Ⅴ 侵入者
※男二人の死亡描写
久々に、アルフレッドの姿を見た。
シェリーがメイドとして勤め始めてから半年と、二月を過ぎた頃のことだ。
それまでシェリーを雇い入れてから姿を見せていなかったアルフレッドが、あの時に見た御者を連れて屋敷を出ていくのを見た。
アルフレッドも御者も、ハルヨシの式神だ。彼の血と、幾つかの材料から作られた、命を持たない存在。
そんな彼らが働くということは、つまり、また『食事会』が開かれるのだろう。
シェリーは何故か世話をせずとも一向に枯れる気配も色褪せる気配もない薔薇を戯れのように弄りながら、ほう、と溜息を吐いた。
なぜ自分には何も教えてくれなかったのか。考えて、すぐに出た結論に思わず自嘲した。
元々何の取り柄もない。教えてもらったところで何が出来るのかと言えば、何一つ、出来ることはない。
全てを知った上で素知らぬ顔で客人を誘い込むような真似は、シェリーには想像することすら難しい。恐らく、食事会が始まる前に自室に戻り、出てこないようにと言われるのだろう。
朝から書斎に籠り切っているハルヨシと顔を合わせていなかったから言われていなかっただけで、そんなに深く考えることではない。
それでも、どこか憂鬱な気持ちになりながら溜息を吐いていたシェリーの耳に、足音が聞こえた。
二人分、だ。
「おやおや、美しい庭に似合いのメイドまでいるとは、此処を選んで正解だったな」
不意に響いた聞きなれぬ声に、シェリーの肩がびくりと跳ねた。
憂鬱に任せて慰めるように撫ぜていた薔薇から手を離し、振り返る。そこにはどこから入り込んだのか、だらしなく膨らんだ腹を撫でつけ、むくんだ顔に厭らしい笑みを浮かべた男が立っていた。
よく肥えた蛙のような印象を受けるその男に、シェリーは見覚えがあった。
隣の領地を治めるウィンゲルム伯爵だ。まだノーランド家が程ほどに裕福だった頃、姉が一度声をかけられたことがある。その頃から既に脂ぎった中年に差し掛かっていたウィンゲルムの誘いを我儘と駄々を捏ねて父に何とか断ってもらった結果……シェリーにとっての地獄が出来上がった。
彼に対して良い印象は無い。それどころか存在すら疎ましい、と思っていたが、ウィンゲルムの方はシェリーのことなど記憶の片隅にも無かったようだ。
脂肪の乗った瞼を機嫌よさげに細め、シェリーへと近づいてくる。お付きの者が一人、その後ろについていた。
「中々に愛らしい娘じゃないか、ん? 歳は幾つだ」
問いかけてくるウィンゲルムの顔をまじまじと見つめながら、シェリーは思考する。
幾ら伯爵と言えども、何の断りもなく庭まで入ってくるなんてことが許されるだろうか。ということは、もしや、彼が食事会の客? いや、それならばきっと、ハルヨシは朝から部屋を出ないよう、シェリーに言い含めたに違いない。
恐らく、いや、明らかに、彼は招かれざる客だった。
「あ、あの、どうしてこちらに、旦那様からは何も聞いておりません、が」
一歩近づかれるたび、同じく下がる。
決して距離を縮めないようにして問うと、ウィンゲルムは明らかに機嫌を損ねたようだった。
「わしが入ってはならん理由など無かろう。見事な庭園があるというから、わざわざこんな辺鄙な所まで来てやったのだ」
高圧的な物言いからは、突然の訪問や、家主に断りもなく庭に入り込んだことへの遠慮など微塵も感じられない。
姉へ誘いをかけている際にも度々そういう面は見ていた為、そのような人間であることは想像がついていたが、いざ目の前でふてぶてしい態度を取られると不快感を抑えきれなかった。
そのまま、顔に出てしまった。眉を顰めかけ、慌てて表情を取り繕うがもう遅い。
目ざとくそれを見つけたウィンゲルムは、シェリーを屋敷の玄関扉まで追い詰めると、無遠慮に彼女の胸を掴んだ。
「ひっ」
「なんだ小娘、文句があるのか? わしを誰だと思っとるんだ、これだから田舎者は困る。この辺りのやつらは爵位だけ与えられて碌な振る舞いも出来ん輩ばかりだ! 全く、うんざりする!」
実の所、シェリーならばウィンゲルムを振り払うことは容易い。
見目は普通の少女のようだが、シェリーには疎まれるほどの馬鹿力が備わっているのだ。歩くことすら厭いそうな小太りの男など、脅威ではない。
だが、元々の性格と、加減が効かない力への恐怖から、彼女はこういった場面で力に頼ることを酷く恐れていた。
「や、いや、やめてください!」
「叫ぶんじゃない、挿げ替えの利くメイドの一人どうなったところで気にも留めんだろうよ」
下卑た笑みを浮かべるウィンゲルムがシェリーの胸元を掴み、その釦を二つほど飛ばしたその時、――玄関扉が開いた。
扉を背にしていたシェリーはそのまま後ろに倒れ込む。浮遊感から、次に来る衝撃を察して痛みへの恐怖に目を瞑ったシェリーは、しかし、次の瞬間には軽い音を立てて何かに凭れ掛かることになった。
「生憎と、挿げ替えの利くメイドではないので、どうにかなってしまうと困りますね」
甘く、掠れた声が頭の上から降ってくる。
それが何を意味するのか、自分が身を預けているものが何なのか気づいたシェリーは、感じる体温に頬を染めて身を起こそうともがいた。
「な、あっ、ば、化け物――ッ!?」
いつの間にか腰に回されていた腕によって全く離れることが出来ない、とシェリーが気づくのと、ウィンゲルムが叫ぶのはほぼ同時だった。
シェリーの目の前で、顔面から血の気の失せた男が二人、死体へと変わる。
驚く暇も、音も無かった。勝手に入り込み、勝手に言い寄り、勝手に死体と化した男達を、シェリーはどこか現実から離れた意識で眺める。
片手で彼らの首と胴体を切り離したハルヨシは、血を噴き上げて後方へと倒れ込む二つの体を見下ろして、心底困った様子で呟いた。
「ああ……やってしまった。すまないね、折角君が我慢していたのに」
「あ、い、いえ」
血に濡れた指を払い、そのまま懐から幾つかの紙を取り出す。途中、シェリーを抱きしめたままだったので背中側をなぞるように手が通り、シェリーはひくりと身を震わせた。
取り出された紙片は、ハルヨシがその指先でそっと異国の文字の書かれた部分を撫でることで人型へと姿を変える。
足が生え、胴体が生まれ、腕が生え、頭が生える。計三体の白い顔を持たない人型の生き物は、ハルヨシの指示を受けて玄関前の死体を片付け始めた。
「アルフレッドを出すために結界を弱めたのが間違いだった。シェリー、その服は捨ててしまうのがいいね。脱ぎなさい」
「え、あ、あの、ハルヨシ様、私、あとで自分で捨て、」
言い終わるより早く、ハルヨシの指がシェリーの服を腰の辺りまで裂いた。
かろうじて肩に引っかかっている部分を避けられてしまえば、そのまま床に落ちるしかなくなる。重力に従ったエプロンドレスはシェリーを守ってはくれない。
アンダードレスが露になったシェリーの顔は真っ赤に染まり、それから自分の体に残る傷跡を見やると真っ青になった。
「だ、だめです! こんな汚いものをハルヨシ様にお見せするなんて……!」
「汚いもの? 何を指しているのか、私に教えてくれないか」
「……だって、こんな……傷だらけで、恥ずかしい……」
「私はあまり一般的な人間の感性には詳しくないけれど、ここ半年で君が恥ずかしがる箇所は着々とずれているようだね。望ましい変化だ」
「? ……そ、そうです、か?」
望ましい、という言葉の真意は分からないが、意味としては良い意味だろう。好きな相手にそう言われるのはシェリーに限らず、恋をする者ならば嬉しいことだった。
素直に喜びの表情を滲ませるシェリーに小さく笑ったハルヨシは、ごく自然な動作でシェリーを抱き上げた。
横抱きにして、そのまま階段を上がる。シェリーが羞恥と驚愕から上げた叫び声を、ハルヨシは滑らかに無視した。
「汚いというのなら、私の方が余程汚らわしい生き物だと思うよ」
「そんな、ハルヨシ様は、美しい方です」
「……本当に、望ましい変化を遂げてくれたな、君は」
シェリーの私室へと送り届け、彼女をベッドに下ろしたハルヨシが、楽しげに笑う。
その笑みが何を表すのか、その時のシェリーには知る由も無かった。