9マス目・まず軽く脱出する
サンライズはカイトにもう一度言った。
「頼む、もう少しだけ付き合ってくれ」
「そろそろ帰らねえと」カイトは出口の方ばかり気にしている。
以前、カイトはサンライズにかなりの借りを作っていた。
彼はその頃通信制高校の一年だったが、振り込め詐欺の新しい手口を開発し、実践を繰り返していた。つまりは立派な犯罪者だった。
警察とMIROCとの合同調査で、おとり捜査が合法的に許されるサンライズたちがたまたま担当となった中の一つが、彼の件だった。
単独犯だというのがかなり早いうちから分かっていたので、シヴァがまず口座を売った人間を数人特定。その男達に会って話を聞くと、渋谷で若い茶髪の男に直接売った、という点が共通していた。人相や特徴もほぼ、一致していた。
サンライズも変装してポイントで張り込むうち、それらしい少年を発見。煙草の火を借りるフリをして、金に困っているという世間話を振ると、早速口座を売らないか持ちかけられた。
どうせ悪い事につかうんだろ? オレはこれでもまっとうだから、と笑って断っていたが、少年が諦めて帰ろうとしたその際に
「でもよ……いくらになるんだ?」
そう持ちかけてみたらあっさりと引っかかった。
口座転売の手続きをしている間にシヴァが彼の身元を照会。現住所や契約の携帯番号、次にターゲットにしている連中の名簿なども手に入れた。
ワタナベカイトは、シヴァに負けず劣らずのネットおたくだった。
シヴァは知り合いを通してカイトの所属するネット上のコミュニティに入り、INDIAN099というコード名で、SAYAD2001Kaiと名乗る彼に接触。すっかり仲良くなってから、類似の犯罪を持ちかけた。もちろん、SAYADよりも少しだけトロい手口で。
自分の優位性を見せつけたいのは誰でも同じ。サヤドは瞬く間にインディアンと親密になり、最終的には、これから二人で一億二千万稼ごう、と目標まで提示してきた。
ダミーのカモに電話をかけさせ、今度は口座にではなく、バイク便業者を装ってじかに現金を取りに行くという手を使った時、サヤドはまんまとMIROCの網にかかった。
取調室にサンライズが入って行った時も、カイトはまだ彼のことを食い詰めたオッサンだと勘違いしたままだった。次の類似任務のために、サンライズはその日もボビーが見立ててくれたヨレヨレのジャージを着ていた。
「何だよ、こないだ会ったよな……オッサンも捕まっちまったの?」
そう肩をたたくカイトに、サンライズは最初から事情を説明した。
「カイトくん」あんぐりと口を開けたままのカイトは、返事ができなかった。
「このままだと成人の無期に相当する十年から十五年を食らってしまう。どうしようか」
取引、というよりはもう少し親身な口調だったが、この時、カイトは完全に自分の負けを認めた。
「オッサン、頼んます」土下座して詫びる。
「オッサンら、ケイサツじゃないんだろ? でもオレが刑務所入るのは短くできるんでしょう? お願いします、何とか助けて」
カイトは、次にハコに入ったら殺されるかも、という際どい状況だった。
未成年には珍しく、司法取引の交渉が行われた。蛇の道はヘビ。
MIROCだけでなく、警察の一部機関も入り複雑な話し合いになった。それでもどうにか話がまとまり、いったん執行猶予が文面で確約された。
そのとたん、彼はとんずらした。
サンライズはその時にはすでに彼の担当から外れており、何の関係もないはずだったが最初に直接声をかけた、というだけで責任を取らされ、一ヶ月の減給を申し渡された。
カイトはみごとなほど、きれいに行方をくらましていた。まさかまた舞い戻って、しかも本名で暮らしていようとは、誰も気づかなかった。
「こないだの事は御破算にしてやる」
サンライズは起き上がりながら、点滴を外す。
テープをはがして針を抜く時、ちょっと及び腰になってしまったが、どうにか無事に抜けたので長い管をくるくると丸めてさも当然のように片付けてしまった。それをカイトが信じられないと言った顔で見守っている。
「御破算……って金の方も?」
「ああ、」サンライズは続けて、脇にたたんであった自分の服に着替え始めた。まだフラフラしていたが、ベッド脇に腰掛けながらどうにか靴下まで履いた。
「とにかくここを抜ける、ホテルに行かなければ」
「あんた、正常な判断力が欠けてるかもよ、今」
カイトにもこの言われよう。
「かもね、自分でもそんな気はする」
パソコンをたたんだ彼の腕をとって、出口に向かった時、ちょうど間の悪いことに看護師さんが銀色のトレイを持って入ってきた。
「アオキさん、一回お熱を……」二人をみて立ち止まり、口を開きかけたところに
「ネコにご飯をあげて」サンライズが唐突に話しかける。
「あの、はい」
看護師がトレイを下げた。サンライズ、たたみかけるように
「治ったようだから帰っていいとドクターが言ったので、帰ります」
「治ったんですね、ドクターがそう……」
「はい」
「うそだろ」と言いかけたカイトをぐい、と引っ張って
「お世話になりました」頭を下げると、看護師もぼんやりとしたように頭を下げた。
廊下を小走りに抜けつつ、カイトが小声で彼に聞く。
「何だよ、アレ」
「え? 何の話か分からん」片手で額を押さえながら、サンライズは半分カイトに捕まるようにして先を急いだ。
「車だろう?」
「そうだけど」
「ホテルまで送ってくれ。インペリアル」
「やだよ」
「カイト」いったん彼の目をみて、悲しそうな顔のままサンライズが続けた。
「オマエこないだ、自分でもひどいヤツだなあ、って思ったんだろ?」
「……」
「だからさっきも逃げたんだろう?」
「だからこないだの事は悪かったと思ってるし」
カイトにも分かっていた。
病院に問い合わせれば現住所はすぐばれてしまうだろう。
この人はみかけによらず、かなりしつこい。しかも、オレの何十倍もヤバい。
この間はコウムインだと思って舐めてかかっていたが、行方をくらますのだけでかなり労力を使ってしまった。ここで会ったが百年目、というやつだろう。
少し時間が稼げれば逃げられないこともないが、今は逃走資金もないし、出会いからしてあまりにも急すぎた。
彼は大きくため息をついた。
「分かったよ、何すればいい?」
「車でとりあえずホテルへ。部屋を取ってそこに入ろう」
「予約までオレがするの?」
「バックヤードに頼むから、とにかく運転してくれ」
「オレだって腕ケガしてるから無理できないんだよね」
「でも運転してきたんだろ? 川口からここまで」
カイトはあきらめて、車にまっすぐ向かった。
ギプスを見せびらかして病院すぐ脇の身障者用駐車場を使っていたのがラッキー、というかあいにく、というか。誰にも見とがめられることなく、さっさと黒いVOXYに乗り込む。
カイトはほとんど治っている腕のバンドだけ取り、ギプスのまま車を発進させた。
インペリアルに着く直前、サンライズがカイトにまた話しかけた。
「シヴァから直接連絡が入ったそうだ、バスルームからで見張られている、と。無事らしい。部屋は同じ階にどうにかねじ込んでもらった」
「よかったな」
全然良くなかったが、それでも腹はくくったカイト、まっすぐ前を見て運転している。
インペリアルの玄関につけて、カイトはボーイにいやいや車の鍵を渡す。
サンライズは、まるで何でもないかのように中に入り、まず彼をロビーのラウンジに導いた。
「オレはここで待ってるから、この内容でチェックインしてくれ」
「え? オレも入ってるの?」
「もちろん」メモ書きには『アオキシゲル、ワタナベカンタ』と名前がふたつ、もっともらしい住所と電話番号と共に記されている。
「三泊だからな」ぎょっとした顔の彼に更にたたみかけた。
「もちろん、その前に帰れるだろうけど」
カイトがどうにか鍵を受け取ってラウンジに戻ると、何と連れはソファにもたれかかって眠っていた。
「おっさん」揺さぶると、ようやくサンライズは目を開けた。
「済んだか」
「捨てて行こうかと思ったぜ」
荷物のロクにない不思議な二人を怪しげに、フロントの女性が見送っていた。




