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01

 元来狼は感覚が鋭く、些細な異変でも嗅ぎつけていつもと違うことを認識する。

 あの後私は何度も雪の上を転げまわり彼の匂いをかき消そうとした。

 そうでなくともあの真夜中、二頭が連れ立っていなくなり、森から離れたとはいえその匂いや音を感じ取れない距離でもない。

 ましてリーベは常にアンドゥルフと行動を共にしているのである。夫が自分の横からいなくなれば気づかないはずがない。

 それでもリーベをはじめ、誰も気づいた様子はなかった。



 私はリーベの目を見ることができなくなってしまった。そして彼女が通りかかるだけで身を屈めるようになった。

 軽く咎めようとすればいち早く腹を出してしまう。

 リーベは怪訝な顔つきになるが、何も言わずに去っていく。

 もし彼女が私を押さえつけ鼻を近づけたなら、奥処に残る彼の匂いを嗅ぎつけられてしまうのではないかと恐くて仕方がないのだ。

 実際には何度も確かめていて気のせいであることはわかっていたのだが。


 私は仲間たちからもそれとなく距離を取った。

 アクバルが懲りずにすり寄ろうとしたが、そのつど拒否して逃げ回った。

 彼には申し訳ないが、私はもうアクバルに何の興味も持っていなかった。



 卑屈なくらいの態度とは裏腹に私の中に熱いものが巡り、時々体が火照ることがあった。

 知らず知らず私の目はアンドゥルフを追うようになってきている。

 私に熱を灯した当の本人は全く悠々としたもので、ずっとリーベに寄り添い見せつけるように彼女の上にまたがった。

 いや、実際見せつけているのだ。

 甘えたリーベの声が耳に入るたびに私の脳裏は火を噴いたように疼き、雪をも溶かすのではないかと思った。視界が真っ黒になったせいでふらつき、強烈な胸の痛みと苦しみに悶えた。

 ああ、なんてこと。

 彼はリーベにまたがりながら私を見るのだ。

 あの炎にも似た目が私の火と共鳴し、私はほとんど息もできない。

 落ち着かせるためにしばらくその場から逃げ出して群れから離れ、雪の中にうずくまっていなければならなかった。


 後にくすぶり残るのはリーベへの焦げついた念であった。


 それは次第に広がってきて、惑乱する感情に取って代わって冷えた思考を形作っていった。

 どう考えても私の方がふさわしい。

 あんな平々凡々とした容姿でそれほど若くもないくせに、妻の座に納まって勝ち誇ったように威張りちらしている。


 私の方がふさわしい!


 私は身を起こした。

 いや違う。リーベは確かに差を見せつけるけれども、それはアルファとして当然の役目だ。彼女はアルファとオメガの序列以上のものを私に強いたりはしていない。

 なによりも私は居場所を与えられ、こうして生きてこられているのだから。


 居場所……。


 私は再び腹這いになると前足の間に顔を埋めた。

 何事もなく穏便に、甘んじてオメガの地位のまま生きていければそれで満足だった。そして穏便に群れに別れを告げ、新たな世界で私の家族を築きたかったのに。

 リーベに牙を向ける。それはこの感謝を仇で返すのと同じだ。


 戦いたくない!


 こんな場面で自分の力など試したくない。

 裏切りという空恐ろしい言葉が脳裏をかすめ、私は思わず身震いする。


 貴女は知っていたの?

 私を受け入れたがらなかった貴女。


 目元がじんわり熱くなってきて顔を上げられなくなる。

 そもそも死にかけていた私を拾ったのはアンドゥルフだった。

 目だけを上げ、自分の足を眺める。

 リーベは私を拾うことを拒んだ。最初から仲間に入れる気なんかなかった。本当は私を追い出したかったのだ。

 それを変えてくれたのはアンドゥルフだ。

 小さな悲鳴をあげて顔をかきむしる。


 本能に従い、彼を求めればいい。

 どうせ私が選ぶのはアンドゥルフしかいないのだから。

 彼以外、考えられないのだろう?


 リーベにまたがるアンドゥルフ。

 こちらを見つめるアンドゥルフ。


 そして私の安穏だった日々を壊したアンドゥルフ。


 私は立ち上がり、いきなり走り出す。

 森の中をところ構わず駆け回り、息が切れるまで走り続ける。

 それでも私の内を荒れ狂う嵐は私を千々に引き裂こうとしている。それを消し去りたくて、心臓が破裂しそうになるくらい走った。

 激しい息が途切れることなく私の周りを漂っている。

 おかしくなったのではないかと自分でも疑えるくらい駆け回っていたのに、今度は根が生えたようにいつまでも立ちすくんでいた。







 狩りが成功し、目の前の獲物を夫婦が独占している。

 狼たちはそれを遠巻きにして眺め、順番が回ってくるのを待っている。

 私もまたぼんやりとその様子を眺めている。

 並んで顔を寄せ合い、一つの塊を貪り温かい血をすする。よく見るとアンドゥルフが食べやすいように肉を裂き、それをリーベが口にしている。

 せり上がってくるものがあって、何も考えられぬままふらふらと近づいていく。後ろでイッサが何か言っている気がするが、私には何も聞こえない。

 二頭の背中が間近にある。そのまま私は間に割り込んだ。

 当然の如くリーベが怒り、唸り声を発している。

 私は構わず肉に顔を近づけた。

 するとどうだろう。アンドゥルフは体を少しずらしたのみで何も言わず、平然と貪り続けているのだ。

 これにはリーベも唖然として一瞬動きを止めた。


 結局私はリーベによって追い払われ後退した。

 最後になってやっと獲物にありつくことはできても、元より食欲などこれっぽっちもない。

 口に残るのは底知れぬ絶望だけだった。











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