第三章 『月下美人は夜に(病んで)咲く』
秋。それは読書の季節。
涼やかな風が吹き抜け、夜が長くなり、インドア派の俺にとっては最高の季節だ。
俺は今、発売されたばかりの週刊少年漫画誌を片手に、至福の時を過ごしていた。
「ハルくん。残念なお知らせです」
その至福を、ピンク色の悪魔(母)がぶち壊しに来た。
手には不穏な紫色の液体が入った小瓶を持っている。
「なんだよ。今いいところなんだ」
「このままだと、その漫画の連載、来週で終わりますよ?」
「は? 人気投票一位だぞ」
「作者が廃人になるからです。正確には、世界中のクリエイターが」
女神モモネは、小瓶をチャプチャプと揺らす。
「これは『ドリーム・ヘイズ』。飲むと脳がとろけて、何も考えられなくなる魔法薬です。これを開発した裏組織が、あろうことか『創作活動は苦しみを生むから、みんなラリって幸せになろうキャンペーン』を始めようとしています」
「……俺の楽しみを奪う奴は許さん」
「いい返事です。敵は『月下組織』。ボスの娘が、今夜取引現場に現れます」
俺は漫画を閉じた。
愛と勇気はどうでもいい。だが、来週の休載だけは阻止する。
◇
ネオンサインが毒々しく輝く、歓楽街の裏路地。
秋の夜風は冷たいが、ここには腐った生ゴミと鉄錆の匂いが充満している。
7歳児が来る場所ではないが、俺はもう人生3回分くらい生きている気分なので問題ない。
廃工場のような倉庫の屋根に、俺は降り立った。
眼下には、黒服の男たちが数人。そして、その中心に一人の少女が座っていた。
豪奢なゴシックドレス。透き通るような白い肌。
夜闇そのものを切り取ったような長い黒髪。
その儚げな美貌は、まさに『月下美人』の名に相応しい。
だが、その瞳は死んでいた。
ハイライトがない。深淵だ。
「……つまらないわ」
少女――月乃下ミサキが呟く。
彼女の周りには、意識を失って白目を剥いている男たちが転がっていた。
見覚えがある。あの「小石」と「陸田」だ。どうやらこの組織の使いっ走りに出戻っていたらしいが、すでにボスの娘の手によって沈められている。
「壊れる時だけが一瞬輝く。人も、世界も」
ミサキは手に持った『ドリーム・ヘイズ』の瓶を見つめる。
そして、おもむろにそれを地面に叩きつけようとした。
「これを下水道に流せば、この街の水道水はすべてハッピーセットね。壊れちゃえ」
「待て待て待て!」
俺は屋根から飛び降りた。
着地と同時に、風魔法でクッションを作る。
「誰?」
ミサキが気だるげにこちらを見る。
その視線だけで、俺の精神が少し削られる気がした。負のオーラがすごい。
「通りすがりの読書家だ。それを流すのはやめてくれないか。俺の推しの漫画家が住んでるんだ、この街」
「……生きるのって、苦しいでしょう? 楽にしてあげる」
「苦しみがあるから、カタルシスがあるんだろうが!」
俺は叫ぶ。
ミサキはきょとんとして、それから歪に口角を上げた。
「変な子。……ねえ、貴方は綺麗に壊れてくれる?」
ゾクリとした悪寒。
彼女の影から、無数の黒い茨のようなものが伸びる。
闇魔法か。それも、精神干渉系の厄介なやつだ。
「『月下美人』。一夜の夢を見せてあげる」
茨が俺に襲いかかる。
物理的な攻撃じゃない。「触れたら精神が汚染される」タイプの魔法だ。
だが、今の俺は秋モード。
食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋。そして何より――『センチメンタルな秋』だ。
「悪いが、俺は今、最高に『おセンチ』なんだよ!」
俺は指を鳴らす。
魔法発動。属性は『秋』。効果範囲は、この倉庫全体。
「秘技・『秋の空と男心』!」
ヒュオオオオオオ……。
もの悲しい木枯らしが吹き抜ける。
どこからともなく、哀愁漂うアコースティックギターの音色が聞こえてくる(環境音)。
「……え?」
ミサキの動きが止まる。
襲いかかってきた茨が、枯れ木のように萎れていく。
「な、なにこれ……急に、昔飼っていたハムスターのことを思い出して……涙が……」
「ううっ……俺、本当はパン屋になりたかったんだよお……」
気絶していたはずの小石と陸田も起き上がり、お互いの肩を抱いて号泣し始めた。
俺の魔法は、強制的に「秋の夕暮れ時のあの切なさ」を心に植え付ける。
戦意喪失。虚無感。そして、過去への郷愁。
どんな凶悪なマフィアも、この風の前ではただの迷える子羊になる。
「なによ……これ……戦う気が……」
「人生なんて、儚いものさ。そうだろ?」
俺はポケットから、焼き芋(コンビニで購入)を取り出し、半分に割る。
ほわわ、と白い湯気が立つ。
「食うか? 甘いぞ」
「……」
ミサキは涙目で俺と焼き芋を交互に見る。
そして、震える手で焼き芋を受け取った。
「……あったかい」
「だろ。世界を壊す前に、芋でも食って落ち着け」
ミサキが焼き芋を一口かじる。
その瞬間、彼女の瞳にハイライトが戻った。いや、戻りすぎた。
深淵だった瞳が、夜空に輝く満月のようにギラリと光る。
「……美味しい」
「それはよかった」
「貴方、名前は?」
「桜川ハル」
「ハル……春……?」
またか。またその反応か。
「私は夜。誰にも見られず咲いて散る花。……でも、貴方という季節があれば、朝まで咲いていられるかもしれない」
ミサキは立ち上がり、俺の胸ぐらを掴んだ。
顔が近い。そして、その表情は先ほどまでの虚無が嘘のように、妖艶で、そして危険な執着に満ちていた。
「ハル。貴方を私の『コレクション』にするわ。ホルマリン漬けにするか迷うけど……生きたまま飼ってあげる」
「遠慮します」
「拒否権はないわ。裏社会の掟よ」
その時。
倉庫の鉄扉が、爆音と共に吹き飛んだ。
「ハルお兄ちゃあああん! 浮気ですかあああ!? GPS反応がこんな掃き溜めを示しているんですけどおおお!」
「おやおや、ハル。光合成の時間だぞ! こんな暗い場所で何をしている!」
現れたのは、皇ヒヅキ(ヤンデレ重戦車)と、夏目ヒマワリ(ハイテンション太陽)。
彼女たちの背後には、それぞれの家の私設軍隊が控えている。
ミサキが冷ややかな目で二人を見る。
「……皇の雌猫に、夏目の電気女。私のハルに気安く触れないで」
「あ? 誰が雌猫ですって?」
「誰が電気女だ! 私は太陽だ!」
三つ巴。
マフィアの娘(夜) vs 財閥令嬢(闇) vs 企業の跡取り(光)。
そして中央には、焼き芋を持った7歳児(俺)。
『おめでとうハルくん! 裏社会ルートも開通です! これで「昼の世界」も「夜の世界」も、君の庭みたいなものですね!』
(いい加減にしろ!)
俺は叫ぶが、声は三人の少女たちの放つ殺気に飲み込まれた。
秋の夜長は、まだ始まったばかりである。
ちなみに、世界中に広まるはずだった薬物は、ヒマワリが「暗い! 景気付けだ!」と放った閃光魔法で全て蒸発し、その蒸気を吸ったマフィアたちが一晩中「お花畑が見えるよぉ」と踊り狂ったことで、組織は壊滅した。
俺の漫画は守られたが、俺の平穏は完全に消滅した。
お読みいただきありがとうございます!
「マフィアの娘がチョロすぎる」「焼き芋食べたくなった」と思っていただけたら、
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【次回予告】
『あらあら、ハルくん。夜の闇を生き延びて、やっとお家のベッドで安眠できると思いました?
甘い! 残念ですが、その布団、国家権力により没収です!
次に現れるのは、国の三分の一を支配する『意識高い系』の覇王(10歳)。
彼女が掲げる恐るべき政策――それは「全人類24時間労働計画」!?
「睡眠は甘え! 夢を見る暇があったらエナジードリンクを飲みなさい!」
降り注ぐ超重力! 撤去される寝具! 世界から「おやすみ」が消える時、ハルは枕を抱いて立ち上がる!
次回、これが女神のやることか。
『第4話 王は眠らない(布団で)』
さあハルくん。君の腰と安眠を守るため、その「春の微睡み(シエスタ)」で暴君を堕としなさい!(イエス・ユア・マジェスティ☆)』




