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第一相談者 「ぬっぺんぽう」

 目を覚ますと、そこは天国だった。

 綺麗な花が生えている、空が青い、天使が飛んでいる。

 ……なんてことはまるでなく、なんだか薄暗い場所にいた。ちょっと埃っぽい。

 というかそもそも「目を覚まさないために」自殺をしたんだから、今こうして意識がある時点で、もしかしたら失敗してしまったのだろうか。

 そう考えると、とたんに怖くなってきた。首吊りを失敗すると最悪寝たきりになる、という情報はすでにネットで有名だった。そのあとは、死ぬよりも辛い人生が待っているらしい。

「いやだ、怖い!」

 心に浮かんだことが、口に出ていた。

「…………あれ、喋れる?」

 どうやら、まだ喋ることはできるらしい。

「貴様の口を、糸で縫ってやることもできるんだぞ」

「!」

 今更になって気づいたが、僕の両手両足は縄のようなものでガチガチに縛られていた。

「まったく、私の庭に入った挙句、自殺までしようとするとは……何度殺しても足りぬわその罪」

 なんだかわからないが、この目の前の女? 暗くてよく見えないがめちゃくちゃ怒っているらしい。神主さんか?

「あ、あの、神社に勝手に入って……ごめんなさい……」

 もうなんだか、死ねなかった悲しみと、今も生きていることへの安堵感で、心がとっても疲れていた。

「はあ? お前、はあ? 謝ってなあ……済むんならなァ……閻魔大王はなぁ……いらねえんだよゴルァ!」

 巻き舌で恫喝された。

「しらねーよ……もうどうでもいいよ……」

「アァ!?」

 今にも女の握りこぶしが飛んできそうなところで、部屋の外からドタドタと足音が聞こえ、

「お取り込み中すみません! 社長、『難アリ』が到着いたしました!」

 人形劇で裏方のスタッフが着る黒子のような格好をした男が勢い良く戸を開けた。かなり急いでいるようで肩で息をしている。

「ッチ、予定より早かったな」

 女は舌打ちをすると、僕に向き直って、

「ついてこい、初仕事だ」

 と言った。

 神社内の一室に監禁されていたのだろうか、廊下の明かりに照らされた彼女は、長い和服に身を包んだなんとも妖艶な姿をしていた。



「ついたぞ、入れ」

 連れて来られたのはプレハブ小屋のような建物だった。自殺を図った場所からさほど離れていなくて、境内の中に併設されている。

 夜中だからか、ポツンとした小屋は妙な違和感をかもし出していた。

「ちょっと待ってください、仕事ってなんですか?」

「ぬしに質問する権利はない。お前は私の所有物になったからな」

「え? ちょ、それってどういう……」

「とにかく、この中にいる奴に、仕事を紹介しろ。教えることは、それで以上だ」

 彼女はキセルの煙をぷかぁと吐いて、僕が監禁されていた本殿に戻ってしまった。

「……どうしろってんだよ」

 一つしかないプレハブの窓には薄いカーテンがひかれていたが、蛍光灯の明かりは漏れている。なかに誰か居るのは本当なのだろう。

「というか僕って、結局死んでるのかな」

 自分の手や身体をよく見てみる。

「透けては……ないな」

 感触もしっかり残っている。

「まあ、考えてもしょうがないし、とりあえず入ってみるか……」

 僕はしぶしぶドアノブをひねると、中から強烈な腐臭がしてきた。

 まるで肉を腐らせたときのような、とてつもない臭い。

「くっせ!」

 反射的に声が出る。それくらい、臭い。なんかもう、匂いの暴力だ。

 嗚咽をしながらドアを最後まで開けると、つるっとした白いタマゴのような巨体が目の前に立っている。臭いの塊のような存在で、

「ど、どどうも、はじめまして、わたくし『ぬっぺんぽう』と申します……」

 僕は悪臭の原因に、丁寧に挨拶された。



 プレハブ小屋には、真ん中に四角い茶机がひとつと、向かい合うようにして置かれたパイプ椅子以外には物が殆どなかった。季節が夏前だからか、いかにもボロい扇風機がちょこんと置かれているが、これさえも動くかどうか怪しい。

 僕はとりあえず椅子に腰掛け、『ぬっぺっぽう』さんと向かい合う。

「は、初めまして、僕は榎本と言います」

「よ、よろしくお願いします『ぬっぺっぽう』と申します。本日はお忙しい中時間を割いていただき……」

 ぬっぺんぽうさんは緊張しているようで、どこか落ち着かない様子だった。

 ただ再び丁寧な挨拶をされようと、正直目の前の異様な状況に、僕はまだ順応できていなかった。

 たぶん、いや、絶対――


 ――ぬっぺんぽうさんは、人間ではない。


 悪臭と明らかにお化けのような外見で、自分自身の常識が破壊されていくようなこの部屋を次第に「あ、これはもしや夢なのかも」と思い始めたのも無理はないと思う。そう考えると少し気が楽になってきたので、机の上に置かれた書類を見てみることにした。

 それはどうやらぬっぺんぽうさんの、人間で言う「履歴書」や「職務経歴書」のようなもので、いままでの経歴が書かれていた。

 あ、これなら、僕にもできるのかもしれない……。

「はあ、では書類を拝見させていただきます」

 奇遇なことに、辞めてしまった前職が「人材派遣会社」だったので、こんなかんじのことは一応やったことがあった。仕事を探している人に対して、自社が契約を結んできた企業をマッチングさせ、その企業から「成功報酬」としてお金をもらう……まあ僕はそれで業績がなかなかあげられなくて、結局辞めちゃったんだけど。ともかく、自殺しようとしたあとまで、この仕事をすることになるとは思わなかった。

 ただ今回は働いていた時とは違って、僕の服装はスーツではなくジーンズ&パーカーだし、相談相手は人間ではなく(恐らく)お化けだった。

 本当は、もう仕事をするようなテンションではなかったけれど、全部投げ出して、逃げ出してよかったけれど、人(お化け)の良さそうな方だったので、とりあえず今は目の前のことに集中する。

「はい、ありがとうございました。ええと、東京都・妖怪区・妖怪の谷出身で……」

 妖怪区……妖怪区!? なんだその区!?

 さっそく集中が切れた。

「妖怪区……妖怪区ですね……ええ~っと」

知ったかぶりした方がいいかな……でも「こいつ使えねーな」と思われたらどうしよう……。相手が人間じゃないだけに、人間を相手するよりも何倍も怖くなってきた。

「すいません、妖怪区ってなんですか?」

「え? あ、あの、妖怪区は妖怪区ですよ……ね?」

 ぬっぺんぽうさんも、申し訳なさそうに返してきた。

「あ、もしかして、新人さんですか?」

 こちらの状況を汲み取ったぬっぺんぽうさんから、逆に訊いてきてくれた。すごく体臭はくさいけれど、本当はいい人かもしれない。ぬっぺさんと呼ばせていただきたい。

「そうなんですよー! 実はさっきいきなり、お前はこれをやれ、とか言われちゃって、困りますよね~」

「あはは、そうですね」

 ぬっぺさんは優しく笑ってくれた。目は瞼が垂れ下がっているのでよく見えないし、鼻は僕のゲンコツより大きいので、それが「笑っている」のか定かではないが、朗らかで温かい印象は受けた。

「でも安心してください、前職が似たような業種だったので、完全なる未経験ということはないです」

 ぬっぺさんのために精一杯頑張りますと付け加えると、さらに表情が柔らかくなったように見えた。ただ臭いは気のせいか増している気がする。

「あ、ありがとうございます。初めてです、相談員さんにこんなに親身になってもらえたの……」

 垂れ下がった瞼の向こう側で涙ぐんでいるような気がした。

 この人(妖怪?)なりに今まで大変な想いをしてきたのかもしれない。そりゃ、こんな強烈な匂いがすれば、周りから疎まれてしまうのも想像できてしまう。

「わたしは、やはり臭いがすごいので……」

 僕は言葉に詰まってしまった。本人自身が、自分のコンプレックスを語る時というのは、なにかこう、どういう表情をしていいのかわからなくなる。気を遣えばいいのか、もしくは下手に腫れ物を扱うようにしないほうがいいのか……。

「そ、そうですかね」

「いいんですよ。私たち一族には代々伝わる神聖なものなんですけど……周りにはそうでもないので」

「一族、というと、やっぱりぬっぺさんは妖怪……とかの類なんでしょうか」

 自分から腹を割って話してくれたので、僕もわからないことはどんどん聞いてみることにした。

「そうですね。キュウ子様が経営されている『妖怪派遣』は、妖界でもかなりの大手で評判なんです」

「キュウ子様……ってもしかしてあの」

「はい、先ほどキセルを咥えられていた方です。たしか『九尾の狐』の末裔だったかな……?」

 九尾……僕も名前だけならアニメや漫画で色々と見たことがある。少年漫画の主人公だったり、ゲームのキャラクターだったり。基本的には、かなり力のある妖怪のイメージだ。そういえばこの神社も「稲荷神社」だったような……。

 もしかすると、僕はとんでもない奴の家で自殺してしまったのかもしれない。

「僕は人間なんですけど、いや、人間だったのかな? ともかく『九尾』っていうと、妖怪たちの中でも、かなり強い妖力が描かれている書物が多かったのですが……」

「そうですね。ただ、そういう人たちはキュウ子様を含めて一握りだと思います。あの一族は生まれ持っただけで莫大な力があるわけではないので……のし上がるにはそれなりの努力が必要な種族だと思います」

「ぬっぺさん、お詳しいんですね。勉強になります」

「いやいや、国立妖怪大学を出ていれば、こ、これくらいの知識は持っていて当たり前ですよ」

 国立、妖怪大学。そんな大学を文科省に提案したら卒倒しそうな名前だな……。

「国立って言うと、僕たち人間の認識だと「頭いい」イメージなんですが、大学卒業後の会社はなんでニヶ月でやめてしまったんですか?」

「それは……」

 ぬっぺさんは口ごもった。

「あ、別に言いたくなかったら全然大丈夫です。ただ面接の時とかに『辞めた理由』ってのは聞かれると思うんで、その対策のために聞いておこうかなと思っただけで」

 心なしか、ぬっぺさんはその大きな図体を小刻みに震わせているように見えた。深呼吸して、話し始める。

「実は、その……この臭いが原因で、イジメられてしまいまして。アハハ……まあ、あ、当たり前ですよ。周りにとって臭いんだったら、わたしだってのけものにしようと思いますし……」

 それで、自己都合退職をするように追い込まれまして……と、ぬっぺさんはぽつりぽつりと語った。

 確かにぬっぺさんは臭いけど……ひどいな。

 僕の住んでいた日本では、人は等しく「職業選択の自由」が認められているけれど、ぬっぺさんを入社させたということは面接や選考の段階でこの臭いのことは分かっていただろうに……。

「そうだったんですか……ところでぬっぺさんや妖怪の方たちって面接に行く時なんかはどうするんですか? なんというかその、容姿とか。人間界にある会社に就職するんですよね?」

 恐らくそのまま行ってしまえば、仰天されるか「未確認生物だ!」として捕らえられてしまうだろう。

 僕の疑問に対してぬっぺさんは、

「それは大丈夫です。選考時と、そして内定が決まって実際に働いている期間は、キュウ子様から『人間証』という物がもらえるんです。それと同時に戸籍や人間らしい名前ももらえて……わたしたち妖怪の名前は、人間では読めないことがほとんどですから」

「そうなんですね」

 そんな仕組みなのか。色々と突っ込みどころはありそうだけれど、ぬっぺさんから聞いた話では妖怪は人間に紛れて働いているそうなので、そこらへんはバレないようにしっかりしているのかもしれないな。じゃなきゃ大騒ぎになってしまうし。

「ええ。わ、わたしはまだ三八〇歳ですが、そろそろ病気で寝込んでいる母のためにもやはり安定した収入がほしいのです」

 ぬっぺさんが続ける。

「次の『おしごと』は、できれば長く続けられそうで、こんなわたしでも『働かせてもらえる』ような職場を望んでいます」

「お母様が……わかりました。ぬっぺさんに合う職場を見つけてみます」

まだ三八〇歳という「まだ」がイマイチよく分からなかったけれど、たぶん妖怪からすればまだ若いのだろうか。ともかく僕は手元に広げられている求人票に目を通した。簡単な事務作業や経理作業から営業、はては技術系の職種から飲食まで、そのジャンルは多岐にわたっていた。人間界の求人を片っ端から奪ってきたのだろうか……?

 ただどうしても、ぬっぺさんを紹介するとなると、職場への臭いも気にしないといけないし、接客や営業なら対人への臭いもしっかり考えないといけない。

 そう考えると、ぬっぺさんがこの「妖怪派遣会社」を頼ってくるだけあって、かなり難しい就職活動になりそうなのは僕にも分かった。

 でもこの人は、いや、この妖怪は「自分のハンディ」をちゃんと理解しているし、その上で「人や社会のため」にしっかり仕事をしていきたいという考えが見えてくる……。こんないい人、いや妖怪を、就職させないなんて世の中おかしいだろ! 絶対に最高の仕事を見つけよう。ぬっぺさんのために。

「すみません、ちょっと他の求人票も持ってきますね。色々と検討してみましょう」

「お、おねがいします」

 ぬっぺさんは深々と頭を下げた。

 僕はプレハブ小屋から出て、本殿へ向かった。境内を照らす電灯には、沢山の羽虫が群がっていた。



「あの~、すいませ~ん……キュウ子様ってどこにいますか」

 申し訳なさげに訊ねる。本殿の中は、思っていた通りの「和風」な作りで、意外と広く旅館のような内装だった。

受付かと思われる男に「あっちだよ」と指をさされた。奥につながっている廊下だ。

「ありがとうございます」

 僕は廊下をぺたぺた歩き「社長室」と書かれた和室の前に立つ。声をかけようとすると、勝手にふすまが開いた。

「なんの用だ」

 部屋の奥に置かれている大きな文机で、恐らく事務処理をしていたのであろう大量の書類に埋もれながらキュウ子様、もとい社長は聞いてきた。

「お前、まさか仕事をほっぽりだしたんじゃねえだろうな……?」

「ちっ、ちがいます! ただ、ぬっぺっぽう様に合う求人がなくて、それで違う求人票を見せていただきたいなと思いまして……」

 慌てて言うと、社長は不機嫌そうに、

「フン、仕事もできねえ奴が、偉そうに『求人票をください』だぁ? んなもんねえよ!」

 と吐き捨てた。

「ちょ、ちょっと待ってください。あれだけ沢山のジャンルの求人を扱っているならば、他の求人票があってもおかしくないでしょう」

「ねえもんはねえんだよ! 『難アリ』に使う求人なんてな!」

「そんな……ん? 難アリってなんですか?」

 そういえば、さっきも聞いたような気がする。

「難アリっていうのはな、『企業に紹介しにくい、要注意人材』ってことだよ」

「!」

 なんだよ、なんだよそれ……。人間だって、妖怪だって、そんな簡単に区別していいものなのかよ……。

 ムラムラとこみ上げてくる怒りを感じながら、僕は自殺を決行する前、働いていた会社で上司に言われたことを思い出した。「あのな榎本、売れなさそうな人材を面倒見てたってしょーがねーんだよ。そういう奴らはな、八百屋で言うところの『腐りかけの野菜』なんだよ。もう手遅れだから新鮮で売れそうな、カネになるやつだけ相手にしろ」そう上司に言われて、納得できなくて、会社を辞めようと思ったんだっけか……。

(せっかく来てくれた人材に、勝手に『難アリ』なんて烙印を押すのは失礼じゃないか!)

 と、この目の前の和服美人に言おうとしたけれど、なんとも怖くなってきた。あの時もそうだった。結局言い返せなくて、自分の無力さを思い知らされたんだ。

「ともかく、新しい求人票が欲しいなら、そのへんに落ちているのをテキトーに拾ってマッチングさせろ」

 社長がそう指さした場所には、乱雑に置かれた書類が広がっていた。

「え、こんな……」

 どうせなら格調高い漆塗りの棚にきちんとファイリングされて置かれている求人票が目の前にあったのでそちらがイイと言おうとしたところ、

「あ? なんか文句あんのか?」

 鋭い眼光で睨まれた、何も言い返せなかった。この時ばかりはつややかでまるで地毛のような長い金髪も、その恐怖を助長させる武器にしか見えない。

「なんでも……ないです。いただきます」

 僕は地べたに落ちている書類をいくつかポツポツと拾って、社長室をあとにした。



 その日は「どうも良い求人が見つからなくて、ごめんさない、また明日来ていただけませんか?」と言ってはぐらかし、ぬっぺさんには帰ってもらった。まさか「あなたは『難アリ』なんで、求人なんてマトモなのがありません」と言うわけにもいかない。

 壁にかけられた時計を見ると、もう深夜の三時になっていた。

 プレハブ小屋からぬっぺさんが出て行ったあとも、しばらく拾ってきた求人票を眺めていようと思った。けれど、よくよく考えてみると、僕はさっきまで自殺しようとしていた人間で、それをなんだかわからないうちに仕事を任せられ……カウンセリングが終わって一段落ついた今、疲れがどっと出てきた。

 カクンカクンと、何度も寝落ちしそうになりながらなんとか堪えていると、プレハブのドアが開いた。

「おい、お前は今日からここで寝泊まりしろ」

 そう言って、社長は布団一式を床めがけて投げ込んだ。

「え、ここでですか?」

「ああ、屋根があるだけマシだと思えよ。感謝しろよな」

 踵を返して本殿へ戻ろうとした社長に、居ても立ってもいられず僕は聞いた。

「あの……あの! 僕は、僕はもう、死んでいるんですか?」

 彼女が立ち止まる。振り返らずに、

「ああ、死んでる」

 と、いたって平坦な口調で言った。

「ただ、本来『死後裁判』へ行くはずの魂は、私が縛って封印しているから、天国にも、地獄にも行けない。私の気が済むまで、お前はタダ働きさせる予定だ。所有物っていうのは、そういう意味だ」

 ま、自殺した奴なんて、総じて天国にも地獄にも行けないけどな。と付け加えた。

「そ、そんな」

「お前はもう、死んだんだ。人間らしい生活なんて、今までどおり送れると思うなよ」

 そう言い終えると、プレハブ小屋のドアを閉めて行ってしまった。



 むせ返るような悪臭で、目が覚めた。

 眼前にはぬっぺさんの大きな顔があった。

「おわっ!」

 慌てて布団から出ると、ぬっぺさんは、

「す、すみません、勝手に入るつもりはなかったんですが、ノックしても声がしなくて」

 それで、入ってしまいました。と言った。

「こ、こちらこそすいません。思ったより寝てしまってて、今は……ってもうこんな時間!」

 壁がけ時計を確認すると、もう午前十一時をまわっていた。ぬっぺさんと予定していた時刻よりも、一時間も過ぎてしまっている。

「ごめんなさい!」

「いえいえ、大丈夫ですよ」

 ぬっぺさんは優しく微笑んでくれた。会って二日目ともなると、多少は表情の読み取りが正確になってきた。

「ただ、とてもぐっすり眠っていたので、起こすに起こせなくて」

 お互い笑ってしまった。

「それでは、はじめましょうか」

 そう言おうとした時、社長がやってきて「ちょっと来い」と首根っこをつかんできた。やばい、寝坊して予定をすっぽかせたのがバレてしまったのだろうか。絶対怒られる。

 プレハブ小屋から離れたところへ連れて行かれ「す、す、すみません」とフライング謝罪をかましてやろうと思った矢先、思いもよらぬことを言われた。

「お前ら、今日は外でカウンセリングしろ」

「え、それはどういう……」

 社長はキセルをくゆらせながら言う。

「お前らな、臭くてかなわん。他の社員や利用者からも苦情が出ててな、だから『難アリ』のせいで他の収益にまで影響があるようならいっそ外でやったほうがいいと思ってな」

「そんな……!」

 あんまりだ、そんなことってないだろう。

「じゃあなんで、ぬっぺさんをウチで世話しようと思ったんですか! こんな風に扱われるなら、最初から断るなりすればよかったじゃないですか!」

 抑えきれない怒りを、とうとう僕はぶつけてしまった。

「だいたいアンタら上司はいつもそうだ……自分の立場さえ守れりゃ、あとはどうなってもいいと思ってやがる……そのせいで嫌な思いをすんのは下の人間なんだよ」

 心臓の鼓動が上がってきているのがわかる。普段からため込んでいた、自殺する前の上司への不満も一緒にぶつけてしまっていると気づいたのは、言い終わってからだった。

「ぬっぺさん、ねえ。随分仲良くやってんじゃない? ならお前が最後まであのグズの面倒を見ろよ」

 じゃあ、あとは頼んだぞ。そう言い残して行ってしまいそうな社長の肩をつかむ。

「ちょ、なんですかその言い方……」

 しかし掴んだはずの肩はそこにはなく、僕は数秒後地面に転がっていた。

「あんまり調子に乗るなよ、人間のクソガキ風情が……」

 仰向けに倒され、社長が馬乗りになっていた。背丈は同じくらいなのに、身体が岩のように重い。

 僕の髪の毛を掴み、顔を近づけて社長は言う。

「お前ごときが収益をあげられるなんて、微塵も思っちゃいない。お前はせいぜい、他の従業員のじゃまにならないよう『難アリ』をテキトウにさばいていけばいいんだよ。重要なのは『応対はした』っていう結果だ。応対さえすりゃ、就職できないのはその妖怪のせいになるからな」

「でも、でもそんなのって!」

 反論しようとするが、彼女の体重がさらに増す。

「うぐっ」

「お前には、口ごたえする権利も、この仕事を放棄する権利もないんだよ!」

 上下関係をはっきりとわからせるように、その圧力が身体に沁みてきた。



 僕はぬっぺさんと街を歩いていた。

 一応死んでしまっているので、あの神社から出るには「人間証」がいるらしく、社長に僕とぬっぺさんの分を発行してもらった。

 人間証をもらって、人の姿に変化したぬっぺさんは、僕と同じくらいの外見年齢に見えた。

「あれ、ぬっぺさん、思ったよりお若いんですね」

 行くあてをさがして歩きながら、ぬっぺさんに聞く。

「はい。人間の年齢で言うと、二十四歳くらいでしょうか」

 気のせいか臭いも少し薄れているような……。

「へえ、じゃあ僕とあまり変わらないですね。僕は二十歳です」

「お若いですね」

「いやあ、若いだけで何もできないガキですよ……」

 いや、「だった」か。

 何もできないままに、僕は死んでしまったんだから。

「ともかく、どこで相談しましょうか」

 はじめは喫茶店なんかを思い浮かべたけれど、まず僕はお金を持っていないし、なによりぬっぺさんを飲食店に連れて行ってしまうのは、憚られた。周りのためにも、ぬっぺさんのためにも。

「あ、そうだ、公園なんてどうですか」

「いいですね」

 ぬっぺさんも快くオーケーしてくれたので、僕たちは住宅街にひっそりとある、机と椅子と日陰のある公園へと向かった。



 その公園は、木製の机と椅子が置いてあり、その上を覆うようにして木や花々の屋根がついていた。ブドウ農園みたいだ。

「ええっとまず、こちらが新しい求人票なんですけれども」

 昨日もらってきた求人票の中から、ぬっぺさんに合いそうな求人をいくつか選んできたのを見せる。

「事務……介護……」

「ええ、ここの事務は男性がメインのようですし、きちんと話せば受け入れてくれる可能性もあります。介護の方は、かなり人手不足が深刻なので未経験からでも雇ってくれる業界です」

「そうですか……、でも、やっぱり臭いの問題が……」

 そう、そうなんだ。いくら数撃ちゃ当たる方式でも、全部断られてしまう可能性も十分にありえる。

「大丈夫です。内定もらえるまで、一緒に頑張りましょう!」

 意気込んで立ち上がるが、さっき社長に乗られていたアバラに痛みが走って、うずくまる。

「だ、大丈夫ですか!?」

 慌ててぬっぺさんが駆け寄ってくる。

「大丈夫です、ゴメンナサイ……」

 僕はうずくまったまま答えた。なんだか情けない気持ちでいっぱいになる。

「…………実は、わたしがあの『妖怪派遣』であまり良く思われてないのは知っています」

「ぬっペさん……」

「でも、いいんです。それでももう半年も相談に乗ってくれたし、最後の榎本さんだって、まだわたしよりも若いのに、本当に親身になってくれた。もうわたしはいいんです」

 すべてを達観したような顔で、ぬっぺさんは言った。

「本当にありがとうございました――それと、ご迷惑かけてすみませんでした。これからは自分一人で何とかやってみます」

 そう深々と頭を下げると、ぬっぺさんは、

「それじゃあ、失礼します」

 と言って、人間証を外して帰ってしまった。

「ま、待って……」

 呼び止めようにも、声が出なかった。

 妖怪の姿に戻ったぬっペさんを見て、「やはり就職は難しいんじゃないか、合う企業は無いんじゃないか」と思ってしまう自分がいる。そう感じるほど、ますますぬっぺさんとの距離が遠くなっていくような気がした。

「僕は、死んでまで、誰の役にもたてないのか……」

 なんともいえず、悔しくなった。なんのために死んだのか、わからなくなってきた。現実のめんどくさいことや、しがらみが嫌だから、こんな気持になるのがもう嫌だから死のうと思ったのに、死してなお、自分の無力さを痛感させられている。

「もう、どうすればいいんだよ……」

 ぬっぺさんが帰っていく足取りを、僕はただぼうっと見つめていた。もう人間の姿は解いているので、他の人たちには見えていない。たぶん、死んでいる自分にだけ見えているのだろう。

 ただ彼は、重そうなスーパーの袋を持っていたおばあさんに手を貸し、気付かれないように優しく袋の下から支えていた。

「あれ、どうして軽くなったのかいな?」

 疑問に思うおばあさんだったが、ぬっぺさんは何も言わず、ただ同じペースで歩いていた。

 その光景を見ていて、僕の中にある考えが浮かんだ。

「あれ、もしかして、あの仕事なら……ぬっぺさんもできるかもしれない」

 そう思いついた瞬間、僕は彼に対して声を張った。

「ぬっぺさん! ぬっぺさん!」

 待ってください。と、後を追い、息を切らせながら言う。

「あなたに……頼みたい仕事があります」

 ぬっぺさんはキョトンとした顔をしている。まだ夏前だというのにどこからかアブラゼミのなく声が聞こえてきた。



 神社へ戻った僕たちは、再びプレハブ小屋で向かいあっていた。

「ぬっぺさんに紹介したいのは、この仕事です」

 一枚の求人票を見せた。

「特殊……清掃?」

 聞きなれない言葉のようで「こ、これはどんな仕事でしょうか?」とぬっぺさんは聞いてきた。

「これは、事故や自殺、孤独死などで亡くなってしまった方の、お家を掃除する仕事です。特殊清掃の対象となる家屋は、死亡後時間が経ってしまっている場合が多く、そのほとんどは異臭を放っているそうです。なので普通の業者では対応しきれないので、特別な清掃として『特殊清掃』と呼ばれています」

「はあ、孤独死……ですか」

 ぬっぺさんは、まだ仕事のイメージがついていないのか、求人票をみたまま俯いている。

「このような現場なら、ぬっぺさん一族特有の匂いも、他の作業員さんたちは気にならないと思いますし、求人自体は正社員からスタートしているので、将来性はあります」

 僕はそのまま続ける。

「ただ……やはり、精神的にくるお仕事です。人が亡くなっているお部屋にお邪魔するので、それが原因で精神を病んでしまう方も多く、離職率も高いです。その分、給与も高いですが」

 ぬっぺさんは俯いたままだ。

「……いや、そうですよね、やっぱり、嫌ですよね。すみません、もしかしたらと思ってご提案させていただいたんですけれども、もしこれが嫌でも、また違う業種を……」

 僕がそう言おうとすると、

「やらせてください」

 と彼が返してきた。

「え、大丈夫そうですか?」

「ま、まあ、正直、よくわかりません。続くかどうかも……。でも、せっかく自分が働けそうな環境をせっかく見つけて頂いたのですし、チャレンジしてみたいです。お願いします」

 そういう彼の目は、やはり瞼が垂れ下がったままだったけれど、しっかりとこちらを見据えているように感じる。

「わかりました。ぜひ決まるように頑張りましょう!」

 まず面接対策についてですが、この業界は……と、僕らは早速作戦会議を始めた。



 数日後、ぬっぺさんの選考結果が来て、無事採用されることとなった。面接官いわく、優しそうな性格の中にある、人一倍強い根性が良かったらしい。

 そして今日は、働き始めたぬっぺさんが職場の不安や悩みなどを相談しにくる「定期カウンセリング」と呼ばれている日だ。

 万歳三唱していらい会っていなかったから、その後ぬっぺさんがどうなったのか心配していたが、彼は人間に変化したままでプレハブ小屋のドアを叩いた。

「お久しぶりです」

 そういう彼の表情は、以前のオドオドしていた時よりも、少しばかり落ち着いた印象がある。

「お久しぶりです。その後どうでしょうか? なにか困ったこととか、つらいこととか……」

 パイプ椅子に座り、僕がおずおずと聞くと、

「いや、今回の職場はかなりいいです。榎本さんが仰っていたように、亡くなられて方の臭いがかなり強いので、わたしの体臭を同僚に指摘されることもほぼないですし……」

 それに、と付け加えて彼は言う。

「わたしは妖怪だからか、孤独死で亡くなられたおじいさんおばあさんに、少しの間なら会話ができるようで、それがとても喜んでいただけるんです」

「会話、ですか」

「はい、おばあさんたちはの息子さんはもう働いている年頃で、『なかなか遊びにこないようで寂しい』とか、『久しぶりに、孫の顔を見た気分に慣れた』と言っていただけて、安らかな顔をして成仏されていくんです」

 ぬっぺさんは、宝物を扱うような優しい目つきで語る。

「こんな自分でも、役に立てるんだ。喜んでいただけるんだと思うと、とっても嬉しくて、とにかく、このお仕事を紹介していただけて、本当に良かったです」

 ありがとうございました。と握手を求めてくる。

「い、いえ、こちらこそ」

 僕も恐縮しながら、握手に応じた。

 うまく言葉では言えないけれど、胸の奥が、じんわりと暖かくなるのを感じた。

 僕も、もしかしたら、少しはぬっぺさんの役に立つことができたのかな。そうだったら嬉しいな。と思った。


 読んでいただき、ありがとうございます……。

 とにかく「お仕事小説コン」に間に合わせたくて、完結にしておきました……。ごめんなさい……。

 この後、超ヤンキーな酒呑童子の末裔を斡旋したり、ぬっぺんぽうよりはメジャーな妖怪を出していこうと思っています。


 コンテストに普通に落ちたら、続きを書けるかも? それまでは、かけないかもしれないです(なんか、そういう決まり?)。

 それまでは、よろしければ他の読み物を書くので、それを見てもらえればうれしいです。

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