あの日の旅を、またいつか
身内大会「即興小説コンテスト」参加
第一回テーマ「心内空間」×「一人称」
お母さんは、僕が眠れないとき、よく絵本を読み聞かせてくれた。
絵本はたくさんあったけど、一番好きなのは、やっぱり「ユメの旅」だ。
世界の全てを見てみたいと願う、僕と同じくらいの年の女の子であるユメが、たくさんの不思議な体験をしながら、色々なところを旅する物語。
虹の橋を渡ったり、恐竜の時代を訪れたり、時には魔法の世界に行くこともあった。
その話は何度聞いても飽きることはなく、ワクワクとした気持ちが溢れてくる。僕は何十回もユメの旅の読み聞かせをねだった。
僕が魔法の世界に行ったら、何をするのだろう。どんな魔法を使えるのだろう。
図鑑の中の恐竜はかっこいいけれど、いざ目の前に現れたら怖いかもしれない。でも、もしお友達になれたら、とっても頼もしい。
そんなふうに、僕は毎日のように想像を膨らませていた。
お母さん曰く、ユメの旅を読み聞かせると僕はかえって目をパッチリと開き、寝る気配がなくなっていたらしい。
そんなある日、僕はお母さんに叱られた。
どうしてお母さんは怒ったんだろう。僕はお母さんのために頑張っただけなのに。
お母さんの宝物をシールでデコレーションしたら、きっと喜んでくれると思ったのに。
たくさんの悲しみとちょっとの怒りで、僕は自分の部屋でうつむいていた。
小さな水玉が僕の顔を伝って、ポツリと床に落ちる。
「ねえ、どうして泣いているの?」
突然、後ろから女の子の声がした。僕は驚きながら振り向く。
するとそこには、絵本の中からそのまま飛び出してきたような、ユメの姿があった。
「ユメちゃん…?」
僕がびっくりして固まっていると、ユメは柔らかいハンカチで僕の涙を拭った。
「なにか悲しいことがあったの?」
ユメはとても優しい声で、そう問いかけた。
「お母さんに…叱られちゃったの……」
「そっか… なら、わたしと旅に行かない?悲しいことは、きっと忘れられるから」
ユメはそう言うと、僕の手を取った。
「…うん!」
僕もその手を握り返す。
その手は、とても温かかった。
すると、部屋の中がぐるぐると回り始めた。足が地面から離れて、宙に浮くような感覚を覚える。
僕はびっくりして目を閉じてしまった。
「ついたよ、目を空けて」
ユメの呼びかけを聞いて、僕はゆっくりと目を開く。
その瞬間、満天の星空が目に映った。
煌めく星々は夜空を包んで、僕達に温かい光を届けていた。
「わぁ〜!!」
僕は思わず歓声を上げた。
こんな夜空、見たことがなかった。
「綺麗でしょ?ずっと見ていたいくらい」
ユメはそう言うと、芝生に寝転がった。
ポンポンと隣を叩いたので、僕もそこに寝転がる。
それから僕とユメは、まるで夢のような時間を過ごした。
ユメが星座を指でなぞると、星と星の間に白い線が生まれ、絵が浮かび上がる。
お腹が空いたと思ったら、目の前には僕が大好きなお菓子が現れていた。
どれだけ遊んでいたのだろうか。
まだまだ遊んでいたいのに、だんだんと瞼が重くなってきた。
「ユメちゃん、たくさん遊んでくれてありがとう…また、旅しようね!」
「うん、また明日」
ユメはそう言うと、僕に毛布を掛けてくれた。ふかふかした芝生の上で、僕は幸せな思いで目を閉じた。
翌朝、目が覚めると、僕は自分の部屋のベッドにいた。
星空の丘ではない。ユメもいない。
寝ぼけた瞳をこすると、僕の横にはユメの人形が置いてあった。
僕の半分もないくらいの大きさの柔らかい人形。去年のクリスマスにサンタさんがくれた、僕の宝物だ。
そして、不思議なことがわかった。
ユメはいつもはただの人形だけど、夜の寝る前だけ、人間の姿になれるのだ。
それから毎夜、僕とユメはたくさん遊んだ。魔法の絨毯で空を飛んだり、雲の上のレストランに行ったり、ユメのお家に遊びに行ったこともあった。
どんな嫌なことがあっても、ユメと遊べるから我慢できる。
嬉しいことがあったら、今夜ユメに話そうと思って、もっと嬉しくなる。
僕の嫌いなものは、眠気だけだった。
あれから何ヶ月かが経った。もしかしたら、1年くらい経っていたのかもしれない。
とにかく僕は、明日が小学校の入学式という日を迎えていた。
夜ご飯を食べて、お風呂に入って、歯を磨いて、自分の部屋に入る。
そこには、いつものようにユメちゃんがいた。だけど、今日はユメがうつむいていて、少しだけ空気が重かった。
「ユメちゃん、どうしたの?」
ユメは、そっと僕の方を向いた。
気がつくと僕達は夜の踏切の前にいた。
ポツポツと雨が降っていて、一つの大きな傘を二人で持っている。
「わたしと一緒に遊ぶの、楽しかった?」
ユメは自信なさげな声でそう言った。
「もちろん!とっても楽しいよ!」
僕がそう言うと、ユメは「そっか」と消え入りそうな声で返した。
数秒の沈黙。風が少しずつ強くなってきて、横から僕達を濡らす。
「強くなったね」
ユメはそう言った。
「あのときは、毎週のように泣いてたのに。今は、ほとんど泣かなくなったよね」
急に何を言っているのだろうか。
「わたしがいなくなっても、もう大丈夫だよ。きみは、強くなったから」
「…え?」
ユメが何を言ったのか、わからなかった。
僕はユメがいたから、泣かないでいられた。ユメがいたから、毎日が楽しかった。
「わたしは、もっと遠くに旅に出るの。世界中、全部全部旅をしないといけないから」
そう言うと、ユメは傘から手を離して、踏切の向こうへと歩いていってしまう。
「待って!待ってよ!僕は、ユメがいたから強くいられたの!」
「…じゃあね」
それは押し殺したような声だった。
止まらない涙で視界が歪み、ユメはもう踏切の向こうへと行ってしまった。
「まだ、ユメと一緒に行きたいところがたくさん──」
雨がみるみる強くなり、その声はかき消されてしまった。
閉じた踏切でユメの顔は隠れてていて、どんな表情をしているのかは分からない。
カンカンカンと踏切の音がして、まもなく電車が踏切を横切った。
踏切の向こうには、誰の姿もなくなっていた。何度も目をぬぐって見てみても、ユメはそこにはいない。
そうしている内に、踏切の景色は少しずつ壊れていき、やがていつもの僕の部屋に戻ってしまった。
今までの光景は、最初から全て幻だったかのように。
泣いた。泣いた。
疲れ果てて眠ってしまうまで泣いた。
起きてからも泣いた。学校にも行かずに泣いた。涙が枯れるまで泣いた。
───
ユメが「イマジナリーフレンド」のようなものだったとわかったのは、それから何年もしてからのことだった。
もうユメが現れることはなかったけれど、ユメのぬいぐるみだけは、今でも大切に持っている。
そして、ユメのぬいぐるみを持って、時々に旅に出るのだ。
あのとき、行きたかった場所へ。




