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あの日の旅を、またいつか

作者: すとーむ
掲載日:2026/10/05

身内大会「即興小説コンテスト」参加

第一回テーマ「心内空間」×「一人称」

 お母さんは、僕が眠れないとき、よく絵本を読み聞かせてくれた。

 絵本はたくさんあったけど、一番好きなのは、やっぱり「ユメの旅」だ。

 世界の全てを見てみたいと願う、僕と同じくらいの年の女の子であるユメが、たくさんの不思議な体験をしながら、色々なところを旅する物語。

 虹の橋を渡ったり、恐竜の時代を訪れたり、時には魔法の世界に行くこともあった。


 その話は何度聞いても飽きることはなく、ワクワクとした気持ちが溢れてくる。僕は何十回もユメの旅の読み聞かせをねだった。


 僕が魔法の世界に行ったら、何をするのだろう。どんな魔法を使えるのだろう。

 図鑑の中の恐竜はかっこいいけれど、いざ目の前に現れたら怖いかもしれない。でも、もしお友達になれたら、とっても頼もしい。


 そんなふうに、僕は毎日のように想像を膨らませていた。


 お母さん曰く、ユメの旅を読み聞かせると僕はかえって目をパッチリと開き、寝る気配がなくなっていたらしい。



 そんなある日、僕はお母さんに叱られた。


 どうしてお母さんは怒ったんだろう。僕はお母さんのために頑張っただけなのに。

 お母さんの宝物をシールでデコレーションしたら、きっと喜んでくれると思ったのに。


 たくさんの悲しみとちょっとの怒りで、僕は自分の部屋でうつむいていた。

 小さな水玉が僕の顔を伝って、ポツリと床に落ちる。


「ねえ、どうして泣いているの?」


 突然、後ろから女の子の声がした。僕は驚きながら振り向く。

 するとそこには、絵本の中からそのまま飛び出してきたような、ユメの姿があった。


「ユメちゃん…?」


 僕がびっくりして固まっていると、ユメは柔らかいハンカチで僕の涙を拭った。


「なにか悲しいことがあったの?」


 ユメはとても優しい声で、そう問いかけた。


「お母さんに…叱られちゃったの……」


「そっか… なら、わたしと旅に行かない?悲しいことは、きっと忘れられるから」


 ユメはそう言うと、僕の手を取った。


「…うん!」


 僕もその手を握り返す。

 その手は、とても温かかった。

 

 すると、部屋の中がぐるぐると回り始めた。足が地面から離れて、宙に浮くような感覚を覚える。

 僕はびっくりして目を閉じてしまった。


「ついたよ、目を空けて」


 ユメの呼びかけを聞いて、僕はゆっくりと目を開く。

 その瞬間、満天の星空が目に映った。


 煌めく星々は夜空を包んで、僕達に温かい光を届けていた。


「わぁ〜!!」


 僕は思わず歓声を上げた。

 こんな夜空、見たことがなかった。


「綺麗でしょ?ずっと見ていたいくらい」


 ユメはそう言うと、芝生に寝転がった。

 ポンポンと隣を叩いたので、僕もそこに寝転がる。


 それから僕とユメは、まるで夢のような時間を過ごした。


 ユメが星座を指でなぞると、星と星の間に白い線が生まれ、絵が浮かび上がる。

 お腹が空いたと思ったら、目の前には僕が大好きなお菓子が現れていた。


 どれだけ遊んでいたのだろうか。

 まだまだ遊んでいたいのに、だんだんと瞼が重くなってきた。


「ユメちゃん、たくさん遊んでくれてありがとう…また、旅しようね!」


「うん、また明日」


 ユメはそう言うと、僕に毛布を掛けてくれた。ふかふかした芝生の上で、僕は幸せな思いで目を閉じた。


 翌朝、目が覚めると、僕は自分の部屋のベッドにいた。

 星空の丘ではない。ユメもいない。


 寝ぼけた瞳をこすると、僕の横にはユメの人形が置いてあった。

 僕の半分もないくらいの大きさの柔らかい人形。去年のクリスマスにサンタさんがくれた、僕の宝物だ。



 そして、不思議なことがわかった。

 ユメはいつもはただの人形だけど、夜の寝る前だけ、人間の姿になれるのだ。


 それから毎夜、僕とユメはたくさん遊んだ。魔法の絨毯で空を飛んだり、雲の上のレストランに行ったり、ユメのお家に遊びに行ったこともあった。


 どんな嫌なことがあっても、ユメと遊べるから我慢できる。

 嬉しいことがあったら、今夜ユメに話そうと思って、もっと嬉しくなる。

 僕の嫌いなものは、眠気だけだった。



 あれから何ヶ月かが経った。もしかしたら、1年くらい経っていたのかもしれない。

 とにかく僕は、明日が小学校の入学式という日を迎えていた。


 夜ご飯を食べて、お風呂に入って、歯を磨いて、自分の部屋に入る。


 そこには、いつものようにユメちゃんがいた。だけど、今日はユメがうつむいていて、少しだけ空気が重かった。


「ユメちゃん、どうしたの?」


 ユメは、そっと僕の方を向いた。


 気がつくと僕達は夜の踏切の前にいた。

 ポツポツと雨が降っていて、一つの大きな傘を二人で持っている。


「わたしと一緒に遊ぶの、楽しかった?」


 ユメは自信なさげな声でそう言った。


「もちろん!とっても楽しいよ!」


 僕がそう言うと、ユメは「そっか」と消え入りそうな声で返した。


 数秒の沈黙。風が少しずつ強くなってきて、横から僕達を濡らす。


「強くなったね」


 ユメはそう言った。


「あのときは、毎週のように泣いてたのに。今は、ほとんど泣かなくなったよね」


 急に何を言っているのだろうか。


「わたしがいなくなっても、もう大丈夫だよ。きみは、強くなったから」


「…え?」


 ユメが何を言ったのか、わからなかった。

 僕はユメがいたから、泣かないでいられた。ユメがいたから、毎日が楽しかった。


「わたしは、もっと遠くに旅に出るの。世界中、全部全部旅をしないといけないから」


 そう言うと、ユメは傘から手を離して、踏切の向こうへと歩いていってしまう。


「待って!待ってよ!僕は、ユメがいたから強くいられたの!」


「…じゃあね」


 それは押し殺したような声だった。

 止まらない涙で視界が歪み、ユメはもう踏切の向こうへと行ってしまった。


「まだ、ユメと一緒に行きたいところがたくさん──」


 雨がみるみる強くなり、その声はかき消されてしまった。

 閉じた踏切でユメの顔は隠れてていて、どんな表情をしているのかは分からない。


 カンカンカンと踏切の音がして、まもなく電車が踏切を横切った。


 踏切の向こうには、誰の姿もなくなっていた。何度も目をぬぐって見てみても、ユメはそこにはいない。


 そうしている内に、踏切の景色は少しずつ壊れていき、やがていつもの僕の部屋に戻ってしまった。

 今までの光景は、最初から全て幻だったかのように。


 泣いた。泣いた。

 疲れ果てて眠ってしまうまで泣いた。


 起きてからも泣いた。学校にも行かずに泣いた。涙が枯れるまで泣いた。


───


 ユメが「イマジナリーフレンド」のようなものだったとわかったのは、それから何年もしてからのことだった。


 もうユメが現れることはなかったけれど、ユメのぬいぐるみだけは、今でも大切に持っている。


 そして、ユメのぬいぐるみを持って、時々に旅に出るのだ。


 あのとき、行きたかった場所へ。


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