13マス目・2秒でばれる嘘をつく
医者が到着するまで、サンライズは比較的平穏な気持ちでベッドに横たわっていた。
すでにやることはやった。シヴァはまだ救えていないが、少なくとも今は傍にいるし、無事も確認できたし。
部屋で見張りをするヤナギダという男も、ずっと見張ってはいるものの病気が気になるのかあまり近づいてこない。
時々、シヴァが当ててくれる冷たいタオルがとてもありがたい。
途中、社長のところから内線が入った。人質に何か軽食を運んでやるように、という指示だった。スエンからなのか、シヴァの正体を明かした少年からなのか分からなかったが、少なくともそんなに酷いニンゲンでもないらしい。
シヴァが美味そうにチャーハンをぱくついている間、彼はうつらうつら過ごしていた。上の階ではすでに、客人が到着して話し合いが始まっているだろう。今はもう内容なんてどうでもいい。カイトがどこまで働いてくれるか、それも賭けのようなものだった。賽は投げられたのだ。
ようやく、ドアが開いてドクターとナカソネが戻ってきた。ドクターは分かるが、ナカソネまでちゃっかりとマスクをかけている。
ヤナギダは少し呆れたように二人を見ていた。
「遅かったですね」
「上に客も来ているしね」それでもヤナギダにも、そしてシヴァにもマスクを手渡す。医者の手前だろうか。
ドクターは穏やかな細い眼をシヴァに向けた。
「ボーイさんが付いていてくれたんだ」
「違います、人質です」
とシヴァが言ったので彼はぎょっとした表情でナカソネをみた。
「まあ、事情はのちほどゆっくり……」ナカソネはシヴァの腕をつかまえ、隣の部屋へ引っ張っていこうとする。
「こいつは油断できないので、オレがあちらで見張る、ドクター、彼を診てやってくれ」
ヤナギダにも、ドクターについていろよ、と指示して自分はすぐにその場を離れた。
ドクターは、特に動じた風もなく、サンライズに向き合ってまず、脈をとった。
「熱は……」体温計を出して測る。
「38.2度」サンライズにも、少しピークを過ぎた感触があった。
腕をめくって、ドクターが首をかしげた。
「点滴、どこで?」ヤナギダの顔をみる。
「はあ、ワタシも詳しくは……」
どこまで話を作るのか、サンライズはだんだん面倒になってきた。
「近所の病院で。シゴトの前に寄ってきた」
「どの病院?」
「ええと」頭の中で地図を適当に検索。「都立中央病院」
「診断は、何と?」
「カゼでしょう、と」
ふうん、と不審げにドクターはカバンの中を漁っていたが、長い綿棒を取り出し、封を開けた。
「季節的に怪しいんで、ちょっと調べますよ」先ほど病院でもやられた鼻腔内の粘液採取をまたやられた。
「発熱してからどのくらい経ちました?」というのには
「朝早くから……6時過ぎかな」正直に答える。
「8時間くらい……ふむ」しばらく腕組みをしている。
「ほかに症状は?」
「関節が痛い、頭痛も、喉と腹も痛い」医者は黙って聞いていた。
またかなりの時間が経って、ようやくキットに結果が出たらしい。ドクターは満足げにそれをヤナギダに示した。
「思った通り、インフルエンザのAだよ」
「ええ?」よもや、ダジャレではあるまい。
「SARSとかじゃあ、ないんですか?」
「はあ? サーズ? ああアレ」医者は穴のあくほど彼を見つめた。それから、おかしそうに笑いだした。「これが?」
「だって本人が……」ナカソネさん、SARSじゃなくてインフルでしたよ、とふてくされたように隣の部屋に声をかける。
「ハノイの近辺で、患者を見た、って……」
「熱が高くてうなされたんだろう」ドクター、まさか目の前に横たわる男が押しも押されぬ大うそつきなどとは全然思っていないらしい。
「典型的なインフルエンザだよ、今、新薬もあるのでやってみる?」
手まわしよく、クスリも持ってきたらしい。
「アマンタジン、商品名をシンメトレル、と言ってね、結構いい値段だぞ」
今度は隣の部屋のナカソネに向かって言った。
「水持ってきてくれ」
ナカソネが向こうから叫び返す。
「ヤナギダ、水だ」ヤナギダがむっとした顔で、洗面台に向かった。
「ナカソネさん、彼、インフルエンザだよ」
ドクターの声に、ナカソネはマスク姿のまま向こうのドアからのぞいた。
「ほんとうに?」
「SARSだと思ったのか?」
ナカソネはつかの間答えに迷ってから「まさか」シヴァの腕をとって、またこちらにやってきた。
「ヤツはそう言ってたが……信じるわけがないだろ」
「都立中央にいったん行ってきたらしいよ」
薬を服用したサンライズはまたベッドに横たわろうとした。そこへ、ナカソネがさっと手を出した。
「寝るなよ」いきなり冷たい言い方になる。
「良くなってきてるようだし……色々聞きたいことがある」
カバンをまとめているドクターに
「世話になった、請求はオレに直接回してくれ」
と声をかけてから
「……くれぐれも社長には内緒だぞ」と念を押すのも忘れない。
「高いからな」それでもドクターは慣れたものらしく、さっさと帰って行った。
「さあて」ナカソネがサンライズの背中に更にもう一つ枕をあてがった。
「本当の話が聞きたいもんだな、風邪ひき君の」
「あのねえ」額の汗を当ててもらったタオルで拭き取り、サンライズが答える。
「インフルエンザと風邪とは違う」
「SARSとインフルエンザも違うんだよ」
ナカソネはイライラとそのタオルをはぎ取った。
「都立中央にかかったんだって?」
「ああ、まあね」
「このホテルには何の用で」
「聞くのか?」サンライズはいきなり情けない声を出した。
「あかの他人に話さなきゃならんのか? オレの恥を」
「その他人に助けられたんだろ? アンタ」
言い負かされた、という風に彼は唇をかんで下を向いた。
ようやく顔を上げると「つまらん話だが」ちらっとシヴァの方を向く。
シヴァも興味しんしんで聞いている。
「あのさ」急にサンライズが言う。「ボーイさんは外に出してくんない?」
「なんでだよ」ヤナギダも興味深げにそばに寄って来た。
「何? ボーイが何だって」
「コイツ、打ち明け話をするのにボーイを外に出せとさ」
「だってさ」かすかに下卑た笑い方をする。「ミセイネンには、ちっとな……」
ワタシもう24ですが、と口を開きかけたシヴァにだけ判るよう、強い目をあてる。
「ダメだよ」ヤナギダはきまじめな口調だった。
「こいつはボーイじゃないって確か……社長に探りを入れに来たらしい、ライバル社から頼まれたか何かで」
「雇われただけです」
ミチルには半分正体がバレているようだが、部下である彼らがそこまで知っているか。
多分聞いてないだろう、とふんだのかシヴァも作り話モードに入る。
「ボク、元々ここの従業員ですから、それにミセイネンと言っても19ですし」
「ダメダメ」サンライズが尤もらしく手を振って拒否。
「ここの従業員さんなら、尚さら話したくないな。それに18禁よりか、もうちぃっと、何ていうのかな?」
ナカソネの方に、アンタなら判るだろう? みたいな目を向けた。
「生臭い、って言うのか、ハノイで仕込んできた件もあるしね、今後の儲けにもカンケイしてるって言うか……」
「おいヤナギダ」ナカソネが唐突に呼びかけた。
「オマエ、ちょっとそのボーイを尋問しててくれ、場所は、そうだな部屋の前の通路でも……」
そこにちょうど内線が鳴った。ヤナギダが出た。
「はい、分かりました」こちらを見て、シヴァを招く。
「社長、会議が済んだんで直接彼から話を聞くって。ちょうど連れて来いって言うから行きますよ」
話が聞けないのが残念なのか、ふり返りふり返り、シヴァを引っ張っていく。
「一緒に来い」
「コイツのこと、ナイショだぞ」ナカソネはまだしつこく言っている。
「どうせなら、廊下で拾ったって言って一緒に連れていけばいいのに」
ヤナギダは意地悪そうに付け足す。「今さら」
「インフルエンザを社長に感染したくない」
もっともらしく、ナカソネが胸を反らせる。
「あのうるさい小僧もいるしな」この男は儲けや名声というものを嗅ぎつけると、俄然張り切るタイプのようだった。
「しばらくこの部屋の片づけをしてる、って言ってくれ」
ヤナギダは呆れたようにシヴァの腕を掴んだ。
「痛いので、離してくれますか」シヴァがふり向いて言った。
ヤナギダは「はいはい」と手を離し、それでもかなり彼に貼りつくようにして部屋を出て行った。




