本編第六章 『悪役令嬢は雨に濡れ、春は傘を差す』
六月。梅雨入り。
紫陽花が濡れそぼる中庭の裏手。
そこは、生徒たちの目が行き届かない死角であり、学園ドラマにおける『いじめ』の発生率ナンバーワンのスポットだ。
俺、桜川ハルは、昼休みの安眠場所を探してそこを通りがかった。
そして、見てしまった。
「ちょっと、何とか言いなさいよ」
「調子に乗ってんじゃないわよ、呪い女」
教科書通りの光景だった。
取り巻きを連れた高飛車な女子生徒(モブ令嬢A、B、C)が、一人の少女を囲んでいる。
足元には泥まみれになった彼岸花。
そして、頭からバケツの水を被ったようにずぶ濡れになっているのは――彼岸サヤカだ。
(……あいつら、死んだな)
俺は即座にそう思った。
サヤカは『魔王の器』だ。その気になれば、指先一つでこの学園を更地にできる魔力を持っている。
あんな低レベルな挑発、彼女にとっては蚊が止まった程度のことだろう。
次の瞬間には、「フハハ! 愚民が!」と高笑いしながら、彼女たちを『闇の彼方(校庭の池)』へ吹き飛ばすはずだ。
だが。
「…………」
サヤカは、動かなかった。
反撃もしない。言い返しもしない。
ただ俯いて、唇を噛み締めていた。
その全身から立ち上るオーラは、いつもの中二病全開の『愉快な闇』ではない。
もっとドロドロとした、底のない『絶望の闇』だった。
『警告! 警告! サヤカちゃんのメンタル値が低下中! ストレスゲージが臨界点突破! このままだと「魔王覚醒」イベが発生し、学園が地図から消滅します!』
(……何やってんだ、あいつ)
俺は足を止めた。
彼女が反撃しない理由。それは一つしかない。
「……私は、化け物じゃない……」
サヤカのか細い声が、雨音に混じって聞こえた。
「やり返したら……本当に、魔王に……」
彼女は耐えていたのだ。
自分の力を。運命を。
カッとなって力を使えば、彼女たちは死ぬ。そうすれば、自分は本当に「悪役」になってしまう。
だから、ただの無力な少女として、理不尽な暴力に耐えることを選んだ。
「あんたみたいな陰気なのが、ハル様や皇様の近くにいるなんて不愉快なのよ!」
「そうよ! 身の程を知りなさい!」
モブ令嬢が、サヤカの胸元を突き飛ばそうと手を伸ばす。
(……ふざけるな)
俺の中で、何かが切れた。
世界を救うとか、魔王を阻止するとか、そんなことはどうでもいい。
ただ、俺のクラスメイト(もとい、俺の専属シェフ役)が、こんなつまらない連中に泣かされているのが気に入らない。
俺は踏み出した。
◇
「ひゃっ!?」
モブ令嬢Aが悲鳴を上げた。
彼女が振り上げた腕に、蔦が絡みついていたからだ。
地面の雑草が急速に成長し、彼女たちの手足を拘束する。
「な、何これ!? 気持ち悪い!」
「誰か、助け……!」
「騒ぐな。ただの草だ」
俺はサヤカの隣に立ち、彼女たちを見下ろした。
別に睨んではいない。ただ、眠くて不機嫌なだけだ。
「さ、桜川様……!?」
「どうしてここに……!」
彼女たちの顔色が青ざめる。
俺への恐怖ではない。俺の背後にある『五大厄災』の影に怯えているのだ。
「お前ら、運がいいな」
「は、はい……?」
「もし俺より先に、ヒヅキやアオイがここを通っていたら、お前らは今頃、東京湾の底か、宇宙の彼方だったぞ」
脅しではない。事実だ。
あいつらは、俺の所有物に手を出した者を物理的に排除する。
「い、言い掛かりです! 私たちはただ、彼女に注意を……!」
「注意? 花を踏みつけて、水をぶっかけるのがお前らの流儀か? 随分と野蛮な教育を受けてきたんだな」
俺は足元の泥だらけの彼岸花を拾い上げる。
折れた茎。潰れた花弁。
「……謝れとは言わない。消えろ」
「っ……!」
「それとも、俺の『春一番』で、校舎の屋根まで飛ばされたいか?」
俺が指を鳴らすと、周囲の空気が渦を巻いた。
彼女たちは「ひいいっ!」と悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
後に残されたのは、雨音だけ。
「……」
サヤカは、まだ俯いていた。
ずぶ濡れの髪から、雫が滴り落ちる。
それは雨なのか、涙なのか。
「……見られた」
「ん?」
「無様なところを……見られた……。笑えよ、愚民。我は魔王の器だと言いながら、水すら払えぬ弱者だ……」
サヤカの肩が震える。
彼女の心にあるのは、孤独だ。
強すぎる力を持つが故に疎まれ、誰とも分かり合えず、傷つくことを恐れて「悪役」の仮面を被った、ただの少女。
「……バカか、お前」
俺はブレザーを脱ぎ、サヤカの頭に被せた。
「魔王がどうとか知らんがな。あいつらを消し炭にしなかった時点で、お前は十分『勇者』だと思うぞ」
「……え?」
「力が強くても、振るわない強さもあるんだろ。俺はそっちの方が好きだ」
サヤカが顔を上げる。
赤い瞳が、潤んで揺れている。
「……でも、花が……」
彼女は、俺の手にある折れた彼岸花を見つめる。
「私の友達が……死んでしまった……」
「死んでない。俺を誰だと思ってる」
俺は彼岸花に魔力を込める。
属性は『春』。再生と芽吹きの力。
折れた茎が繋がり、萎れた花弁が再び鮮やかな赤色を取り戻す。
それだけではない。
俺の魔力に呼応して、中庭の地面から次々と彼岸花が芽吹き、一斉に開花した。
雨の中に広がる、真紅の絨毯。
「……綺麗」
サヤカが息を呑む。
その顔に、ようやく生気が戻った。
「ほら、傘がないならこれを使え」
俺は魔法で巨大なハスの葉を作り出し、彼女に持たせた。
「……ハル。貴様は……本当に、お人好しの愚民だな」
「悪かったな。風邪引くなよ」
俺が歩き出そうとすると、サヤカが俺の制服の裾を掴んだ。
「……待て」
「なんだよ」
「……あ、ありがとう……とは言わぬ! だが……その……」
彼女は顔を真っ赤にして、俯きながら呟いた。
「……今日の貴様は、少しだけ……魔王の配下にしてやっても良いと……思った」
『おめでとうハルくん! サヤカちゃんの「心の闇(孤独)」が浄化されました! 代わりに「依存度」がストップ高です! 彼女の中で貴方は「唯一の理解者」から「崇拝対象」に昇格しました!』
(……またかよ)
俺はため息をつく。
その時、校舎の影から、四つの殺気が膨れ上がるのを感じた。
「……ハルお兄ちゃん? なんでブレザー着てないの?」
「おいハル! その女との距離が近すぎるぞ!」
「……浮気。死刑」
「……毒殺リストに追加」
ヒヅキ、ヒマワリ、アオイ、ミサキ。
勢揃いだ。
「ち、違う! これは人道支援だ!」
「問答無用! お仕置きよ!」
雨上がりの空に、悲鳴と爆発音が響き渡る。
彼岸花だけが、静かにその惨劇を見守っていた。
これが、女神のやることか。
俺の優しさは、いつも俺の首を絞める結果になる。
お読みいただきありがとうございます!
「サヤカちゃんが救われてよかった」「ハル、たまにはカッコいいところあるじゃん」と思っていただけたら、
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さて、雨が上がれば、そこには虹……ではなく、「期末テスト」が待っています。
しかし、この学園のテストがペーパーテストで終わるはずがありません。
次回、「人生ゲーム・デスマーチ編」です!
【次回予告】
『あらあら、ハルくん。魔王の心を救済した貴方に、ご褒美(試練)です!
一学期の総決算、期末考査!
その実態は、運命を弄ぶ「巨大双六」の実地試験!
サイコロの目は「爆発」か「結婚」か!?
強制イベントでウェディングドレスを着せられるヒヅキ!
隕石を落とすヒマワリ! そして断頭台に突っ込むサヤカ!
「1以外を出せば死ぬ! 6を出せば……もっと死ぬ!」
ゴール(進級)か、リタイア(赤点・マグマ遊泳)か。
神のサイコロが振られる時、ハルは「バグ技」で世界をリセットする!?
次回、これが女神のやることか。
『本編第七章 人生ゲーム(デス・マーチ)と、賽は投げられた(物理)』
さあハルくん。運も実力のうちよ! その「平凡な幸運(Eランク)」で、破滅の運命を回避しなさい!(あ、結婚おめでとうハート)』




