第四章 『王は眠らない(布団で)』
季節は春と夏の狭間。
紫陽花が濡れそぼる、梅雨の季節。
ジメジメとした湿気が肌にまとわりつくこの時期、人類にとって最も偉大な発明品がその真価を発揮する。
そう、『布団乾燥機』と『高機能除湿マット』を備えた、極上の布団である。
「ハルくん、起きてください。緊急事態です」
日曜の朝。二度寝という至高の快楽を貪っていた俺の耳元で、母さん(女神)がフライパンとオタマを打ち鳴らした。カンカンカン!
「……うるさい。俺は今、夢の中で伝説の勇者として魔王を倒したところなんだ。あと五分でエンディングが見られる」
「寝言を言っている場合ではありません。今、この国から『睡眠』という文化が消えようとしています」
母さんは深刻な顔で、一枚のビラを突きつけてきた。
そこには、力強い筆文字でこう書かれていた。
『惰眠を貪るな。国民よ、24時間働け』
『江戸川ふとん店、全店舗閉鎖のお知らせ』
『本日より、布団の製造・販売を禁止し、全ての在庫を焼却処分とする』
「……は?」
俺は飛び起きた。
江戸川ふとん店。それは国内シェアの8割を誇る、寝具界の絶対王者だ。
その布団がなくなる? つまり、この世から安眠が消える?
「犯人は江戸川アオイ。江戸川家の次期当主にして、この国で最も『意識が高い』10歳児です」
「意識が高いのは勝手だが、俺の睡眠時間を巻き込むな!」
「彼女は今、学園の中等部設立記念式典をジャックして、演説を行っています。彼女を止めなければ、今夜から君の寝床はフローリング直置きですよ」
俺はパジャマを脱ぎ捨てた。
世界平和はどうでもいい。だが、俺の腰と背中を守るためなら、神にだって牙を剥く。
◇
王立アカデミー、大講堂。
本来なら校長が話をしているはずの演壇に、その少女は立っていた。
背筋を定規で測ったかのように伸ばし、凛とした立ち姿。
葵の花をあしらった着物風のドレスを身にまとい、腰には身の丈ほどもある巨大な扇子を携えている。
威圧感。
10歳にして、すでに数万人を従えてきたかのような『王の覇気』が、講堂全体を支配していた。
「諸君! 人間は人生の三分の一を睡眠に費やすという! なんたる無駄! なんたる損失!」
江戸川アオイが扇子を広げ、高らかに宣言する。
「我、江戸川アオイは決断した! 軟弱な布団という甘えを捨て、人は常に覚醒し、高みを目指すべきであると! よって、我が家の全工場を『エナジードリンク製造所』へと作り変える!」
講堂に集められた生徒たちがざわめく。
その中には、見知った顔もあった。
「……ふん。布団なんてなくても、私はハルお兄ちゃんのベッドに潜り込むから関係ないわ」
闇属性のヒヅキが不敵に笑う。
「睡眠か……太陽が沈んでいる間の活動なら、私も賛成だ!」
光属性のヒマワリがズレた同意を示す。
「……眠らないと、お肌に悪いのよ」
夜属性のミサキが気怠げにため息をつく。
ダメだこいつら。危機感が足りない。
俺は生徒の群れをかき分け、最前列へと躍り出た。
「異議あり!」
俺の声が講堂に響く。
アオイの視線が、鋭い刃のように俺を射抜いた。
「何奴だ。我が覇道に異を唱えるか」
「俺は桜川ハル。ただの睡眠愛好家だ! 布団を返せ!」
「……愚かな。寝具にすがる弱者よ」
アオイが扇子を一振りする。
その瞬間、俺の体に強烈な重力がのしかかった。
「ぐっ……!?」
「我が家の家訓は『高貴なる者は重きを背負う』。これぞ王の重圧!」
重力魔法か。
膝が笑う。立っているだけで精一杯だ。周囲の生徒たちはすでに土下座の姿勢で床にへばりついている。
「立てまい。貴様のような凡夫に、王の視線の高さは耐えられぬ」
「……重いな」
「当然だ。これが国の三分の一を背負う重さよ」
「いや、違う」
俺は歯を食いしばり、震える足で一歩を踏み出す。
重力に逆らうのではない。受け流すのだ。
柳のように。あるいは、低反発枕のように。
「お前が背負ってるのは、ただの『寝不足』だ!」
「……な、に?」
図星だったのか、アオイの眉がピクリと動く。
「目の下のクマ、コンシーラーで隠してるだろ。肌も荒れてる。覇気で誤魔化してるが、お前、本当は限界なんじゃないか?」
「無礼者! 王は疲れない! 王は眠らない!」
「いいや、王こそ休むべきだ。最高のパフォーマンスを発揮するためにな!」
俺は魔法を発動する。
属性は『初夏』。
春の微睡みと、夏の気怠さが交差する、魔の季節。
「食らえ、秘奥義・『五時間目の授業』!」
俺を中心に、心地よい空気が広がる。
重力魔法の『重さ』が、質を変える。
ただ重いのではない。
羽毛布団に包まれた時のような、適度な重みと安心感へ。
「な……身体が……動か……」
アオイの扇子が手から滑り落ちる。
張り詰めていた糸が切れるように、彼女の膝が折れた。
倒れる寸前、俺は風魔法で彼女の身体を優しく受け止める。
ふわりと、最高級の雲の上に寝かせるように。
「……ふわぁ……」
アオイの口から、可愛らしいあくびが漏れた。
抗えない眠気。それは生物としての本能。
「……心地、よい……これが、ふとん……?」
「そうだ。お前の家が作ってきたのは、人をダメにする道具じゃない。明日を戦うための充電器だ」
「……充電……そうか、私は……ただ……眠たかっ……」
アオイは俺の腕の中で、安らかな寝息を立て始めた。
その寝顔は、覇王のものではなく、ただの年相応の少女のものだった。
講堂に静寂が戻る。
重圧から解放された生徒たちが、呆然と俺たちを見つめる。
「……ハルお兄ちゃん?」
「ハル!」
「ハル……?」
背後から、三種類の殺気(ヤンデレ、ハイテンション、メンヘラ)が膨れ上がるのを感じた。
『おめでとうハルくん! また一人、あなたのハーレムに「眠れる森の暴君」が追加されました!』
脳内でファンファーレが鳴る。
数分後、目を覚ましたアオイは、俺の顔を見るなり顔を真っ赤にして叫んだ。
「さ、桜川ハル! 貴様、私に何をした!」
「寝かせただけだ」
「……責任を取れ!」
「は?」
アオイは扇子で口元を隠し、潤んだ瞳で俺を睨みつける。
「王である私に膝をつかせ、あまつさえ抱き留めるとは……! よろしい、貴様を私の『抱き枕』に任命する! 毎晩私の寝所に来い! 貴様がいないと眠れない体になってしまったではないか!」
「……お断りします」
「却下する! これは王命である!」
こうして、世界から布団が消える危機は去った。
代わりに、俺の睡眠時間は別の意味で危機に瀕することになった。
右手に皇(幼馴染)、左手に夏目(太陽)、背後に月乃下(月)、そして正面に江戸川(王)。
俺の周りだけ、人口密度とカロリーが高すぎる。
これが、女神のやることか。
俺はただ、静かに眠りたいだけなのに。
お読みいただきありがとうございます!
これにて「幼少期編」完結です!
ハルくんの受難の日々(英才教育)を見守ってくださり、ありがとうございました。
「布団で世界を救うのは新しい」「結局ハルが一番ヤバイ」と思っていただけたら、
ブックマークや評価(★)をドーン!と押していただけると、アオイちゃんの睡眠時間が延び、女神(作者)のやる気が覚醒します!
さて、次話からは……時を飛ばして「高校生編」スタートです!
役者は揃いました。ここからが本当の地獄(青春)です!
【次回予告】
『あらあら、ハルくん。幼少期のチュートリアル、お疲れ様でした!
立派に育った貴方に、ママから入学祝いのプレゼントです!
それは……「奇跡のクラス分け(地獄の釜の蓋)」!
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「ククク……我は魔王の器。貴様を最初の眷属にしてやろう!」
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次回、これが女神のやることか。
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