courage song
「よーし、それじゃあピアノは廉太でいいな」
「分かりました~」
それは、俺が3年の時の合唱発表会。
俺は幼いときからピアノを習っていたため、伴奏者に選ばれた。
「廉太のピアノ聞くの、2年ぶりだな。去年弾けなかったぶん、今年は金賞に向けて頑張ろうぜ」
「伴奏ミスんなよ~」
「ま、美菜ちゃんいれば金賞は確実だろ!」
LHRも終わり、クラスメイト共が俺に声をかけてくる。
美菜というのは、今年の春転校してきた現在高校生天才歌手《MINAMI》として人気沸騰中のクラスメイト。俺も彼女がいれば金賞は俺達だろうな、と気楽に伴奏者に立候補できたのだ。
「ほら、うるさい! 合唱練習始めるよ!」
指揮をする学級委員の男子の掛け声で、みんなが輪になって集まる。
今日やっとピアノが決まったので、俺もまだ男声パートの練習だ。
課題曲は『証』。
王道な合唱曲だが、これまた伴奏が難しいとも言われる曲。
一通りパート練習をした後、一回合わせて今日は解散になった。
俺の家にピアノはないため、学校に残ってキーボードを弾くことになる。
「俺も戻るけど、受験生なんだからあんまり遅くなるなよ」
「ほ~い」
先生が職員室に戻り、一人で練習をしていれば、Aメロまでしっかりと弾けるくらいにはなっていた。
このまま進めるか、もう今日は帰るか悩みながらもう一度最初から弾いていると、扉の方から声がかかった。
「そこ、ファソなくてソラよ。多分」
美菜が立っていた。
「あ、ほんとだ。悪いね。ありがと」
「いえいえ、どういたしまして」
「で、えーと……」
あれ、こいつの名字なんだっけ? 芸名がMINAMIだから南か? いや、南美菜はないか。
「美菜でいいわよ。みんなそうだし。私も廉太くんの名字思い出せないなぁ」
あ、ちょっと傷つく。やり返された。
「うん、本当にごめん。俺も廉太でいいよ」
「ふふ、分かればよろしい」
「で、美菜……さん? はどうしたの、こんな時間に」
「別に呼び捨てでいいのに」
美菜は自分の席まで行き、中からからノートを取り出した。
「忘れ物よ。廉太くんはまだ練習? 熱心ね」
「ま、家にピアノがないからな。もう一週間ちょいしかないし」
「うーん……ここの合唱発表会、スケジュールキツすぎると思うのよね~……」
「ははっ、美菜ほどじゃないさ。毎日毎日お疲れさん、お仕事辛いでしょ」
そう言うと美菜の動きが一瞬とまった。
「ん? どした?」
「ん~、いや、私の仕事の話を同情から始める人って初めてだから」
「あ~、そもそもみんなのあれは、同情じゃなくて心配か世間体だと思うぞ?」
「ま、そうね。というか、廉太くんは心配じゃないのか~」
「はい、同情の念を抱きます」
二人して笑う。
「それで、荷物の状態からしてそろそろ帰りですかな?」
「ま、荷物は関係ないにしろ帰るつもりではいたね」
「もうちょっと素直に返事してもいいと思うけど。じゃあ一緒に帰りませんか?」
「なっ、それは、ええと、あの……」
「冗談。残念ながら私は車でした。廉太くんって案外初心なのね」
俺をからかう美菜は楽しそうだ。
悪かったな、初心で。というかお前がかわいいのが悪いと思うね。
「じゃ、廉太くん、また明日」
「お、おう。じゃあな」
美菜は小走りになって教室を出ていった。
俺は、気晴らしにトルコ行進曲をキーボードで弾けるぶんだけ弾いてから帰った。
♪
翌日の放課後、また俺が伴奏の練習をしていると、これまた美菜が教室へ入ってきた。
「やあ廉太くん。今日も頑張ってるのね」
「あ? 美菜か。どうした、今日は」
「今日は毎週金曜8時から始まる某有名音楽番組の生収録なのです。で、マネージャーさんが直接学校に迎えきてくれるから」
「あ、そう。大変ですね~」
「何その適当感。別に今日は口パクだし、喋るのも多くないって言われてるけどね」
「それでも大変だろう。生ってことは約一時間緊張したままでいなきゃなんだから」
「あ、分かってくれる~? 大変なのよこのお仕事」
俺の一言一言に表情を変えてくる美菜はちゃんと楽しそうで何より。
二言三言愚痴を吐いてから美菜は口を押さえた。
「あ、ごめんね。なんか変な話しちゃった」
「別にいいさ。貴重な経験だよ」
「そう言ってくれると助かるわ。私は気にしないで練習に集中して」
美菜がそう言うので、俺はキーボードに向かう。
「そういや、美菜が教室で誰かと昼食べてるの見たことないな。どこで食べてるの?」
「それは遠回しに私の事をぼっちと蔑んでいるのね。そうですよ、どうせ私は中庭でぼっち飯ですよ」
「いや、そんなこと言ってないから」
その日はたまーにちょっとした会話をしながら練習をし、美菜が出る時間に合わせて帰った。
一緒に校門に出たら、マネージャーさんが「スキャンダルはもうちょっと後にして」と真剣な顔で言ってきたのは別の話。
♪
「で、美菜はなんで今日もいるのさ」
「う~ん……ごほんごほん、あ、あー、廉太くんといると、楽しいから、かな」
「いや、発声練習してからそんな甘い声と上目遣いで言われても」
「え~、萌えない?」
「萌えないね」
嘘です。結構効きました。
ってな訳で休みが明けた月曜の今日も、放課後練習を二人でしています。
「そろそろ完成ね。ラストサビの転調をもうちょっと頑張ればもう完璧よ」
「そこが一番の難点なんですけどね」
ラストサビの転調に少し時間がかかってしまうのが現在の壁だ。
「まあ、私に録なアドバイスはできないから、頑張れとしか」
「大丈夫。期待してないから」
「何を~? 天才少女に向かって」
「いや、それ自分で言っちゃいけないやつね」
美菜は笑って話をしている。
その後、一回だけ弾いて今日は止めることにした。
「いいの? 転調のところのリズムのズレ、直ってないけど」
「ま、こういうのって寝たらなんとかなったりするもんさ」
「そういうものなの?」
「そういうものなの」
不安そうな美菜を置いて教室を出る。
「今日は月曜日なので、夜10時に私のレギュラー生ラジオ番組があります」
「ま、起きてたら聞こうかな。俺基本9時半寝だけど」
「そんな高校3年生聞いたことないよ……」
「ま、がんばれよ」
俺が振り返ってそう言うと、美菜が目を見開いていた。
「ん? どした?」
「いや、廉太くんが初めて私の仕事に対して同情以外の反応をしたから」
「あ~、そう思うと俺凄いな。全然ブレないわ~」
「本当、その練習につきあってくれた人置いて行くところとか、ブレない性格してるよ」
♪
そしてまた翌日の放課後。
「廉太くん、今日私仕事で残れないから、ごめんね」
「ん? いや、元々来る必要なんてないんだし」
「それでも廉太くんは楽しみにしてるかな~って」
「別に。一人で集中できるから逆に嬉しいね」
「っ! いいよもうっ!」
そう叫んで美菜は教室を出ていった。
上手くできていた転調も、虚しく教室に響くだけだった。
♪
翌日の水曜日、最近するようになった挨拶も、今日はなかった。
「なあ、ギクシャクしてそうな今だから聞くけどさ、お前と美菜ちゃん付き合ってんの?」
授業中に前の席の男子が話しかけてきた。
「前の方にツッコミたいところだけどまあいいや。別に違えよ。逆になんでそう思うのさ」
「美菜ちゃんって、普通に話してる時テレビみたいな微笑みしてるけどさ、お前と喋るときだけ真顔なんだよ。だからちょっと気になって」
「それお前ツッコミ待ってんの?」
そんな笑い話のような話だったけど、俺はどうも気にとられた。
もし、もしだ。
もし美菜にとって人と話している時間がテレビに映る時のような緊張感だったら?
もし美菜にとって俺と話している時間が緊張感のない憩いの場(過剰表現)だったら?
だとしたら、俺は昨日酷いことをした。
そうでなくても、美菜は怒っていた。
「はぁ……なんか俺のキャラじゃない気がするけど」
昼休み、俺は中庭に出た。
「美菜、昨日はごめん」
美菜は俺を見て、微笑んだ。
「分かればよろしい」
して放課後。
「へぇ、本当にできるようになってる」
美菜は完璧に弾けた俺の伴奏を聞いて感嘆の声をあげていた。
「ちょっと私歌ってみようか。合わせようよ」
「ん。分かった」
~~~~~
「どうしたの? 上の空で」
「いや、すげえうまかったから」
合わせたときの美菜は凄かった。めっちゃ声きれいだった。こいつがソプラノパートじゃなく原曲の歌ってたら多分泣いてた。
「お前ってやっぱすげえんだな」
美菜の口角が釣り上がった。
「どした? 気持ち悪いけど」
「いや、初めて廉太くんが私の仕事を褒めたから」
「それ聞くと俺って結構酷い奴だな」
「本当だよ」
微笑んでいるだろう美菜は、照れているのかこちらを向いていない。
「ははっ、お前何照れてんだよ。いつも言われてるだろそんなの。可愛い奴だな」
「ちょ、は? か、かわ」
美菜は焦ったように鞄を拾い、教室を出ていった。
「きゅ、急用を思い出したので帰ります! じゃあね!」
「お、おう。じゃあな」
いや、なんかキャラブレてるけど大丈夫か? あいつ。
俺もなんかやる気を削がれたのでそのまま帰った。
♪
「なあ廉太、お前、ちょっと気を付けろよ?」
「ん? どした?」
翌日の授業中も、前の席の男子が話しかけてきた。
「美菜ちゃんのことだよ」
「あいつがどうかしたのか?」
「はぁ、まあ気にしてないとは思ったけどさ。この際だから言おう。お前はそこそこモテる」
「知ってる(笑)」
「そんなボケていいような話じゃねえんだけど。美菜ちゃんはあんだけテレビでちやほやされてんだ。そのうえあの可愛さ、そりゃあ妬みもある。そしたら最近、人気の高い廉太とやけに仲がいい。まあ妬みも強くなるさ」
「で、どうしろと?」
「ま、付き合ってねえならそんなに仲良くしない方がいいって忠告だよ。下手したら美菜ちゃんがいじめを受けるってこともありうる」
「先日はお見苦しい姿を……」
放課後、美菜は居心地悪そうにいた。
「ははっ、別にいいもん見れたし。そんな気にしなくていいと思うけど」
「いいもんって……」
溜め息混じりに美菜がそう言えば、空気も少しはいつもどおりになってきた。
「もう完璧ね。これも私が練習に付き合ってあげたお陰かしら」
「お前昨日からキャラブレブレだけど」
そう言うと、美菜は少し顔を赤くした。
「冗談言ってみただけよ。もう」
「ま、実際楽しかったからな」
美菜はいつもの微笑みに戻る。
「あ、そうだ。私明日仕事で来れないから、放課後いないよ」
「へぇ、じゃあこの練習も今日が最後って訳だ」
「そうね。あの、さ」
「ん? どした?」
「…………いや、なんでもない」
「あ、そう。やることもないし、今日は帰りますか!」
「そっか、じゃあね」
「おう、またな」
翌日、美菜がいないソプラノパートで、なにかこそこそとしていたが、何だったんだろう。
♪
土曜日。合唱発表会当日。さらに言えば出番直前。
中学の時の合唱発表会は、県立の音楽ホールだった。そこで伴奏をした時に比べれば、さほど緊張はしていない。
「3組、次の次だから準備しとけ」
「は~い」
みんなが体育館のステージ脇に移動する。
「なあ、円陣しようぜ」
とある男子から声がかかり、みんなが円になる。
「それじゃあ僕から一言」
「え、委員長いらない」
何か一声かけようとした学級委員は、女子の声に止められた。可哀想だなお前。
「ここは廉太くんから一言~」
みんなが頷く。やめろよ、俺何も考えてねえし。おい委員長、こっちを睨むな。
「ま、無難に。金賞目指して、声を出しきりましょう!」
おいそこの美菜、ショボいとか言うな。
「3組ファイト!」
『お~!』
ステージに登り、指揮者の礼の後伴奏の席に座る。
~~~~
前奏を弾き、ソプラノの主旋律が始まったところで、異変に気づいた。
ソプラノが、一人しかいない。美菜を残して全員口を閉ざしている。
木曜に言われた事を思い出した。「美菜ちゃんがいじめを受けるってこともありうる」
俺は歯を食い縛る。もう止めてやろうかとも思ったとき、この体育館に一つの美声が響いた。
美菜の、全力の歌声。
自然に笑みがこぼれ、俺は伴奏に集中する。
やがてアルトが主旋律に変わり、男声が加わり、ソプラノの異変は薄くなって行った。
そのまま2番に入っても、ソプラノの声は増えなかった。
2番が終わる。
気晴らしにラストサビ前の間奏を全力で弾く。もう鍵盤が傷むくらいのフォルテッシモで。
男声の主旋律。ソプラノの声はない。
ソプラノが主旋律に加わるとき、二人の少女が意を決したように歌いだした。
ちょっとした嬉しさか、ラストサビの転調がずれてしまった。
やばいと思ってたち直すと、クラスの全員が歌っていた。
体育館に一つの合唱曲が響く。俺のピアノの音が。クラスのみんなの揃った歌声が。美菜の芯の通った美声が。
最後の最後、コーラスが終わると、美菜は満足気に笑っていた。
♪
金賞は取れなかった。
当然と言えば当然だ。途中まで1つのパートが1人だけだったのだから。
それでも、それを責めるなんて事はなくみんなが後夜祭へ向かった。
「ねえ、廉太くん、ありがとね」
「何が?」
機材の片付けなどを手伝っているうちにみんな居なくなり、教室に戻ると美菜一人が座ってた。
「この1週間話してくれて。案外楽しかった」
「その言い方じゃ、もう話さないことになるわけだが?」
「え?」
唾を飲み込む。案外緊張はしてなかった。
「さっき思った。俺美菜が好きだ」
「え? は? え!?」
「るっせ。暇な時は俺と話してろ。それだけでいい」
「いや、暇な時とか極少ないんだけど」
「へぇ、そんなふざけられる余裕あんのか」
少ない余裕を振り絞って、俺はいたずらっぽく美菜に笑いかけた。
「いや、ご、ごめん」
美菜は顔を赤くして俺から逃げた。
ま、OK貰えるなんて毛頭思ってないからな。俺は後夜祭に参加する気もないので鞄をとって教室を出ようとした。
「そ、そうじゃなくて!」
美菜の叫び声が聞こえた。
「ん?」
「いっつもそうだよ。私待ってたのに先に帰ろうとして。あと、今のごめんはさっき言ったことに対して!」
「は?」
「テンパっちゃったの! 言おうとしてたこと先言われたから!」
「ほぇ?」
あれ、ヤバい俺全然ついて行けてない。
「だから! 私廉太のこと好きだから!」
「…………はい?」
いきなり呼び捨てにされたせいか思考が固まっていた。
「私、多分月曜あたりから廉太のこと好きだったから」
だんだんと思考回路が戻ってくる。
「っていうか何よ! さっき思ったって!」
「ご、ごめんなさい?」
あれ、今俺告白返されてんの? 怒られてね?
「ふぅ……、今のでお互い様ね」
「な、何が?」
俺が微妙に状況を把握できずにいると、美菜はため息を吐いて近づいて来た。
やがて決心したような表情を美菜がすると、
俺の頬に唇が触れた。
「携帯の番号。これから毎日お話すること」
まるで花が綻ぶかのように美菜は笑った。