06
分けたら短かったので二話載せちゃいます。
もう一つ、私を妙な気持ちにさせているものがあった。
仲間、特に雄の狼を気がつけばよく品定めするように見ていることがあった。
初めての感覚に戸惑い、混乱した。
そして同時に他の狼たちもそわそわし始めていることに気がついた。
若い雄たちを中心に物欲しそうな顔つきでこちらを見ているように思う。なにせリーベを除く雌狼は私を入れても三頭しかいない。
もちろん仔狼たちは蚊遣りの外である。
そしてアルファ夫婦も御多分に洩れず、四六時中寄り添い合っていた。
それに比例するように狼たちへの叱責が激しくなった。不用意に近づいたり、狩ったばかりの獲物の匂いを嗅いだだけでも唸り声をあげて飛びかかってくる。
もちろん異性への欲望をちらりとでも出したときも。
ある日、弱い光ながら太陽が顔を出し、どことなく爽やかな寒さに包まれた昼のこと、降ったばかりの雪をいっぱいに散らして仔狼たちが遊び回っていた。
仔が好きなオルクスとカイ、イッサやハルも時にそこに混じったりし、他の者はめいめい散らばって居眠りしたりその様子を眺めていた。
私もまた見るともなしに見つめたり軽く目を瞑ったりしていたが、不意に軽く耳を噛まれて顔を上げる。
アクバルがその鋭い目を殊更に細め、ゆったりと尾を振って私を見つめていた。
少し不安になり視線を外すと、アクバルは私の鼻筋に触れた後、私に寄り添って座り頬の辺りをいかにも親しげに舐め始めた。
逃げ出そうか迷うも、結局私はそのまま座っていた。
彼ならいいかもしれない。
いつの間にかそう考え、彼との未来を思い浮かべる自分がいた。今は無理だけど、春になったらこの群れを出て新しい家族を作る。
もしかしたら私の傷はそうやって癒されるのかもしれない。
彼なら頼りがいのある夫になってくれるだろう……。
知らぬうちに目を瞑っていた私は、アクバルの短い悲鳴と鈍い衝撃を感じて驚いて目を見開いた。
目の前でアクバルが仰向けになり必死に許しを乞うている。そして彼を引っくり返して押さえつけているのはアンドゥルフだ。
めくり上がった上顎とそこから低く漏れる唸り声、ぎらつく緋の目は当事者でない私ですら震え上がらせる迫力で、思わず浮き足立ってしまう。
アクバルはもう仔狼のような甲高い声をあげて腹を出し、前足をアンドゥルフの肩に乗せている。
それでも彼はアクバルの鼻に噛みつき激しく揺さぶった。
やっと力を緩め、アンドゥルフは顔を上げる。私と目が合った。
私は咄嗟に身を縮めてしまった。とがめられると思ったのだ。
だが彼は私を一瞥したのみで身を翻した。
主従の差を思い知らされると、狼たちは気力が萎え抵抗する気も起きなくなる。アクバルはもう私には目もくれず、うな垂れたまま足早に去った。
気がつくと全員が一斉にこちらを見つめていた。
とがめるにしても少しやりすぎなのではないかと私は彼の背を見送りながら思ったのだった。
どうやらアクバルがそれとなく牽制していたために、他の狼たちが近づいてこなかったらしい。
とはいえオルクスとカイは揃ってはにかみ屋で仔狼たちの世話をする方が性に合っているようだった。根っからの子守狼なのだ。
ブレマンは細身の狼でなかなか鋭い眼光をもって私を食い入るように見つめるときもあったが、無口でエティと同じく独りでいる方が好きらしい。そのせいもあってかなんとなくブレマンとエティは一緒にいることが多い。
ちなみにエティとは相変わらずまともに話したことがなかった。私には特に関心がないようである。
ハルは年のわりにどことなく仔狼っぽさのある狼で体もそれほど大きくない。
遊ぶのが好きで仔狼たちをよく相手してやっていたが、そうでないときはイッサの傍にいる。この群れに元々いた者同士で仲が良いのだ。
私もイッサを通して彼と話すようになっていたが、なんとなくそっとその場から離れたりもする。兄妹のような二頭が並んでいるのを見るとなんだか微笑ましくて心が和むのである。
そんなこんなで仮にベータのアクバルにどやされるとしても、そのアクバルをああまで屈服させてしまうアンドゥルフに恐れをなして危険を冒す者などいないだろう。
そのことに安堵する反面、ほんの少しだったが寂しいという思いもあって相変わらず落ち着かない。
だがやはり私には望ましいのだ。死の淵から救い出され、多少窮屈な思いをしながらも安心を享受している。飢えに怯えることもなく、なによりも私は独りではない。
私がもっと強くなって自信に溢れるのなら、ふさわしい時にふさわしい伴侶を得て自分の群れを作っていけばいい。
その時になったら。ふと私は思った。
私の故郷に帰ってこられたりするのだろうか。
自嘲に近い笑みが微かに浮かんだ。
守られ守るべきものができれば、あの悪夢から解き放たれるか。
それは雪のひとひらの如く、いつの間にか生まれ出たあえかな希望であった。
イッサによれば、私はしょっちゅうあの山の道を見つめているらしい。そんな時の私はまるで上の空で、話しかけられないこともあると。
旅に出た私を追いかけてきたあの狼たちが故郷を手に入れているかもしれない。
それに今更戻ったところで何がある?
それでも私はそんな儚い思いを捨てきれないでいた。
だが全ては私がこの群れを離れた場合の話だった。