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Ⅱ 少女への救い

※母と姉の死亡描写

※姉の腕が跳ぶ


「ようこそいらっしゃいました。旦那様がお待ちです」


 掻き集めた装飾品で艶やかに飾り立てられた姉が、美しい水色のドレスを揺らしながら馬車を降りる。

 その後ろに母が、最後尾にシェリーが付き従いながら、庭を進む。


 月光に照らされた庭園は美しくも、どこか寂しい空気を漂わせていた。

 咲き誇った薔薇は白く、月光の下で物悲しげに輝いている。その様はどこか見るものを不安にさせる輝きであったけれども、シェリーは今まで、これほど美しい庭園は見たことがなかった。

 疎らに見える赤い薔薇に目を引かれ、まるで誘われるようにして扉へと辿り着く。


 開かれた玄関扉の向こう側には、白と黒を基調にした広間が広がっていた。

 貴族の端くれ、とは言っても最早半ば没落したような家柄であるノーランド家にとっては、踏み入れるにも躊躇われるような屋敷だ。

 知らず、シェリーは気圧されて息を呑む。姉と母は、これ程の屋敷を持つ人間に見初められたことへの期待から唾を飲んでいた。


「どうぞ、此方へ」

 

 高価そうな調度品を舐めるように見ていた姉は、執事の言葉に卑しく歪めた唇を柔らかな微笑みへと変えた。

 柔らかな絨毯の上を進み、重厚な扉の前へと辿り着いた執事が、ノックの音を響かせる。


「旦那様、アルフレッドです。お客様と、御用命のものをお持ちしました」


 数秒、間が空いた後、両開きの扉はゆっくりと開かれた。

 頭を下げた執事が脇へと避ける。中へと進むと、薄く、喉に張り付くような甘い匂いがした。

 眼前に広がったのは大きなテーブル、並べられた空の食器。その奥に、ゆったりとしたカーテンに遮られて、古びた肘掛け椅子に座る男の、胸元から下が見えた。

 

 胸元から上は赤いカーテンに遮られていて良く見えない。肘掛に置かれた手も、黒い手袋によって覆われ、大きさから男のものだろう、と分かる以外には何一つ読み取れなかった。


 奇妙だ。明らかに、おかしい。

 シェリーはそっと息を呑むが、欲に目が眩んだ姉と母は気づいていないようだった。


「お招きいただき感謝致します、リファル伯爵」

「ああ、君がマリア・ノーランド嬢かな?」


 甘く、丸みを帯びた声が響く。優しげな印象を受けるその声は、しかしどこか錆び付いた、引っ掛かりを覚える声質だった。

 何故か、背中に冷や汗が滲む。どうしてだろう。

 シェリーは助けを求めるように母へと目をやるが、彼女は自分の娘が何かしでかさないかと注視するのに忙しく、気づく気配も無かった。


「噂に違わず美しい。どれ、もっと近くへ来て、顔をよく見せてくれないか」

「勿体無いお言葉ですわ。今、お側に」


 姉が、長いテーブルの脇を抜け、カーテンの向こうへと向かう。

 シェリーはその後ろ姿をぼんやりと眺めながら、妙に速くなる自身の鼓動を聞いていた。


 場にそぐわぬ甘い匂い。空の食器。カーテンの向こう側の伯爵。脇に控える執事。


 ふ、と、シェリーは何かに引き寄せられるように執事の顔を見た。見つめた。顔を合わせてからずっと、景観と庭園に目を惹かれ見逃していた違和感を見つけるべく。


「……あ、」


 ——執事は、ただの一度も瞬きをしていなかった。

 ガラス細工のような瞳が、優しげな笑みを浮かべてシェリーを見つめている。生気を欠片も宿さぬまま。


 気づいた瞬間、この場の何もかもが恐ろしくなった。


 何故急に落ちぶれたノーランド家に招待状が来たのか、どうして馬車は硬く施錠されていたのか、御用命のもの、とは何だったのか。

 分からないようで、分かるようで。妙に恐ろしい。どうにか、この場から立ち去ることは出来ないだろうか。

 そう考えたシェリーが足を引いた瞬間、劈くような悲鳴が響いた。


「いやぁぁああ————っ!?!」

「マリア!? どうしたのマリア!」


 カーテンの向こうから聞こえたそれに、シェリーも目を向ける。

 赤いカーテン。赤い絨毯。先程までと同じ色がそこにはあった。

 違うのは、姉の水色のドレスが、それらと同じく真っ赤に染まっていることだった。


 絶え間なく叫ぶ姉は、暴れまわりながらこちらへと逃げ出す。逃げ惑う姉の体にはカーテンが巻き付き、錯乱した姉はそれを引きちぎるように床へと転がった。


 向こう側が、露わになる。


「ひっ、ひぃ! 化け物——!」


 母が叫ぶ。驚きのあまり尻餅をついた彼女の少し後ろで、シェリーはただ呆然と彼を眺めていた。


 首から下は・・・・・、華美ではないが質の良い服に包まれており、見慣れた貴族と同じく権威と品格を漂わせている。

 だがしかし、首から上は、凡そ、人間と呼べるものではなかった。

 

 見た目は、図鑑で見たオオスズメバチによく似ていた。

 黄色と黒の入り混じる、複雑な作りの顔。揺れる触覚も、煌めく複眼も、大きく発達した顎も、どう見ても人間のものではない。


 引きちぎったばかりの姉の腕でゆるりと宙を凪ぎ、鮮血を撒き散らすリファル伯爵は、成る程、確かに母が零した通り、化け物としか言いようのない存在だった。


「あっ、あ、あ、私の、おかあさま、私の腕がぁ——!」

「ああ! ああ! マリア、マリア、私の可愛い子、なんてこと……!」


 姉の右腕は、肘から先が無かった。

 泣き叫ぶ姉の元へと母が走り寄る。母は千切れたカーテンの端で必死に傷口を抑え、それでも止め処なく溢れる血を見ると泣き叫んだ。


「どうしましょう、血が、血が止まらないわ! 貴方! 一体どういうつもりですの、私の可愛いマリアに、どうして!」


 涙声で詰る彼女の手も、見る見る内に赤く染まっていく。

 早鐘のように打つ自身の鼓動を抑えるように胸元を握り締め、シェリーはどこか遠くでその叫びを聞いていた。


「先日、面白い話を聞いたのだよ。ノーランド夫人」


 何一つ、変わることなく柔らかな声が落とされる。

 千切った腕を皿の上に乗せ、その腕を包む袖を剥ぎ取った伯爵は、ナイフとフォークで丁寧に姉の腕を切り分け始めた。


「近頃、年若い娘が姿を消しているのだとか。それは決まって——ノーランド夫人、貴方の古馴染みの店の近くで起こるそうで、ええ、もう二十人は消えているようだ」


 固まる姉と、母の前で、姉の腕が切り分けられていく。特別製なのか、随分と切れ味のいいそれは瞬く間に姉の腕を一片の肉塊へと変え、フォークに乗せられたそれは伯爵の口へと収まる。

 大顎の奥、口内へとそれを収めた彼は、二、三咀嚼すると、何とも残念そうな声音で呟いた。


「ああ、これは不味いな。貴方がたが売り飛ばした娘達の方が、余程美味かったに違いない」

「な、なん、なに、何を、言って」

「マリア嬢、ノーランド夫人。私は貴方がたの罪を問うことはしない。逆に、何を言われようと生かして帰すこともないが。正義を気取る気もないし、貴方がたが自身の過ちに気づいて、手を引けば私も見ぬふりをするつもりだったよ。ペドフィリアのマコヤック男爵も、シリアルキラーのフロゥキア子爵も、ネクロフィリアのダカイル伯爵も……度が過ぎなければ今も生きていただろうに」


 挙げられた名が、リファル伯爵の紹介で王都へ居を移した・・・・・・・・家のものだと気づくのに、あまり時間はかからなかった。

 そういうことに疎いシェリーですらそうなのだ、母と姉はとうに察したのだろう。話の途中から、失血していない母までが蒼白だった。


「は、伯爵様! 仕方なかったのです、わ、私達には後ろ盾もなく、夫を亡くし困窮した我が家を支えるにはこれしか方法が、」

「ああ、そういうのはいい。興味が無いんだ。重要なのは貴方がたが仕出かしたことと、私の腹が満たされることだから」

「たす、助けてください! 私はどうなってもいい、娘だけは、娘だけは! たす——、」


 叫ぶ母の言葉が途切れた。

 いつ間にか立ち上がっていた伯爵の手から、手袋が外されている。真っ赤に染まったそれは、形こそ五本の指と手のひらを持つが、顔と同じく人とは異なる代物だった。

 鋭利な刃物のように尖った指先が、母の首を薙いだのだ。そう、気づいたのは、その首がごろりと床に落ちるのと同時だった。


「あ、ああああっ! おかあさま、おかあさま!」


 喉を枯らすほど叫んだ姉は、母に抱きつこうと手を伸ばしかける。が、そこで脇に立つ伯爵に気づく。目を剥き、母の体を突き飛ばして逃げ出す。


「いやよ! いや! しにたくない、シェリー! シェリー、何を突っ立ってるの!」


 芋虫のように地を履い、無様に逃げ出した姉が泣きながらシェリーに縋り付く。

 顔面を血と涙と涎で汚し、泣き叫ぶ姉を見下ろしたシェリーは、この悍ましい空間の中、ぼんやりと逃避するかのように呟く心の声を聞いた。


 ああ、久々に選んだ洋服が早々に汚れてしまった。折角、五年ぶりに新しい服を貰えたのに。


 汚れを気にして身を引くシェリーに、姉は尚も縋り付く。


「シェリー! しぇりー、なんとかしてよ! あんたの馬鹿力なんて、こんな時くらいしか役に立たないんだから!」


 あ、と思った。

 思ってしまった。


 ————この人は、命の危機に瀕してすら私を軽んじるのだ、と。


 それが姉だけの責任だとは、シェリーにはどうしても思えない。後妻としてノーランド家に入った母が自分の娘である姉とシェリーに差をつけ、そうすることで姉を躾けやすくしようとしたのは母だ。

 昔、まだ姉がこれほど酷くなかった頃に、優しくしてもらった記憶がある。それを母によって捻じ曲げられ、矯正できないほどに歪んでしまった。言わば、姉も母の被害者である。だからこれまでは我慢してきた。

 でも、もう無理だった。

 死の淵に立ってまで目を覚ませないのなら、姉に期待できることなど一つもない。


 伯爵は先程、姉と母の名を口にした。断罪されるべきはその二人だと、はっきりと明言した。

 ならばシェリーはこの場では部外者だ。このあと殺されるにしても、今この場での、彼の手による殺戮の対象に、シェリーは入っていない。

 母が死に、姉もじきに死ぬ。もう、この二人に蔑まれ、虐げられる時間はやってこない。


 そう思うと、何だかとても晴れやかな気分だった。


 シェリーは軽やかに踵を返し、伯爵へと視線を向けると、それまで強張っていた顔に笑みを浮かべてみせた。


「伯爵様は、肉団子はお好きですか?」

「……嫌いではないよ。子供の頃はよく食べた」


 シェリーの言わんとするところが分かっているのだろう。伯爵は静かに笑うと、片手で部屋の隅に在るクローゼットを指し示し、踠き苦しむ姉を楽しそうに見下ろした。

 シェリーは足元に纏わりつく姉を蹴り飛ばしながらクローゼットへと歩みを進め、扉を開ける。


 そこには、金槌や鋸、大振りの包丁などが並んでいた。


 シェリーは今までで最も幸福で、最も充実した気持ちで口元を綻ばす。並んだ凶器を指先で愛しげに撫で、包丁を手に取る。地を這う姉の後を追い、その美しく嫋やかな髪を掴んだ。


 姉も、シェリーが何をするつもりなのか気づいたようだ。

 ひ、と喉を痙攣らせる音が聞こえた。


「いや、いやよ、シェリー、どうして、やめて、」

「随分と生きがいいのね、お姉様」

「やめて! 謝るわ、これからはあんたにもちゃんと、ねえ、シェリー! やめてったら!」


 涙声で叫ぶ姉に、シェリーは躊躇うことなく包丁を振り下ろした。




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