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Ⅵ 戯れに似た触れ合い



「またそれか? 何度も読んでいるのに、飽きないものだね」


 昼食を終え、仕事の合間の休憩時間に本を広げていたシェリーは、後ろからかかった声に腰掛けていた椅子から浮く勢いで跳ねた。

 膝の上に置いていた昆虫図鑑が、ばさりを音を立てて床へと落ちる。


「ハルヨシ様! 部屋でお休みになられていたのでは、」

「暇だから出てきたんだ。久々に、庭に術をかけ直そうかと思って」

「そ、そうですか」


 慌てて立ち上がるシェリーに、ハルヨシは落ちた図鑑を拾って手渡す。

 座って構わない、と目線で示されたシェリーは、躊躇いつつもゆっくりと腰掛けた。

 滅多に使われることない客間は、大きな窓から差し込む日差しで実に心地よく、シェリーは度々ここで図鑑を眺めている。

 設けられたテーブルを挟んで対面に腰掛けたハルヨシは、シェリーに図鑑を広げて見せるように言う。


「どこを見てたんだい? ああ、また蜂か。好きだねえ、君も」


 ページにはすっかり開き癖がついており、古ぼけたそれは手荒に扱えばそこから割れてしまいそうだった。

 先程落としたものだから、尚更傷んでいることだろう。シェリーが家から持ってきたものだから、破れたところで問題は無いが、父の形見のようなものだ。なるべく大事に扱いたい。


「肉団子が好きかと聞かれた時から、多少は分かっていたけども。花なら兎も角、君は物好きだな」

「よく、言われます。父の影響かもしれません……標本を集めるのが好きでしたから」

「へえ、今度見てみたいな」


 ハルヨシの言葉に、シェリーは曖昧に微笑む。父が死に、困窮したノーランド家ではその手の売れそうな父の私物は全て売り払われてしまった。

 珍しい種類のものもあったため、それなりの値段で売れたと母や姉が笑っていたのを知っている。

 嫌なことを思い出し苦笑するシェリーを置いて、ハルヨシは指先で開かれたページを指した。


「君が私を怖がらないのは、これが理由なのかな。蜂が好きなんだろう?」

「え、あ、は、はい」


 すっかり開き癖がついているページを示されては言い訳もできない。素直に頷くと、ハルヨシはなるほどねえ、と呟いた。

 正確にはハルヨシが好きだから、殊更蜂が好きになっただけなのだが、それを口にする勇気はまだ無かった。


「触ってみるかい?」

「はい?」

「好きなんだろう、蜂」


 ずい、と寄せられた顔に、シェリーは思わず仰け反りかけ、慌てて真っ直ぐ背を伸ばすに留めた。

 今、何かとんでもないことを言われた気がする。思考が追い付かず呆然とするシェリーに、ハルヨシは頬杖をついて小首を傾げた。


「別に、噛んだりしないよ」

「ええと、」


 触ってみる、というのは当然、この状況から考えてハルヨシの虫に似た部分、つまりは頭部のことを指しているのだろう。

 確かに虫好きにとって、彼のスズメバチに似通った頭部はとても魅力的なものに違いない。

 けれども、ただの虫好き、とは異なるシェリーにとって、ハルヨシの顔に触れるというのはかなり勇気の要る行動だった。

 好きな人の顔に触れるのだ。触っても良い、と許可を貰っているにしても、安々と手を伸ばせたりはしない。


 まごつくシェリーに小さく息を吐いたハルヨシは、シェリーの手を取ると、それを自分の頬へと引き寄せた。

 シェリーの白い指先が僅かに震える。

 手首を掴む革手袋の感触と、指先に触れる、冷えた滑らかな表皮の感触に、シェリーの体温が上がった。



「首元に毛が生えているものの方が触りがいはありそうだけど、どうだろう」

「い、いえ。その、とても、素敵です。ハルヨシ様は、スズメバチに似ていらっしゃいますよね、かっこいいと思います」

「そうかな」


 素っ気ない物言いながら、彼の声は優しかった。見目を疎まれてきたらしいハルヨシにとっては、純粋に好意を向けてくれるシェリーの存在は嬉しいもののようだ。

 機嫌良さそうに揺れる触覚を眺めながら、シェリーは赤くなった顔で幸せそうに微笑んだ。

 自分も、家では除け者にされてきた。自分が誰かにとって必要だと感じるのは、シェリーにとっても嬉しい。それが好きな相手からのものであれば尚更だ。

 ふと、幸せそうに微笑んでいたシェリーの頬を、革手袋の指先が撫でた。


「ひえぁ」

「あまり、人の顔の差異は分からないんだが、君はマリア嬢には似てないな」


 するすると、頬を撫でられる。

 シェリーは母が後妻だということも、姉が連れ子だということも伝えていなかった。深く聞かれたことも無かったし、幸福な日々の中では彼女達のことを思い出すことすら疎ましかったからでもある。

 時折興味深げに耳元まで伸びる手に身体を震わせながら、シェリーは早くなる鼓動に上擦った声で答えた。


「わた、わたしは、その、父似だと、いわれます、はい、」

「へえ。じゃあお揃いだ。私も顔は父似だからな」


 くつくつと、笑い混じりに告げられたそれにどう反応して良いものか迷う。ハルヨシは『混ざりモノ』であることを気にしている素振りを見せる時もあれば、こうして冗談めかして口にすることもあった。

 物珍しいのか、ハルヨシの手はシェリーの頬から離れない。シェリーの手はとっくにハルヨシから離れ、握りこぶしを作って羞恥に震わせているというのに。

 シェリー個人に、というよりは、人間そのものに興味がある様子であちこち弄り始めたハルヨシに、シェリーはとうとう堪えきれなくなった。ある意味、裸やアンダードレスを見られるよりも恥ずかしいのだ、これは。


「ハルヨシ様! その、お庭のことはよろしいのですかっ」

「うん? ああ、問題ない。暇つぶしのつもりだったからな。なんならアルフレッドに行かせても良い」


 そう言うと、彼は指を鳴らしアルフレッドを喚び出した。影から立ち揺らめくように現れた執事は、その無機質な硝子玉のような目でシェリーとハルヨシを眺める。

 その口元がふ、と笑うのを見とめたシェリーは、顔から火が出る思いで立ち去るアルフレッドの背中を見送った。


 彼は確かに式神だが、それでも完全に個人の意思と感情がない訳ではない。

 あの目線は確実に、戯れ合う恋人同士を見るような目だった。老紳士然としたアルフレッドにそんな風に見られるのは、想像以上に気恥ずかしい。

 シェリーは堪らない気持ちになりながらも、ハルヨシの手を跳ね除ける事も出来ず、ただされるがままになるしかなかった。




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