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20マス目・そろそろ自戒を込めて佇む

 すべてが片付いて(やはり、1021号室も出て行ったばかりだった。彼はボーイの服を借用して、片付けるフリしながら受信機を回収した)、手荷物はひとまとめにしてリネン室の奥に隠した。ジャイブに連絡を入れ、なるべく早く取りに来てもらうよう頼み、そこでちょうどボビーとシヴァの無事も確認した。

 801でシャワーを使い、こざっぱりと着替えてからフロントまで降りていった。

 どこかでナカソネやヤナギダに会ったら、少し困ったことになるかな、と思いつつも、もうどうでもいいや、と投げやりな気持ちも半分。


 いいんですよ、どうせ任務は失敗ですから。


 幸運な事に、社長にもナカソネたちにも出くわさずに済んだ。

 しかし、ホテルのラウンジに、一人でぽつんと座るミチルを見つけた。

 彼はためらうことなく、近くまで歩み寄った。

 サンライズが近づくと、ミチルは白いハムスターを手を筒にした中に大事そうに入れ、もう片方の手で頭を優しく撫でていた。

「ミチルくんだよね」

 上げた目は、ラクダみたいにまつ毛が密生している。

「アナタ……」

 ミチルは、ぼんやりしたような瞳で彼を眺めていたが、

「ボーイさんの友だち?」シヴァのことだろう。彼はうなずいた。

「同じフロアの匂いだから分かるよ」

 どこも見ずに、そう言った。

「彼、匂いのキツイ人に、連れて行かれちゃったよ。スエンさん……社長はもう追いかけなくていい、って言ってたけど。身内のゴタゴタだけで精いっぱいだって」

「そうか」

「ボーイさんは、何て名前なの?」

「シヴァ」

「ふうん……彼はだいじょうぶかな?」

「もう大丈夫。無事に戻ってきたから」

 戻ったと聞いて安心したのか、それ以上詳しいことを聞かれずに済んだ。

「シヴァに親切に接してくれたようで、ありがとう」とりあえず、御礼を言っておく。

「別に」

 そっとハムスターを持ち上げる。

「このコをくれようとしたし、彼の匂いは好きだ」

「そうなんだ」社長はどこに行ったのだろう? 聞いてみると、

「ホテルから引き上げた、ボクはこのコを返すんで、残ってたんだ」

 フロントに問い合わせたら、アメリカ人の親子が逃げたペットを捜している、と聞いたらしい。たまたま同じ階だったが、観光中なのでもう少し夜遅くならないとホテルに戻らないそうだ。

 フロントはお預かりします、と言ってくれたのだが、別れが辛くて、元の飼い主が現れるまでこうして、一緒に遊んでいたのだと言う。

「スエンさんは、勝手にしろよ、って帰っちゃったけどね」

 元々、ミチルとスエン社長とはどういう関係なんだろうか? 愛人? 聞いてはいけないかとは思ったが、何となくだるさも残っていて、サンライズは彼の向かいに腰を下ろした。

「社長のところには長いの?」

 そう聞くと、特に感慨も込めずに

「6歳くらいの時からずっと」

 児童養護施設にいた所を、スエン社長の夫婦に見つけてもらったのだと言う。

「ぼくんちね、岐阜県の山の中だったけど、台風で裏の山が崩れて、家族はみんな死んでしまったの、4歳の時に」


 彼は昔から鼻が利いた。それで助かったのだそうだ。


 雨風が酷くなってきたが、もう真っ暗だし、雨もひどくて前が見えないくらいだった。

 家族そろってこんな中を避難するのは無理がある、とりあえず子どもたちを二階で寝かせておこう、と父が判断し、母も従った。

 真夜中になって、ミチルは急に目が覚めた。

「おとうさん、おかあさん」泣きながら父母を起こす。

「地面の下の方のにおいがする、山がくずれて来るよ、はやくおうちからにげよう」

「えっ」今まで、崖崩れには遭ったことはなかった。それに、危なそうな個所はすでに補強工事も済んでいた。

「大丈夫よ、朝には台風も行っちゃうから」

 母がけんめいになだめたが、彼は火がついたように泣き続けた。泣き声で姉と幼い妹も起きてしまった。

「ミチル、また泣いてる」姉はうるさそうに目をこすっていた。

「またクンクン匂いかいでるし」

 うるさいから早く寝なさい、と、いつも温和な父も激しく叱った。


「ぼく、その時家から飛び出しちゃったの」

 楽しい思い出を語るような口調だった。

「お父さんが、ミチル、待て! って追いかけようとするのが聞こえた。でもボクは足も早かったしね、ちょうど雨も小ぶりで街灯の所まで走って行ったんだよ、お父さんはすぐ追いついて、やっぱり不安になったんだね、ミチル、ここで待ってなさい、ってゴミ置き場の隅の屋根がある所にボクを座らせて、あわてて家に帰った。おおいサチコ、すぐ荷物まとめろ、今なら避難できる、って」


 父親が家に入った瞬間、風景が歪むように裏の山がかしいだ。木々が裂ける悲鳴、岩の転がる轟き、コンクリートの壁がいっぺんにはがれおち、山全体が彼らの家にのしかかるように崩れ落ちてきた。二階建の家はあっという間に彼の両親ときょうだいとを収めたまま、土砂の中に呑みこまれ、すりつぶされてしまった。


「スエンさんの奥さんがね、子どもが欲しい、って探してた時にボクを見てね」

 ミチルの家族が土砂崩れに遭ったのとちょうど同じ頃、たった一人の子どもを病気で亡くしたのだそうだ。

 その子と面影が似ている、そう言って抱きしめたまま離してくれなかった。

「すごくいい匂いの人、スエンさんもいい匂いだけど、奥さんのメイファさんは、白くて優しいお花の香りがした。香水じゃあないのに」

 どこかでかいだ香りだと思った。ごく近い場所で。

 少したってから奥さんは、心臓の病気で突然亡くなってしまった。

「その時気がついたよ、白いお花の香り、お父さんとお母さんからしたんだ、ってね」

 台風が来た日、逃げようと泣いた晩、息継ぎをするたびに彼らの周りから、その花の香りがしたのだという。甘く、強い香りが。

「お姉ちゃんからもしていた、と思う。多分妹からも」

 魅惑的な、死の香りなのだろう。誰もが憧れてしまうような、離れられなくなるような香りなのだという。

「スエンさんからも、時々その香りがする、すぐに消えてしまうけど、時々すごく強く」

「社長の命が、危ない、っていうことなのかな?」

「どうだろう?」

 もしかしたら、他人の生死を握っているのかも知れない、それはミチルにも分からなかった。

「一応、養子だからぼくが18になるまで一緒に暮らすと思うけど……あと3年くらい」

 スエンも彼の能力には一目置いているようで、成人になってからも会社を手伝ってほしい、と申し出ているらしかった。

「ぼくも彼が心配だし……全体好きなんだ、彼の匂いは」

 そんなに匂いが分かるものなのだろうか? 彼はそっと自分の袖口に鼻を近づけてみた。湿ったウールの匂いが少し、クリーニングにそろそろ出さねば、くらいしか分からない。

「匂いが好きな人は、好きだ」

 ものうげな瞳で彼をまた見上げた。

「オジサンの匂いも……それ程悪くはない、ただねえ」

「ただ、何?」加齢臭? やだなあ、まだオレ三十代ですけど、辛うじて。

「すごい風邪、ひいてるでしょう?」え、そこまで分かるのか?

「病院でついた匂いもするし……それって、インフルエンザAみたいだな」

「Aまで分かるの?」素直に仰天。「どんな匂い?」

「風邪は、カゼの匂いだよ」

 辛抱強く、ミチルは答えた。

「段ボールみたいな、枯れ葉みたいな、クロレラとか……でもよく分かんない」

 すごい能力だ。本部開発部の水城さとみが聞いたらすぐウチに来てくれ、って言うだろうな。でも水城は酒臭いから嫌われるだろう、きっと。

「でもオジサン」

 ミチルは横目で彼をみた。

「まだしっかり治ってない。明日からまた熱出るよ。それに、もうひとつ残ってる。別のカゼの匂いもするし。今のが治ってから、また熱が出ると思う」

「え?」これ以上神は私にどんな試練を与えようとしているのか。

「ウソだろ?」

「明日になれば、分かるよ」

 ミチルは軽く鼻をこすった。


 そしてお告げ通り、翌日からサンライズは再発熱。そして治ったと思ったら今度はインフルエンザBを発症した。


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