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12マス目・ここで止まったらクサい芝居

 外の物音に驚いて、ちょうどトイレの前にいた男が鍵穴からのぞいた。

「ナカソネさん、どうしました?」

 奥の連れが来ようとするのを手で止めて

「何だアレ」ちょっと見て来る、と声をかけてドアを開けた。

 シヴァにも、廊下に出たナカソネの声が聴こえた。

「え? 何? この人」大丈夫? と聞いている声がするが、相手の反応はないようだ。

「マジ、意識がない」ヤナギダ、早く来てくれ、声をひそめながらも連れを呼んだ。

「とりあえずこの部屋に入れよう」

「何でですか」

 ヤナギダと呼ばれた男は不服そうだったが、ここの前であまり大きな騒ぎは起こしたくないのは同じだったようで、しぶしぶ外に出てナカソネの手伝いをする。

「ベッドに運んでおこう、酔っぱらいかと思ったけど……熱があるみたいだ」

「やだなあ、病気かな」

 ふたりの男に運ばれてきた人物をみて、シヴァは腰を浮かせた。驚きを顔に出さないようにしているのが精いっぱい。

「ねえキミ」ナカソネが手を洗いながら、シヴァに声をかけた。

「悪いけどこの人ちょっと見ててくれない? 熱がかなり高いようだな」

 やはり衣装の威力なのか、彼らはどうしてもシヴァのことをボーイさんだと思ってしまうらしい。

「はあ」みてても何も、この人ワタシのボスですが、とも言えずシヴァはぐったりしている彼の枕元に移動した。

 ちょうど内線が鳴って、ヤナギダが出る。

「あ、社長」スエンから様子を訊ねる電話らしい。

「はあ、変わりは……はい」ちらっと寝ている男を見て、連れを見る。

 手を拭いていたナカソネはあわてて首を横に振って、口にチャックの合図。

「特に変わったことはないです。ボーイはまだここにいますし」

 引き続き見張るように言われたのか、彼は分かりました、と電話を切ってから額をぬぐって、テーブルのある場所に座りこんだ。

「何か、朝から疲れますね、ナカソネさん」

「まったくだ」ナカソネも空いているもう一つのベッド脇に腰をかける。

「ってもう、昼だぜ。モタモタしてたら客が来ちまう」

「あの」シヴァが口を開く。

「何?」ナカソネが煙草を取り出していた手を止めた。

「この人……」指をさして「頭を冷やしてやってもいいですか?」

「ああ」キミは立たなくていいから、とシヴァに言って、ヤナギダに濡れたタオルを取ってこさせる。シヴァは「どうも」と受け取ると、サンライズの眼鏡を外してやって、タオルをそっと、彼の額に乗せた。

 気がついたのか、サンライズが薄く目を開いて手を出そうとした。

「だいじょうぶ、冷やしているだけですから」ボーイさんらしく、言ってみる。

「どうも」誰だか気づいてないようだ。

 少し観察していたが、全然視線が合っていない。わずかに目は開いているものの、眠っているのとほとんど同じような感じだった。脈をみるが、速過ぎる、というところまでしか分からない。

 急にナカソネが立ち上がった。

「部屋に行って朝刊取って来る、ヤナギダ、一人でだいじょうぶか?」

「はあ、たぶん」彼は少し不安げな声を出す。

「すぐ戻ってくださいね」

「分かってるよ」

 ナカソネが去ると、ヤナギダはふう、と前髪をはね上げるようなため息をついた。

 そこにちょうど内線が鳴って、ヤナギダ飛びあがる。

「はい」社長から自分にかかってきた電話らしい。

「え? はい、午後の資料ですよね、パソコンに入ってません? ドキュメントの……」

 シヴァはちょうど、ヤナギダとサンライズの間に座っていた。少しヤナギダの様子に気をとられていると、「おい」小声で呼ぶのが聞こえたのでそっとふり返る。

 サンライズの目がこちらを向いていた。やはり気づいてはいたのだ。

「オマエ、コーラか何かないか、ケチャップでもいい」

 やはり頭をやられているのか。

「のどが渇いたんですか?」ボーイのままで聞いてみる。「水でいいでしょう?」

「ヤツをハメるんだ」軽く頭を動かす。「ないのか?」

「コーラなら」

 持ってこい、ということか。シヴァはヤナギダの隙をみてテーブルからコーラを取り上げた。ヤナギダがこちらをみたので、ビンを持ち上げ、飲む真似をしてみせると軽くうな ずいた。

 シヴァは元の位置に戻り、ヤナギダに見えないようにビンを彼に渡す。

「枕をもう少し上げてくれ、こっそり」枕を折って背中から頭にかけて敷き直す。

 ヤナギダは電話の内容に没頭して、少しこちらの見張りが御留守になっている。

「それからコピーを選ぶんです、そう、右クリック」

 彼は寝た姿勢のまま、コーラをまず一口飲んだ。続けて飲もうとしてから止めて、まずシヴァにこう指示した。

「オレがヤツに話しかける、感染症のフリするからオマエは合わせてパニクるんだ、いいか、いったんヤツを外に出してからトランクを隣の813に運ぶ、窓越しに」

 コーラを更に大きく一口、また一口含み、喉のギリギリまで溜めたようだ。ビンをシヴァに返してまた体を寝かせる。

 電話が済んだようで、ヤナギダが少し近くに寄った。

「何だコイツ、少しは意識が戻ったのか?」

 急にサンライズが激しく咳こんだ。ヤナギダもシヴァもぎょっとして一歩下がる。

「ヤバイですよ」シヴァがおろおろと言う。

「え? 何か分かったのか?」更にサンライズは咳こんだ。げほげほと湿った咳と一緒に口から、褐色の液体を大量に吐く。

「何だコレ」えずきながら、サンライズはようやく言葉をついだ。

「ハノイの近くに、遊びに……オレ……」涙ぐんだ目をあげる。「SARSかも」

 何? とヤナギダは固まった。近頃ニュースで聞いたような名前だと思っているらしい。

「サーズ?」彼はシヴァを見つめた。シヴァはあえて無表情に彼を見返す。

「それ……って」ヤナギダがようやく声に出す。

「中国とかで流行ってる肺炎……ほんとうか?」

 サンライズはかなり真に迫った咳をしている。ちょっと気管に入ったのかも。

「ちょうどあっちのホテルで患者を見た、すぐ帰るようにツアーガイドに言われて……でも全然なんともなかったんだ、熱は昨夜から……」

「まずいです、ホテルに感染症患者がいるのは困ります」

 シヴァ、それだけ言ってだっとドアに逃げようとした。

「ま、待て」ヤナギダはあわてて彼に追いすがった。

「ちょっと廊下に出てる、社長に報告するから」

 部屋の内線も使う気がないらしい。廊下で電話をするのだろう。見張りという本来の目的もふっ飛んでしまったようだ。

「す、すぐ戻るから逃げるなよ」

 ばん、と叩きつけるようにドアを閉めた瞬間、サンライズは熱があるとも思えないスピードで起き上がった。

「トランクは」

 シヴァもすぐクローゼットに駆け寄り、中型のトランクを引っぱり出す。

 サンライズは腕の通信機ですぐにボビーに連絡。

「トランクを窓から渡す、少し身を乗り出して受け取れ、ロープ用意、すぐに」

 シヴァは窓を開けた。すぐ隣の窓、狭いテラスは出て歩けるような代物ではないが、ボビーが半身をこちらに向けて指を立てると、手際よくロープの端を投げてよこす。

 シヴァは一発で受け取り、長くトランクの持ち手を絡めて縛り、合図した。そして、慎重にトランクを手から離す。

 一瞬、重い荷物は振り子のように弧を描いてあちら側に向かったが、ボビーはすぐにロープを絞り、手元に確実に受け取った。

 彼が無事にトランクを手に入れたのを確認して、シヴァはサンライズの枕元に戻る。

「ボビー」サンライズは寝たまま連絡をしている。

「外に見張りがいる、オレらはまだ出られないからヤツが部屋の中に戻ったら今度はオマエが外に出ろ。801号室に機器を持っていって、カイトにセットさせるんだ」

 通信を切ってシヴァに向かう。

「窓は開けておけ、ウィルスが怖くて開けたんだ、オマエが」

「了解」

 ちょうど、彼らが戻ってきた。

「なんでコイツらを置いてくんだ……バカ」ナカソネはかなり怒っていたが、二人ともちゃんといるのを認めて、少しだけ安心したように足を緩めた。

「おい」急に気がついて、窓のところに大股で近づく。

「オマエが開けたのか」シヴァに鋭い眼を向けたが、彼はおびえたように

「ウィルスが……ヘンな病気にかかりたくないです」

 そう言ったら窓にかけた手を止めた。

「……バカな」少しためらって、それでも外を覗いてみてから窓を閉めてしまった。

「SARSは日本ではまだ患者が出てないはずだぞ。それにそんなに感染力はない」

「知らないからな、オマエらは」サンライズが弱り切った声で口をはさんだ。

「オレは現地のホテルで実際に見たんだ、赤十字の連中が宇宙服みたいなのを着て運んでた、その客も最初はオレみたいな熱だった」

「病名を聞いたワケじゃあないだろう」

 あくまでも疑い深い。連れはもうかなり腰が引けている。

「ナカソネさん、どうしよう……社長にも内緒にしちまったし」

 ナカソネは腕組みをしていたが、ようやく意を決したように顔を上げた。

「知り合いの医者を呼ぼう、診てもらうんだ」

 持って来た朝刊を小脇に挟み、電話をとりあげる。

「フロント? ちょっとさ、番号調べてくれ。文京区のケンセイクリニック、そう」

 しばらく待って、ようやく答えをもらったのか新聞の片隅に番号をメモしている。

「ありがとう」すぐに電話をかけ直す。

「ああ……ナカソネです、エンダーズの」相手はすぐ判ったらしく、彼は鷹揚に挨拶を返してから

「院長お願い」それだけ言っている。

 しばらくの間があって、院長が電話口に出たらしい。

 彼はたぶんいつもの口調で、院長にこう言った。

「赤坂のインペリアルホテル、814号室だがすぐ来てくれ。発熱した患者。うん……いや多分風邪だと思うが、一応ヘンな感染症だと困るから防備も持って。ああ……いつ来られる?」 少し渋い顔になった。

「急げないか?」相手が何やら言い訳しているのがシヴァのところにも漏れ聞こえてきた。

「……分かった、一時半ね、」時計をみる。それから思いついたように

「そうそう、社長には直接関係ないから、この件はオレに直接問い合わせてくれ、会社にはかけないように」

 偉そうにそう言って、電話を切った。

「さて、と」彼は丸めた新聞を片手に持って、ゆっくりと振り向いた。

「社長が取引の支度をしたいから、オレに戻れと言ってる」

「えっ」ヤナギダが意外そうな表情で腰を浮かせる。

「オマエ、昼過ぎまで一人で残れ、ドクターが着く頃また来るから」

 反論の余地もなく、さくっと退場。


 しばし、沈黙を破るのはサンライズの咳の音だけだった。

 ようやく、ヤナギダがシヴァにこう言った。

「……窓は開けといて、いいから」

 シヴァは肩をすくめ、窓を開けに行った。



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