ドアの奥
夏の盛りを迎えたこの時期は日が落ちるのが遅く、部活の終わる17時頃には、まだ綺麗な夕日が輝いていた。オレンジ色に照らされた校庭に、ヒロキとノブ、それにミキの三人が制服に着替えて立っていた。
「鞄は目立たない所に置いておこうぜ。さすがに邪魔になるから」
そう発言したノブの言葉に二人は頷き、荷物を校庭の隅にまとめて置いた。その際、ノブは自分の荷物から懐中電灯を二つと、大きな板を一枚取り出した。
板の表面には元々何か書いてあったのだろうか、赤茶色の汚れが擦り切れていた。角には紐が通してあり、先に鍵が一本付いている。
「これ、何かあった時用の懐中電灯。ほい、先輩。ヒロも」
「あっ、もしかして私のせいでノブ君の分が無い? それなら私は良いから持ってなよ」
「いや、先輩が持ってた方がいいんですよ」
ミキは受け取った懐中電灯をそのまま返そうとしたが、ノブは受け取らず、そのままこっそりとヒロキに目配せをした。
「そ、そうそう! 先頭が俺、後ろにノブと続いて、ミキ先輩には一番後ろを歩いてもらいますので、懐中電灯を持っててもらった方がいいんですよ! じゃないと、ノブが危ないんで」
「……うん。わかった。ありがとうヒロノブ!」
慌ててフォローするヒロキを見て、ミキは笑った。
「よし、それじゃそろそろ行こうか」
ノブが手に持った鍵をクルクル振り回しながら歩き出した。
ドアの場所はノブしか知らない。ヒロキとミキも頷き、前を歩くノブに続いた。
彼らは校庭から校舎の裏に回りこみ、生い茂る草木の間をすり抜け、そのまま数分ほど歩いた。やがて、大きく開けた場所に辿り着いた。
「学校に、こんな場所があったんだね。なんかワクワクしてきたよ」
ミキが満面の笑みで言った。先ほどまで部活で走り回っていたというのに、疲れは一切見えなかった。
彼らが辿り着いた場所は、何年もの間、人の出入りした形跡が無いほどに荒れ果てていた。校舎の壁が目の前にあるので、間違い無く敷地内なのだが、普段生活している学校の一部だとはとても思えない程である。
「だな。そんで、これがそのドアだ」
ノブが立ち止まった場所にはドアが一つ、校舎の壁に取り付けられていた。鉄製のそれには開ける為の取っ手と、大きな錠の付いた閂が掛けられていた。錠は赤茶色の錆に覆われている。周りの壁は無数の植物に覆われており、一層不気味さを増していた。
「……なぁ、何かこのドアおかしくないか? どこか違和感があるっていうかさ」
ヒロキがドアを見て不思議そうに言う。
「んー? あ、私わかった。これ、ドアの所だけが凄く綺麗なんだよ」
「あっ!」
ミキの言葉を聞いて、ヒロキがはっと息を飲んだ。周りの壁や錠は嫌悪感を覚える程に汚れているのにも関わらず、ドアそのものは不自然な程に綺麗だった。まるで、つい先程この場に出現したかのように。
ヒロキは思わず後ずさりそうになる。だが、ミキが近くに居ることを思い出し、なんとかその場に留まった。
「へー、全然気づかなかった。ま、そんなのどうでもいーっしょ、っと!」
ノブが錠に鍵を差し込み、ゆっくりと回す。カチリ、と、意外な程の手応えの無さで錠が外れ、そのまま重力に引かれて地面に落ちた。
「……開けるぞ!」
ノブが閂を外し、取っ手を握る。金属の擦りあう不快な音を響かせながら、ドアがゆっくりと開いた。ドアの向こうは薄暗く、どうやら地下に階段が続いてるということしか分からなかった
ヒロキが手に持っていた懐中電灯で奥を照らすと、ぼんやりと扉のようなものが見えた。
「おい、ノブ。これ、入っても大丈夫なのか?」
「こういうので定番なのは、昔、防空壕だったとか、お墓だったとかだよねぇ」
「ただのボイラー室って可能性もあるけどな」
ヒロキの言葉に対して、それぞれが思いつく限りの想像を広げる。
「どうする、ヒロ。怖いなら僕が先頭で行くぞ?」
ノブがドアにストッパーを差し込み、勝手に閉じないよう固定しながら尋ねた。
「べ、別に怖くなんかねぇよ。大丈夫だから、行こうぜ!」
咄嗟に口から出た一言に、ヒロキは一瞬後悔したものの、それでも撤回するわけにはいかなかった。ミキが申し訳無さそうな顔でこちらを伺っているのが見えたのだ。
ヒロキは懐中電灯を照らしながら、一段ずつ階段を降りていく。その後ろにノブ、ミキと続いた。
道の幅は、人が一人通ればそれで埋まってしまう程で、未だ成長途中のヒロキ達ですら肩を壁に擦りつけるようにしながら進んでいた。
誰も、一言も喋らなかった。
僅かに上のドアから入る光と、懐中電灯の明かりの中を、三つの影が揺らめき動く。聞こえるのは足音だけだった。
やがて、時間にして一分にも満たない内に、彼らは突き当りに辿り着いた。上から見えていた扉が、今は目の前にある。ドアノブの付いた普通の扉だった。
鍵はかかっていない。
ヒロキが後ろを振り返り、目で合図する。そして、一度大きく深呼吸をした後、勢い良く扉を開いた。
「……うわぁ……」
扉の先は小さな部屋に続いていた。三人は中に入り、相変わらず電灯の無い暗闇を懐中電灯で照らしてみる。
「あ、おいヒロ。あそこ照らしてくれ」
懐中電灯を持っていないノブが指示を出す。慌てて指差された方向を照らしてみると、小さな箱が明かりの中に浮かんだ。
三人はお互いに離れないように気をつけながらその箱まで近づいた。
どうやら、その場所が部屋の中心のようで、部屋の中には他に何も見当たらなかった。
彼らの腰の高さ程の台の上に、木製の箱が一つ乗っている。表面には何も加工されている様子は無く、ただ上蓋を持ち上げれば開くことができそうだった。
「どうする? 開けてみる?」
ミキが尋ねる。心なしか表情が強張って見える。
「ここまで来たら開けるしかないだろ。でも、もし怖いなら戻っててもいいぞ」
「……いや、俺も中を見てみたい。ミキ先輩は?」
「当然、私も残るよ!」
ノブの言葉に二人が答える。誰も、ここまで来て仲間はずれにされたくなかった。
意外にも、始めに箱に手をかけたのはヒロキだった。
ヒロキは気が弱い。だが、初めこそ少し抵抗するものの、一度初めてしまうとノブ以上に好奇心が強いことを、ノブだけが知っていた。
少しの静寂。
そして、彼らは箱を開けた。