表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/17

04

 半日弱ほどかけて丘陵の一つに辿り着いたとき、カリブーたちの匂いが風に運ばれてくるのがわかった。そして何よりもカリブーの足跡が道となって続いている。

 アンドゥルフは先んじて周囲の様子を調べると戻ってきて群れを呼び集めた。それからは風の向きに注意して、時にはカリブーの進路を迂回するように進みだす。

 目に見える痕跡を探り当てたことでより一層の興奮に包まれた狼たちは慎重に足を運びながらも速度を上げていく。時々立ち止まって匂いを嗅ぎ、相手の正確な位置を調べる。

 そしてうまく回り込むようにして彼らを見下ろすことのできる小高い丘に立ったのだった。

 風は横合いから吹いていてカリブーたちに気づいた様子はない。



 アンドゥルフはその謎めいた瞳でじっと眼下のカリブーたちを眺める。

 弱ったカリブーを探しているとわかっているのに、どうしてもそれ以上の何かを見透かそうとしているように思えてくる。とはいえ私も他の狼たちも獲物の選定を行っていることに変わりはない。


 広い低地は湖の跡、そこに数百頭ほどのカリブーの群れが身を休め反芻している。木の枝に似た巨大な角をもち首元の毛は白く豊かで暗い灰褐色の冬毛を纏っている。

 そそり立ち枝分かれした角に比べ半分ほどの長さしかないのは雌だ。そして仔もいる。

 しばらくこのまま静観するのかと思ったら、アンドゥルフはゆっくり丘を下り始める。その後にリーベが続く。近くまでいってよく見ようというのだ。

 十七頭全員がぞろぞろと湖に向かっているのだから、風向きがどうであれすぐに一頭のカリブーが顔を上げる。それを皮切りに一斉に立ち上がりこちらを見つめてきた。私たちは散り散りになってカリブーたちの弱点を見極めていく。

 私ははたと思いつき、カリブーにあまり近寄らないようにする。夏にはあまり役に立たなかったこの毛をここで生かそうと思ったのだ。

 仔は群れの中心に集められており、熟練した老カリブーもまた群れの真ん中へ入ろうとするだろう。当たりをつけるにはまだ足りない。


 夫婦はカリブーたちに向かって軽く駆け出した。カリブーたちは右手にある森を目指して逃げ出す。

 カリブーたちは全員が沖の方に集まっていた。茂みに囲まれた岸辺を渡ると雪は柔らかく足をとられる。

 雪溜まりを越えると速度が上がったが、カリブーたちが森へ逃げ込むのを阻めそうにない。だが動かしたことでどの個体が狙い目か、かなり絞られた。

 私たちも森に飛び込んだ。

 木は身を隠すには優れているが、走るには不適だ。上背があり固い蹄を有するカリブーは深く柔らかな雪をものともしない。それに加え木の根や窪みがある森の道は狼たちにとって障害になる。

 私も例外なく体の半分以上が埋もれながら走っている。しかし狼たちは諦めることはしないようだ。かなりの距離を苦心しながら進んでいたが、夫婦は止まる気配を見せない。

 といっても私はやはり最後尾で先頭の様子がどうなっているのか、カリブーの蹄が雪を踏み固めていく音しかわからない。

 彼らと狼たちの吐く息と背から立ち上る蒸気とが薄らと木々の間を漂っていた。



 私が森を抜けると狼たちは斜面を駆け下りていた。猛烈な雪飛沫をまいてカリブーたちが下っていく。

 私は夫婦が追跡を諦めなかった理由を悟った。森を抜けた私の足は羽がついたように軽くなり斜面が追い風となってかなりの速度が出た。

 斜面を下りるにつれてカリブーたちの固まりが徐々にほぐれていき、安定して下ることができない怪我持ち病持ちや老いた者、おぼつかない足取りの仔カリブーらが手に取るように見えてくる。

 事実、狩りを成功させる要因の半分はもう狼たちの手の内に入ったのも同然だった。

 アンドゥルフが怪我もちの一頭に的を絞り、その距離を縮めていく。まだ若いカリブーのようだったが左の後足が変形しているらしく上手く足を伸ばしきれていない。

 斜面を下り終わると平地とそれに続く緩やかな起伏のある地面になった。

 カリブーの群れの先頭は再び結束し始め、すでに死線を乗り越えてこちらの様子を見守る余裕を取り戻しつつある。

 あとは数頭のカリブーが必死に仲間たちへ混じろうとしていた。


 私は立ち止まった。

 アンドゥルフの黒い体が影のように怪我持ちに張り付いている。

 怪我持ちは他の狼たちに阻まれて円を描くように走り回されており、到底逃げ切れそうもない。

 驚くほどその巨体が高々と飛び上がり、カリブーの首を締め上げたのだった。

 アンドゥルフの力はもの凄かった。怪我持ちとはいえ若いカリブー、しかも命の危険にさらされた者は土壇場でとてつもない怪力を発揮する。

 現にカリブーは牙をねじ込まれたまま二三度大きく跳ね、彼を持ち上げさえした。

 しかし彼の顎もまた離れない。

 そのままカリブーは彼を引きずって進んでいる。

 そのときリーベが鼻を、アクバルや仔狼らが足や尻に噛みつき、とうとう雪の大地に引き倒されたのだった。



 夫婦は集まってきた狼たちをたとえ仔狼であっても容赦せず追い払い、獲物を独占し始めた。

 血の匂いが溢れ、皮が剥がれた肉から温かな湯気が立ち上る。

 その光景に堪えきれなくなった狼たちは懲りずに寄ってきては夫婦に怒られている。

 私だけが動かず、遠巻きに眺めていた。

 面白くない。

 私はどうしても自分で狩りたかった。血の匂いが鼻腔を刺激しても素直に喜べない。

 たぶん食欲よりも、純粋に狩りをしたい気持ちが勝っていたのだ。

 私は辺りを見渡した。

 逃げ延びたカリブーたちはこの殺しの場を見つめ続けていた。しかしそのうち先頭の一頭が動き出したのだろう、向きを変え再び前進を始めた。

 そこで私は格好の獲物を見つけた。

 遅れて群れに合流したであろう一頭は老いていて疲労もしており、群れの中央に入ることができないまま最後の方にくっついていた。私は滑るように動き出した。

「あっ、どこへ行くの?」

「来て」

 イッサが声をかけてくる。私のしようとしていることに気づいた彼女は驚いてついてきた。

「えっ?これから狩りをするの?だってもう仕留めたじゃない!」

「しっ」

 やはり私の体はよく紛れるらしい。警戒が緩んだせいもあるだろう。その接近に気づいていなかった。

「いいじゃない。それにカリブー一頭じゃ足りないわ。もう一頭くらい狩ったって損をするわけじゃないんだし」

 イッサは後ろを振り返ってまだ何か言いたそうにしていたが、結局は私の後についてきた。

 カリブーたちは左側へ進路を取り、その先の森へと消えようとしている。

 私が狙うカリブーは首をだらりと垂らし見るからに疲れた様子で歩いている。立派な体格と角を持つ老カリブーだったが、今や群れについていくのがやっとという様子である。

 その距離をすぐに縮め、私は全く気づかれることなく背後から近づいていき、いきなり飛びかかった。

 老カリブーが驚き叫んで前足を振り上げる。

 緊張が解けつつあった群れは地響きをあげて遠ざかっていく。

 やはり体格が良いだけのことはある。若かりし頃は実に見事なカリブーだったのだろう。

 前足を振り上げ、盛んに首をよじるその力で私の牙が離れてしまった。振り飛ばされてもすぐに体勢を立て直し再び噛みついた。

 白く分厚い首の毛と頑丈な皮膚は牙が通るのを防ぐ。顎の力を強め、引き倒そうとする。

 カリブーは苦しげな息をあげながらも踏ん張ってまた首を振った。

 そのときカリブーが前につんのめった。後足を噛まれたのだった。イッサはすぐに回り込んでカリブーの鼻先に飛びつく。足は狙いやすいが同時に蹴りがくる可能性があるからだ。

「強いわよ、こいつ」

 彼女もまた振り飛ばされて叫ぶ。

 私はそうは思っていない。すでに足が震えている。立っているのが精一杯なのである。

 勝敗を決めるのはなにも力の差だけではないのだから。

 カリブーが二三歩踏み出す。私は思いきって全体重を押しつける。イッサが鼻先に噛みつく。カリブーは唸り、最後の力を振り絞って暴れた。

 カリブーが急に体を強張らせた。そして私の方へ倒れてくる。

 飛びのくと反対側にいたのはアクバルだった。彼は首に噛みついたまま、まだもがくカリブーを押さえつける。

 私もイッサもすぐに倣い、息の根を止めることに成功したのだった。


 このとき私がもう少し冷静であったなら、そしてよろしく経験を積んでいたのなら、次に取るべき行動がわかっていたのかもしれない。

 私は興奮していた。

 顎から胸元までを染めた血の匂いに酔い、そして喜びではち切れそうになっている。

 私は早速この獲物にかぶりつこうとした。

 だから隣にいたイッサとアクバルがさっと飛びのいて下がったことに気づかなかった。

 近づいてきた足音と匂いにようやく顔を上げると、リーベがやってきて私を押しのけようとした。歯を剥き出し下がらせようとしている。

 まるで獲物を横取りする敵のように私には映った。

「これは私が狩っ」

 かっとなった私は同じく歯を剥き出し盾突こうとしてイッサに止められた。

 振り返り気を散らせた隙にリーベは獲物を噛み裂いていた。

 家族といた頃、まだ幼かったせいもあったが、私は両親と並んで食べ、序列も緩やかだった。私が割り込んでも怒らず軽くたしなめる程度で、優しい兄は食いしん坊の私に分け前をくれたりもした。

 もちろんここは別の群れだし、群れによって掟は違ってくる。おまけに私と血を分かつ者はいない。

 そんな当たり前のことを忘れていたわけではなかったけれど、改めて鼻先に突きつけられたようで私の先程までの火のような怒りは一気に冷めていった。


 悠々と貪っている様を下がったところでぼんやり眺めていた私は、気を取り直そうと顔を上げた。するとこちらを見つめる目と直に合う。

 アンドゥルフが貪るのをやめ、凝視していた。

 リーベを見ているのかと思ったが紛れもなくその緋紫の目は私を捉えている。

 横で他の狼が低く身を屈め、鼻を鳴らしてねだっているのに、何処吹く風といった様子で微動だにしなかった。それでもその隙を狙って掠め取ろうとする者はいない。

 私は例の如く目を逸らし、雪に覆われた丘陵を見渡した。


 結局、二頭のカリブーを仕留めたことで全員に充分すぎるくらいに行き渡り、さらには余った肉を貯蔵しておくこともできたのだった。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ