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プロローグ1 レベル0な私

 限りなく広がる青海の中心に浮かぶ王冠島キングダム

 世界を統べる王府の本拠地として、長らく繁栄してきたこの島の北西に、小さな港町がある。岬の突端に聳える丘の、なだらかな斜面に沿って広がるその街の名はニーニル。王都の賑わいからは遥か遠く、漁業と細々とした貿易で成り立つ辺境の町だ。


 その港に、珍しく大きな船が停泊していた。白銀に輝く紡錘型の船体。そこから優美な曲線を描いて滑り出す双翼。鋭角に抉れた船首からはポールが伸びていて、そこに大きな旗が括りつけられている。


 田舎ではめったに見られないタイプのこの船は、水空両用の大型飛空艇だ。ニーニルには買い出しのために寄港したらしく、物資を積み込んだ小舟が岸壁と船との間を盛んに行き来している。浅黒い肌をした筋骨隆々とした男たちが、次々と荷を船の上部にある平たいデッキへと引き上げていた。


 その様子を、リリカ・ローゼンツとルルカ・ローゼンツの姉妹は自宅二階の窓から眺めていた。丘の頂上に向かってニーニルの町を東西に貫く大通り。その奥に位置する彼女たちの家からは、港を文字通り手に取るように見ることが出来たのだ。


「カッコいい船~! ねえパパ、あの船ってどこからきたの? どこへ行くの?」


 妹のリリカが、部屋の奥を振り返って言う。

 呼ばれた父親のハイルは、本を整理する手を止めると眼鏡の弦をクッと持ち上げた。彼が考え事をするときに行ういつもの癖である。


「そうだねえ、あの船はスレイヤーたちの船みたいだからねえ。王都から来て、天路スカイウェイへ行くんじゃないかな」


天路スカイウェイって、あの空にある?」


「ああ、そうだよ」


「へえ……私もいつか行ってみたいなぁ」


 リリカはそう言うと、ほうとため息を漏らした。その眼はうっとりとしていて、遥か遠くの異世界でも眺めているかのようだ。焦点がすでにこの場所にない。


 天路――それは空に浮かぶ島々を直線として繋いだ、一本の空路のことである。その終着点に英雄エーガが辿り着き、大陸を発見したのはつい三十年前のことだ。それ以来天路は、小さな島々に押し込められ、長年にわたり新天地を求めていたこの世界の人々にとって憧れの地となっている。ただし、天路を走破して大陸へと辿り着いた人間は、未だに英雄エーガただ一人であるが。


「リリカじゃ無理よ、トロいんだもん。あんたが天路なんかに行ったら、あっという間に魔物の餌だわ」


 ルルカはそう言うとクスッと笑みを浮かべた。彼女はからかうように、隣にいるリリカの頬を人差し指で軽く突く。柔らかな頬は大きくへこみ、それに少し遅れてカッと紅潮した。


「何よ、私はそんなにトロくないわよ!」


「どうだか。あんた、未だにレベルゼロなんだし」


 レベルというのは、魔力の成長度を表す指標のことである。魔力の大きさは身体能力ともある程度比例するため、強さの指標としてもよく用いられる数値だ。魔物や魔獣を倒して魔力を取り込むことによって上昇させることができ、リリカの年齢ならば3前後が普通である。これは、親が付き添いで弱い魔獣の狩りに連れて行くからで、レベルゼロなど歩けない年齢の子どもぐらいしか居ない。


 リリカは何故か、魔獣を倒してもレベルが上がらなかった。毎日町はずれの砂浜へと赴き、そこに生息しているグリーンクラブという弱い魔獣を狩っているのだが――レベルゼロのままだ。運動をしているので相応の体力はついているが、レベルだけは見事に上がらない。通常であれば、これだけ狩っていればもうレベル5前後にはなっているはずなのにだ。


 ちなみに、姉のルルカは十歳にしてレベル7になっていた。平均から考えれば相当に速いペースで、天才とまではいかなくとも才能があると言われるようなレベルだ。他の面では似たり寄ったりであるが、ことレベルに関しては妹とは正反対である。


「むう……」


 リリカは頬を膨らませると、よじ登っていたテーブルから降りた。彼女は鼻息を荒くしながらドカドカとドアの方まで歩いていくと、勢いよくノブを引く。一枚板の厚い扉が、バンっと音を響かせながら開いた。その音の大きさに、思わずハイルは肩を震わせる。


「リリカさん、どこへ行くんだい?」


「狩りに行ってくる!」


 リリカはぶっきらぼうに言うと、そのまま廊下へと出てドアを勢いよく閉めてしまった。部屋に残されたハイルとルルカは、やれやれとばかりに顔を見合わせる。こうしてリリカが家を飛び出していくのは、ここローゼンツ家では良くある光景だった。


「あーあ、行っちゃった」


「お腹が空けば帰ってきますよ。それより、ルルカさんもリリカさんをあんまりいじめないように」


「はーい!」


 ルルカは元気よくそう応えると、再び窓の向こうへと視線を戻した。ハイルはその様子に若干の不安を覚えるが、子どもというのはそういうものであろう。彼はすぐに気にするのをやめると、滞っていた本の整理を再開する。部屋の壁を占拠する古びた本棚には、まだまだ整頓しなければならない本が大量に残されていた。




「今日こそレベル1になってやるんだから!」


 いつになく気合の入ったリリカは、意気揚々と町の通りを歩いていた。ハイルお手製の革ズボンと胸当てを着込み、すでに気分はいっぱしのスレイヤーである。ただし、その腰にあるのは磨き抜かれた剣ではなく、少し長いだけの樫の棒だが。


 大通りを降りて港まで行き、そこを右に曲がってひたすら南へと向かう。するとやがて港の石畳が途切れ、赤茶けた岩場が剥き出しとなる。波の浸食によって角が削られ、さらにところどころ生えた海藻によってツルツルと滑るそれを、リリカは注意しながら渡っていく。そうして二十メートルも行くと、彼女の目の前に大きな岩のアーチが現れた。港と奥の砂浜を区切る、天然のトンネルだ。


 視界を切り取る荒々しい岩の稜線。それはさながら、巨人が拵えた出来かけの橋のようであった。リリカはその中心に空いた縦長の穴を、ゆっくりと潜り抜けていく。彼女の視界がにわかに暗くなり、そしてまた光へと回帰する。薄暗い穴の奥に広がっていたのは、透ける蒼天と雪原を思わせるほど白い砂浜だった。サンゴや貝殻が砕けて出来た白い砂粒が、陽光を宝石のごとく乱反射している。リリカはそのまぶしさに、思わず目を細めた。


「ふうっ!」


 息を吸い込み、大きく背中を反らせる。この輝くような砂浜の景色は、リリカにとっていつ見ても心地がよいものだった。彼女はほぐすように腰を捻って肩を回すと、大きく息を吐き出す。吹き抜ける潮風が火照った頬を優しく撫でて行く。こうして一息ついた彼女は、改めて気合を入れ直すと、腰の棒を正眼に構えた。


 砂浜を横歩きするグリーンクラブ。砂に小さな足跡を残しながら、赤ん坊のハイハイぐらいのスピードでゆっくりと進んでいく。リリカはすぐさまそれに追いつくと、甲羅の下へと棒を差し込んだ。棒が砂を散らし、彼女の顔の三倍はあろうかという大きな甲羅が持ち上がっていく。そしてそれが有る点を境にして一気にひっくり返り、仰向けとなった。八本の足がばたばたと宙を掻き、巨大な鋏が砂を叩く。


「そりゃッ!!」


 露わになったグリーンクラブの腹。強固な甲羅とは異なり柔らかなそこに向かって、リリカは一気に棒を振り下ろす。ボンッボンッ――布団をはたきで思い切り叩いたかのような鈍い音が連続する。そのたびに甲羅が僅かに跳ね、砂が舞い上がった。グリーンクラブは必死で態勢を立て直そうともがくが、もともと甲羅の方が重い構造をしているため、そう簡単には戻れない。そうしているうちにもリリカは勢いよく棒で腹を叩き、徐々にではあるがグリーンクラブの生命を削り取っていく。


 そうして十回ほども叩くと、グリーンクラブは息絶えた。巨大な鋏が砂に落ち、それきり動かなくなってしまう。やがて金色の靄のような光の粒子が溢れだし、リリカの身体へと吸い込まれた。魔獣の魔力が倒されたことによって浄化され、リリカの身体へと流れ込んだのだ。


「よし、もう一匹!」


 リリカは視界の端にもう一匹グリーンクラブの姿をとらえると、そちらに向かって一直線に走りだした。砂を蹴散らし、時折足元を攫って行く波を砕きながら、海と陸の混じる砂浜の端へと向かう。そして棒が届く距離に到着すると、また甲羅をひっくり返して叩き始めた。




 蒼い水平線に深紅の夕陽が落ちていく。海と空は黄昏に染まり、砂浜は燃え立つように輝いていた。吹き抜ける海風はすでに夜の冷気を孕んでいて、東の空はすでに薄暗い。遠くで海鳥が物悲しげに鳴く様子は何ともさびしげで、闇の訪れを感じさせた。


「そろそろ帰るか!」


 岩場で夕陽を眺めていたリリカは、懐から一枚のカードを取り出した。白い長方形をした硬質なカードには「0」の文字がはっきりと記されている。これはレベルカードと言って、魔力を流し込むことによって対象者のレベルがわかる魔道具だ。誰でも持っているありふれた道具で、値段も子どもの小遣いで買えるほど安い。


「うーッ!」


 指先に意識を集中し、魔力を集めていく。それはさながら、全身の血を集めて指先を充血させるかのような感覚だ。リリカは指先を小刻みに振るわせながら、測定するための魔力をカードに注いでいく。するとやがて、カードの表面から淡い光が零れだした。測定開始の合図だ。リリカの瞳がにわかに細まり、額に皺が寄る。


 数十秒後、表示された数字は――0。

 今日もまた、リリカはレベルが上がらなかった。彼女はがっくりと肩を落とすと、振り子のようによろよろと身体を起こす。そしてそのまま家へと帰ろうとするが――ここで気が変わった。彼女は再び砂浜の方へと振り返ると、頬をパンっと叩く。


「ここで諦めちゃうから駄目だったのよ。頑張らなきゃ!」


 そういうと、彼女は再び浜辺で狩りを開始した。幸いにも今宵は満月。白い砂浜は足元に不自由しない程度の光には恵まれている。リリカは樫の棒を高々と掲げると、相も変わらず砂浜を歩くグリーンクラブの群れへと突っ込んで行った。


 そして数十分後、彼女がグリーンクラブを追加で二匹倒した時であった。波がにわかに荒れ始め、大地を鈍い震動が伝わってくる。ドンッドンッ――巨大な太鼓を思い切り打ち鳴らしたかのような、腹を揺さぶる音が響いた。何かが来る。嫌な気配を察したリリカは、波打ち際を離れて奥に広がる林の方へと避難した。するとその時、海が泡立ち始める。


「嘘――!」


 リリカが声を上げた瞬間、海から巨大な水柱が上がった。塔を思わせるほどの高さにまで至ったそれに、リリカは思わず背筋を凍らせる。一体、どれほど巨大な化け物が現れると言うのか。恐怖に戦いた彼女はゆっくりと後ずさり、やがて尻もちをついてしまった。


「グアアァ!!!!」


「魔物!?」


 絶叫とともに姿を現したのは、恐ろしく巨大なイカのような怪物であった。ただし通常のイカとは異なり、赤黒い三角形をした胴体からは無数の触手が生えている。このような魔獣は、ニーニルの周辺には生息していない。間違いなく魔獣ではなく、魔物の類だ。


 魔物というのは、長い時を経た古代の魔道具に瘴気が宿り、異形の怪物へと変化を遂げた物だ。普通の動物に魔力が宿った魔獣よりも遥かに強大で厄介な存在である。レベルの低い一般人にはまず討伐不可能で、ひとたび遭遇すれば逃げるしかない。レベルゼロのリリカにとっては何より恐ろしい恐怖の対象だった。


「うわああッ!!」


 ――怖い、怖い怖い怖い!!!!


 恐怖でリリカの頭が白く染まる。彼女は無理やりに身体を起こすと、狂ったように走り出した。足をもつれさせながらも、一目散に砂浜を素っ飛んで行く。砂を散らし、バランスを崩しながらも彼女はがむしゃらに身体を動かし続けた。その眼は既に虚ろで、口からは荒い息が漏れている。


 だがここで、回り込んだ魔物の触手が彼女の行く手を遮った。リリカはとっさに方向転換をしようとするが、曲がり切れない。体勢を崩した彼女はたまらず砂浜に膝をつく。するとその隙に、触手が彼女の足首を捉えた。鞭を思わせる灰色のそれは、彼女の足をいとも容易く絡め取ってしまう。


「イヤアァ!!!!」


 ――喰われる。


 リリカの心が絶望で満たされていく。心の壁が崩れて、とめどなく黒い水が溢れてくるかのようだった。記憶が廻り、感情が逆巻く。幼い精神は軋みを上げて今にも崩れ去ってしまいそうだ。彼女は手足をばたつかせ、海の中へ引きずり込もうとする触手にどうにか抵抗する。溺れる者は藁をも掴むと言うが、今の彼女は形を持たぬ砂を必死に掴み取ろうとしていた。


 ――その時だった。


「我が刃の至高なることを知れ――斬ッ!!」


 青い閃光が駆けた。

 それにやや遅れて、風が唸りを上げる。逆巻く海が二つに割れ、走る光は魔物の身体を通り抜けた。その次の瞬間、魔物の身体が二つにずれる。断末魔すらなかった。魔物の巨体はそのまま海へと滑り落ち、大きな飛沫があがる。


「なッ……!」

 

 リリカは思わず言葉を失うと、先ほど声がした方角を見た。すると岩場の先端にある大きな岩の上で、一人の男が佇んでいる。草臥れたコートを着込んだ背の高い男で、胴体に対して手足がとても長い。黒い目差し帽を深く被っているため目元は見えないが、歪んだ口元は笑みを浮かべているようであった。彼は手にした大剣を背中に背負い直すと、視線に気づいたのかリリカの方へと振り向く。そして――


「よう、お嬢ちゃん。触手プレイはいいけどよ、あれはちょっとデカすぎだぜ。気をつけな」


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