隠れるように暮らす日々。貧しくはあれど幸福だった生活の中、成長し人を求めるようになった彼は抑えきれずに母親を喰らい、そして我に返って死を望んだ。

 けれども、幾ら死のうとしても死ねなかった。『混ざりモノ』の性質は、その特性上あまりにも多岐に渡る。死ねない理由を追い求め、父の血筋を追い、過去に巫女として名を馳せた母の力を知り、そして理解した。


 不老の父の性質と、我が子のへ愛を鉄壁の巫術に変え息子に宿した母の力。

 ハルヨシを心から愛し、その守りを破った者の手にかからなければ、ハルヨシは死ぬことすら出来なかった。


『百も過ぎれば諦めるようにもなったよ。人にも妖にも成れない僕を、愛する者など現れないだろうから』


 ハルヨシはそこで、シェリーを見て笑った。

 長く生きてきた時の中で、きっと彼はシェリーが想像もできないような経験をしてきたのだろう。

 その柔らかい声を聴いて、場違いにも胸をときめかせてしまうほどに、シェリーは彼を愛していた。助けてもらったから、というのはそうかもしれない。あの日のことが無ければ、シェリーだってハルヨシを化け物だと思っていたかもしれない。

 それでも、シェリーはあの日ハルヨシに救われ、彼と共に過ごし、確かに恋をした。それが事実だ。


『君は僕を愛した。僕が望むように僕を愛してくれた。こんな化け物を。……君は不思議な子だね、シェリー』



 自嘲気味に笑うハルヨシに、シェリーは緩く、首を振った。

 ハルヨシは気分屋で、自分の思うように行動する。常に飄々としていて何を考えてるのか分からない、どこか空恐ろしい空気を持つ人物であるように思う。

 けれども、時折見せる甘えるような身勝手さや、シェリーの前で子供のように笑う姿などが彼を愛らしく見せるのだ。


 彼の見目を恐れる理由などないシェリーには、そんなハルヨシの心根が愛おしくてしょうがなかった。

 不思議なことなど何もない。もし彼の見目が普通の人だったならば、きっと彼のそういう部分に惹かれる女性は少なくないだろう。

 そう思うと、シェリーはハルヨシが『混ざりモノ』で良かった、などと、彼の境遇すら無視して考えてしまうのだった。


 醜い独占欲だ。それ程までに愛している。愛しているのだ。

 

『……ハルヨシ様、申し訳ありません。私には、出来ません』


 だからこそ、シェリーには彼が唯一望んでくれた、自分に求めてくれた願いを叶えることができなかった。

 彼を殺すことなんてできない。この、ただ続く幸福の日々を享受していたい。それはシェリーの我儘で、恩を仇で返すような行為だったけれど、ハルヨシは困ったように笑うだけで何も言わなかった。



 そうして、今日まで二人は顔を合わせることもなく過ごすことになったのだ。

 拒絶の言葉を浴びせられた訳ではない。けれども、部屋に入ることも許されず、呼びかけても出てこないのなら、そういうことなのだろう。

 ハルヨシは死ぬために生きてきた。自分を(あい)してくれる、そんな人を求めて。

 百年以上待ち続けた彼が、漸く出会えた人間がシェリーだというのなら、それは、確かに、悲しいけれど、嬉しいことなのかもしれない、とシェリーは思った。


 ――――もうすぐ、夏も終わる。このまま、彼に甘えている訳にはいかないだろう。

 ハルヨシには恩がある。シェリーには彼のいない世界で生きていく自分など想像が出来なかったが、それならそう、彼を失った後に自分も死ねばいいのだ。

 その結論に至り、覚悟を決め、元より諦めていた人生だったのだと開き直ったシェリーは、ハルヨシの望みを叶えよう、と思った。

 このまま顔も合わせず、言葉も交わせないのなら、むしろ最後に至上の幸福を経て大切な人を失おう。

 そう、決意をして、シェリーはハルヨシの私室の前に立った。


「ハルヨシ様、よろしいでしょうか」


 返事はない。シェリーは尚も呼びかけた。


「あの件について、お話があります。開けてくださいませんか」

「……開いてるよ」


 扉を開け、一礼する。何をするでもなくぼんやりと椅子に腰掛けていたハルヨシは、シェリーを見ることなく本を一冊、手元に引き寄せた。

 目を合わせないで済む理由付けだろう。シェリーは真っ直ぐ、背を正したまま、俯くハルヨシに声をかけた。


「貴方を殺す決心がつきました」

「……本当に?」


 顔を上げたハルヨシと、視線がかち合う。

 先日悲痛な顔で頼みを断ったシェリーが何を思って心変わりしたのか分からないのだろう。どことなく訝しげな視線を向けてくるハルヨシに、シェリーは一度呼吸を整えてから口を開いた。


「……でも条件があります。それを叶えてくれたなら、私は、ハルヨシ様を……殺させて頂きます」

「条件? いいよ、何なりと」

「私を抱いて下さい」


 本が落下した。

 ごとん、と音を立てて落ちた古書が雑に開かれる。紙の捲れる音すらはっきりと聞こえる程の沈黙が落ちた。

 表情の動かない顔が呆然としているのが、手に取るように分かった。そんなに驚くようなことだっただろうか。シェリーはハルヨシを愛していたし、愛する人に求めることなど、究極的にはそういうこと(・・・・・・)しかないだろうに。

 これまで、こんな風に動揺するハルヨシを見たことがなかったシェリーは、些か面食らいつつ返答を待った。



 不動で待ち続けるシェリーの前で、ゆっくりと本を拾い、埃を払う。そしてゆっくりと本棚に戻したハルヨシは、明らかに困り果てた声音で呟いた。


「…………抱くって、つまり、……………性交渉をしろと?」

「はい。あ……もしかして、ハルヨシ様はそういうことは出来ないお身体なのでしょうか……」


 だとしたら要求を間違えたかもしれない。一人焦り始めるシェリーに、ハルヨシはそっと頭を抱えた。

 はあ、と深く落とされる溜息に益々慌て始める。彼を殺さなければならないと思った時に、一番に出てきた望みがこれだったので素直にそれに決めてしまったのだが、もう少しよく考えるべきだった。

 焦りながら代案を探そうと思考するシェリーをちらりと盗み見たハルヨシは、ふ、と笑みを零すと身体を椅子の背に預けた。ぎい、と古い椅子の背が鳴る。


「そういう……そういうことだろうな。全く、参った」

「ハルヨシ様……?」

「ああ……うん。君を、抱こう。今夜、部屋においで」

「ほ、本当によろしいのですか」

「……良いけれど、その後は確実に殺してくれ。でないと、君が困ったことになる」


 ほんの少し、冷えた声で告げられた言葉の意味は、シェリーに推し量ることは出来ない。

 傾げそうになった首を慌てて首肯に切り替える。ハルヨシはどうにも少し、参っているような様子で、これ以上彼の手を煩わせることになる前に部屋を出た方が良さそうだった。

 ぼんやりと呆けたように、宙を見るハルヨシに一礼し、シェリーは部屋を後にした。






「確認だけれども、本当に構わないんだね?」


 ベッドまで入ってから聞くことなのだろうか、とシェリーは真っ赤な顔でハルヨシを見上げながら思った。

 この状況でそれを聞かれるのは、途方も無く恥ずかしい。折角覚悟を決めてやってきたというのに、そういうことを聞くのはどうなんだろうか。

 恥ずかしさと不満から、少しむっとしたシェリーに、ハルヨシは困ったように笑った。


「ごめんよ、無粋な質問だった」

「いえ……本当に、構いませんから……お好きなように、してください」


 ぎゅ、と両手を胸の前で握る。その手に、革手袋に包まれた手が重なった。

 二人とも、双方の理由から服は着たままだ。シェリーは傷だらけの身体を見られたくはないし、ハルヨシもあまり自分の身体を人に見せたくはない。

 譲歩し合った結果こういう形になったのだが、これはこれで妙に恥ずかしいような気もして、居心地が悪い。衣擦れの音がする度に心臓が跳ねる。真っ赤な顔で震えるシェリーを見下ろして、ハルヨシはどこか惚けた声で呟いた。


「……君は本当に僕が好きなんだな」

「…………そうですよ、言ったじゃありませんか」

「うん、聞いた。聞いたけども……実感が無い」

「……好きですよ、ハルヨシ様」


 ひく、と手のひらが震えるのを感じた。


「愛しています」

「うん」

「愛してるんです」

「……うん、」

「あいしてます、はるよしさま」


 殺したくないです。言葉に出来なかったそれを、ハルヨシはきっと感じ取っているだろう。

 ぼろぼろと、涙を零すシェリーの頬を、ハルヨシの指先がそっと拭う。それはとても優しい手つきで、堪らなく嬉しかったけれど、それでも彼は一度も、「僕も」とは言ってくれなかった。




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