神社生まれのJさん
魔法陣。私が最初に認識したのは、足元のそれだった。
そして、顔をゆっくりとあげる。
いくつかの足が、私達に爪先を向けている。見られている。感じた私は、一番近くにいる人間を見た。
Jさんだ。神社生まれの彼女は霊感があるらしく、今日も私に何かあると感じて、それを教えに来てくれたのだ。その矢先の出来事がこれだ。
「成功だ」
声音からして男性だろうその人物は、彼?からして斜め後ろにいる鎧を着た男性に、喜びを含んだ声をかけた。
私達の一番近くに立っていた人物は真っ黒なマントを着ており、目深にフードを被っている。だからこそ、私は彼?を男性と断定出来ない。世の中には声が低い女性もいるのだ。
それにしても、何が成功なのだろうか。首を傾げる私に、振り向いた彼?は高らかに謳いあげた。
曰く。私達が立っているこの場所は地球ではなく、異世界である。
曰く。この世界は魔王に侵攻され、危機に瀕している。
曰く。神様から各国の王に、異世界の勇者を呼び出して倒してもらえという神託があった。
曰く。王様に命令されて魔法使い(黒いマントの人)がすごく頑張って私達を呼び出した。
曰く。だから魔王を倒してね☆
Jさんは魔法使いの言葉をふむふむ成る程そうなのか、と丁寧に聞いていた。身振り手振りを交えて語られたそれらは、実に真に迫っていて、実に悲壮感があふれていた。しかし、私はエージェントや警察や格闘家ではない。急にアンタは勇者なんだから魔王を倒しなさい、と言われても困る。
帰して欲しい、と私は言った。Jさんも同じように言った。魔法使いはその言葉は当然予想していたのだろう。すぐには無理だと答えた。
私達を呼び出すのにも色々と貴重な材料を使って魔法陣を書き、魔力を結集したのだ。すぐには不可能である、と。
しかし魔王を倒してこの国に帰ってくるまでには帰還の準備をしておくと約束する。
必死で言い募る。魔法使いの後ろにいた男性も援護射撃をする。
王は約束を違えない。魔王討伐の旅には自分も同行する。凄腕の騎士だから心配しなくていい。あなた方は必ず守る。
そこには「帰さない」という意思が透けて見え、私はとても困ってしまった。
きっと、魔法使いが帰そうと思わなければ、私達は帰れない。そして帰そうと思わせるには、魔王を倒さなければいけない。それはどれほど危険で、どれほど時間のかかる事なのだろう。
私は考えこんだ。考え込もうとした。
その時、Jさんが「よいしょ」と呟きながら繊手を振るい、めきょめきょと空間を割り開いた。
二人が呆気に取られている隙に、彼女は私を引き寄せると、開いた空間へ体を滑り込ませる。そんな馬鹿な、と口をぱっかり開けたままの魔法使いと騎士を置き去りに、私達を飲み込んだ割れ目はふつりと閉じた。
パッと現れたのは見慣れた神社だった。Jさんは瞬きを繰り返す私に怪我がないことを確かめると、気をつけなよと言って颯爽と神社に入って行った。
神社生まれってすげい。私は思った。
***
また魔法陣だ。私は先日訪れた部屋に立っていた。足元には魔法陣。目の前には魔法使い。斜め後ろには騎士。隣にはJさん。デジャヴュ。
魔法使いは私達の姿を認識すると、お久しぶりですと声をかけた。私達にとっては数日ぶりなのだが、魔法使いにとってはそうではないのだろうか。
私とJさんは約一週間ぶりに会っていた。私がJさんに先日のお礼を持って行き、Jさんがそんな丁寧なことはいらないと押し問答をしていた時だ。ピカリと足元が光った。
そういえば、異世界から人を呼ぶのは準備にとても時間がかかると言っていた。Jさんも同じように思ったのか、そのことを聞くと、魔法使いは言葉を詰まらせた。異世界だから時間の流れも違うのかと勝手に想像していたが、そうではないらしい。
準備にとても時間がかかる作業を、数日のうちに再度行うとは、魔法使いはとても頑張ったんだなぁ、と私は感心した。それだけ必死に、国を挙げて魔王の侵攻を食い止めようとしているのだ。勇者とやらにはなれないが、出来る事はしてあげたい、と私は思った。Jさんも晩御飯までならいいよと頷いていた。
魔法使いと騎士はとても喜び、とても悲しんだ。
協力してもらえるのはとても嬉しい事だ。
しかし勇者になってもらえないのはとても悲しい事だ。
どうしても勇者になってもらえませんか、と懇願する魔法使いに、私とJさんはきっぱりとそんな恥ずかしい肩書は嫌だと答えた。私は中学生じゃない。
それならば神子はどうでしょう、と騎士が提案した。神の言葉によって呼び出された存在であるし、肩書など立場さえ分かりやすければいいのだと。
Jさんは巫女ならば構わないと頷いた。私もそんなのでいいのかと思いつつ、巫女さんというものにはちょっとした憧れがあったのでOKを出した。
自分の提案(神託からの共通認識だが)を蹴られ、騎士の提言を採られた魔法使いはちょっぴり恨めしそうだった。しかし仕方ない。私はともかく、Jさんは神社生まれなのだから。
***
勇者改め巫女の私達は王様と対面していた。数段高い場所から椅子に座って見下ろしてくるおっさんに若干不機嫌にはなったものの、腰の低い王様というのも王様業に向いていないだろうと思い直した。王様業をやっていくにも色々あるに違いない。私はそれなりに大人なのだ。
王様に神子になってくれたお礼を言われ、どういたしましてと言いながら、Jさんはつかつかと王様に近付いた。
王様を守るための兵隊が止まりなさいと怒声をあげたが、Jさんの足は止まらない。兵隊がJさんに剣を突き付ける直前、Jさんが「よいしょ」と床を蹴り、姿が消えた。その二秒後、王様の頭の上から牛を屠殺したような声が聞こえ、黒い羽と黒い角を生やした人間の形をしたものが落ちてきた。魔法使い(いた)は悪魔!と叫んだ。騎士は結界が張られていた筈じゃないのか!と別の魔法使いらしき人を怒鳴りつける。
剣に手をかけた兵隊が、魔法使いや騎士や兵隊にも分からなかったのに、Jさんには何故悪魔がいると分かったのか聞くと、Jさんは「女の勘」と答えた。
神社生まれってすげい。私は思った。
***
魔王の部下らしき悪魔を捕まえた後、何人かの魔法使いが慌てて調べると、城を(特に王様を)魔王から守る為の結界を張っていた魔法使い達が洗脳されていたと分かった。だから結界が作用しなかったのだ。
勇者召喚の動きを知り、勇者を殺すべく侵入したが、召喚された気配(魔力の揺らぎ)はあるのに、勇者の姿はさっぱり見えない。だから何かあるに違いない、と機会を窺っていた。
勇者を召喚しろと言われた国の中で、真っ先に動いたのがこの国であり、出鼻をくじいてやろうと思っていた、と悪魔は自白した。
人間なんかには屈しないぞと気を張っていた悪魔から情報を引き出したのはJさんだ。
流石は神子様、と褒める大臣によせやいと返す。そしてさりげなく問われた悪魔さえも口を滑らせる尋問法は「死人に口あり」とだけ返した。大臣は何のことかよくわかっていなかったみだいだ。
神社生まれってすげい。私は思った。
でも自分の肩の後ろが妙に気になるようになってしまった。
***
人を殺そうとするなんていけないことだから、ちょっと止めなさいと言ってくる。
Jさんはそう言うと、騎士のお尻を蹴っ飛ばして馬車を用意させて、魔王のお城に出発した。帰ってきたのは数時間後だ。私が魔法使いに晩御飯を用意してもらってる最中に、Jさんと、Jさんのうしろから魔法使いみたいな服を着た人を引きずりながら騎士が歩いてきた。
私が慌ててJさんに駆け寄ると、Jさんはグッと親指を立てた。他に言葉はいらなかった。
神社生まれってすげい。私は思った。
騎士が引きずっていたのは、思った通り、魔王だった。白髪で、角が生えていて、目が赤くて、歯がギザギザしている。魔王っぽい魔王だった。
夜なのに急に呼び出された王様が不機嫌になりながら大慌てで謁見室に来ると、本当に魔王がいてびっくりしていた。
一応威厳っぽいものを張り付けながら、王様よりもっと不機嫌そうな魔王に、何で人を殺そうとするのかと聞くと、奥さんを人間に寝取られたからと答えた。魔王が魔王なのに顔を真っ赤にしていた。確かにそんな事を他人が大勢いる前で言うのは恥ずかしいに違いない。
そして魔王がぼろ雑巾みたいになっていた理由も分かった。八つ当たりで人間皆を殺そうとした魔王を、Jさんが沢山怒ったのだろう。ちらっとJさんを見ると、すごく怖い笑顔をしていた。おしっこ漏らしそうになった。
魔法使いや大臣はないわー、という顔をしていたけど、王様はすっごくよく分かるー、そりゃ腹立つよねー、みたいな顔をしていた。過去に何かあったみたいだ。
でもそんなことは私もJさんも関係ないので、二度とこんな家庭の事情で世界を巻き込んだ八つ当たりをするんじゃないぞ、後は王様同士で片をつけるように、と言い含めて、いつも通りよいしょと帰ろうとしたら、魔王がJさんの腕をつかんだ。魔王がキラキラした目で「嫁になれ!」と言った瞬間、Jさんがよいしょと言いながら踵を魔王の股間にめり込ませた。私の目には足の動きは見えず、気付けば踵と魔王の息子がごっつんこしていた。
神社生まれってすげい。私は思った。
呻く魔王を置き去りにして、私とJさんは割れ目をくぐって神社に戻った。
***
私とJさんは3度、魔法陣の上にいた。
前回から数年。私も子持ちになり、Jさんは神社を継いでいた。
また何かあったのかとちょっと老けた魔法使いに聞くと、結婚式に出席して欲しいと言われた。お目出度い事なので、参列するのは吝かではないけれど、御祝儀も何も持っていない。
けれど魔法使いは身一つでいい、と言った。
Jさんが誰の結婚式なのか聞くと、魔法使いは顔を真っ赤にして、「私と彼の」と言った。何と、魔法使いは女性だった。そして、彼とは魔王だった。
思わず寝取られ男でいいの?と聞きそうになった私だったが、我慢した。Jさんは我慢出来ず聞いていた。
けれど魔法使いはそこがいいと言った。ちょっと意味が分からない。Jさんは何となく分かったようで、嫌そうな顔をしていたけれど、魔法使いが幸せそうなので「お幸せに」と言っていた。
結婚式はつつがなく進み、私も美味しいご飯をふるまわれて、とても嬉しい気持ちだった。教会がやたら黒かったり、参列者の半分が角が生えていたり牙があったり目が三つあったりと人間じゃなかったけれど、みんな笑っていた。
魔王と魔法使いがJさんと私に近付いてきて、こんなに幸せになれたのは私たちのお陰だとお礼を言ってきたが、Jさんはよせやいとそっぽを向いて、ついでに「よいしょ」と空間を割ると、やたら白くて光る人型の何かを取り出した。
びっくりする二人や参列者を余所に、Jさんは人型の何かを小突くと、二人が末永く爆発しながら幸せであるように祈りなさい、と命令した。人型の何かも私達と同じようにびっくりしていたが、Jさんにもう一度強く小突かれると、慌てて大きな声でみんな幸せになぁーれ!と言った。
すごく神々しい声で、しかもすごく大きな声だったので、私は世界中に響き渡ったんじゃないかと思った。
宴もたけなわですが、というお決まりの文句が出たところで、私とJさんは一緒に帰った。
神社に戻り、別れる前にあれは誰なのかと視線で聞くと、Jさんは悪戯っぽく笑って「あれはあの世界の神様だよ。きっと、みんな幸せになるね」と言った。
神社生まれってすげい。私は思った。
私は猫である。