第六章 敵として生きるということ
崩壊した施設を離れたのは、夜明けからしばらく経ってからだった。
空は薄い鉛色を帯び、雲の隙間から差す光は、かつての朝とは違う色をしている。世界はもう、無垢な始まりを許さない。
「……追っては来ないな」
ユウトが振り返りながら言った。
「今はな」
ユウは周囲を警戒しつつ答える。
「GENESISは即応より“整理”を優先する。情報が揃うまで、動かない」
「それって……」
「“敵かどうか”を決めてる」
その言葉に、ユウトは黙った。
二人が向かっているのは、RUINS RAIDの仮拠点だった。固定された基地ではない。廃都に点在するいくつかの安全区画を、その時々で使い分ける。生き残るための、最も古く、最も確実な方法だ。
だが、その途中で、異変は起きた。
通信端末が、短く震えた。
ユウは即座に立ち止まり、ユウトを制止する。
「待て」
画面には、見慣れない信号波形が表示されている。GENESISのものでも、ASH RAIDERSの妨害でもない。
「……広域放送?」
「いや、違う。これは……」
ユウは眉をひそめた。
「指名通信だ」
「誰から?」
「“誰でもない”」
ユウトが怪訝な顔をする。
「どういう意味だよ」
ユウは端末を操作し、音声出力を最小に絞った。
ノイズ混じりの合成音声が、静かに流れ出す。
『記録を開始。対象コード:RRD-RUINS-001』
その瞬間、ユウトが息を呑んだ。
「……ユウ」
『当該対象は、GENESIS管理外の行動により、回収プロトコルに重大な干渉を確認』
音声は感情を持たない。それが、逆に不気味だった。
『これより当該対象を――』
一拍、間が空く。
『――“変数”として再定義する』
ユウは、端末を握る手に力を込めた。
「変数……」
それはGENESISの用語だ。
計算に組み込めない要素。排除か、隔離か、あるいは——
「……敵、だな」
ユウがそう呟いた瞬間、通信は切れた。
風が吹き抜け、瓦礫の粉塵が舞う。
世界は何も変わっていない。だが、決定的な線が引かれた。
「なあ」
ユウトが、慎重に口を開いた。
「今のって……もう戻れないやつ?」
ユウはしばらく答えず、空を見上げていた。
崩れた高層ビルの間を、輸送機の影が横切る。GENESISのものだろう。遠いが、確実に存在を主張している。
「最初から、戻る場所なんてなかった」
そう言ってから、ユウは続けた。
「俺たちは“生き残り”だ。管理される前提から外れてる」
「でも、今までは……」
「“見逃されてただけ”だ」
ユウトは、拳を握りしめた。
「俺のせいか?」
その問いは、短く、重かった。
ユウは立ち止まり、ユウトを真正面から見た。
「違う」
はっきりと言う。
「選んだのは、俺だ」
一瞬の沈黙のあと、ユウトは小さく息を吐いた。
「……なら、いい」
「よくない」
ユウは即座に返した。
「これからは、もっと危険になる。GENESISだけじゃない。TOXICも、NIGHTも、どこかで嗅ぎつける」
「それでも?」
ユウトは、目を逸らさなかった。
ユウは、少しだけ迷ったあと、答えた。
「それでもだ」
その言葉は、覚悟だった。
遠くで、別の通信が立ち上がる。
今度は、RUINS RAIDの内部回線。
『……こちらミオ。ユウ、聞こえる?』
「入った」
『あんた、何やったのよ』
ミオの声には、焦りと興奮が混じっている。
『GENESISの監視網が一部、再構築されてる。しかも、あんたの行動履歴を軸に』
ユウは短く息を吸った。
「把握してる」
『把握してるじゃ済まないわ。あんた、もう“通行人”じゃない』
「だろうな」
『……戻ってきなさい。拠点、移す』
ミオは一拍置いて、続けた。
『ユウ。あんた、完全に“物語の中心”に引きずり出されたわ』
通信が切れる。
ユウトは、少し困ったように笑った。
「中心って……柄じゃないな」
「同感だ」
ユウは歩き出す。
「でも、避けられない」
廃都の中で、二人の影は長く伸びていた。
GENESISにとっての“変数”。
世界にとっての“不確定要素”。
そして——
「敵として生きる」
その選択を、ユウはもう引き返せない場所で、受け入れていた。
仮拠点に辿り着く前、ユウは足を止めた。
風向きが変わった。粉塵の匂いに、かすかなオゾンが混じる。
「……止まれ」
ユウトは即座に身を低くする。
二人の視界の先、崩れた交差点の中央に、白い光が立ち上がった。
投影。
だが、ドローンのそれとは違う。遅延も歪みもない。
人の輪郭が、空間に定着する。
「――久しぶりだな、スカベンジャー隊長」
低く、落ち着いた声。
合成ではない。人間の声だ。
「……GENESISの人間が、直に出てくるとはな」
ユウは銃を構えない。相手がそれを望んでいないと、直感していた。
「名乗る必要はないだろう。お前は“変数”だ。こちらは“調整役”」
投影の人物は、三十代半ばに見えた。無駄のない服装、感情を削ぎ落とした目。
だが、そこには確かな“意志”があった。
「回収の件なら失敗した。文句があるなら、現地に来い」
「文句はない」
調整役は、わずかに首を振った。
「むしろ評価している。あの状況で、施設を破壊する判断。合理的だ」
「褒め言葉に聞こえないな」
「褒めてはいない。分析だ」
投影が一歩、前に出る。
距離が縮まる。威圧ではない。対話の距離だ。
「ユウ。お前は理解しているはずだ。世界は管理されなければ、必ず崩壊する」
「もう崩壊してる」
「だからこそだ」
調整役の声が、ほんのわずかに強まる。
「GENESISは、再構築のために存在している。無秩序な未来は、未来とは呼ばない」
ユウは、黙って聞いていた。
そして、静かに返す。
「……選別された未来は?」
一瞬、間が空いた。
「それは“成功率の高い未来”だ」
「“選ばれなかった未来”は?」
「……記録される」
ユウトが、思わず前に出た。
「生きる価値があるかどうか、誰が決める?」
調整役の視線が、ユウトに移る。
「君か」
「俺だ」
ユウトは、声を震わせなかった。
「俺は、拾われなかった。けど、生きてる。ここにいる」
調整役は、しばらくユウトを見つめた。
その視線は、評価ではない。観測だ。
「……興味深い」
そう言ってから、ユウに向き直る。
「見た通りだ。君たちは“計算外”だ。だが――」
投影の光が、わずかに揺れる。
「排除するには、惜しい」
ユウは眉をひそめた。
「勧誘か?」
「提案だ」
調整役は淡々と告げる。
「GENESISの外部協力者として、動け。君の裁量は尊重する。代わりに——」
「選別に、手を貸せ?」
「“調整”だ」
その言葉に、ユウは笑った。
乾いた、短い笑いだった。
「……断る」
即答だった。
「理由は?」
「簡単だ」
ユウはユウトを見る。
その目に、迷いはない。
「未来は、拾われるもんじゃない。誰かの手で“選ばされる”もんでもない」
再び、調整役を見る。
「俺たちは、自分で拾う」
投影の沈黙が、長く続いた。
やがて、調整役は小さく息を吐いた。
「理解した」
その声には、失望ではなく——確信があった。
「では宣言する。ユウ。君は正式にGENESISの“対処対象”となる」
「つまり?」
「敵だ」
淡々とした言葉。
だが、重かった。
「追われる。狙われる。選択肢は減る」
「慣れてる」
「……そうだろうな」
投影が後退し、光が薄れていく。
「最後に一つ、忠告を」
「聞くだけなら」
「“守る”という行為は、必ず足を引っ張る」
その言葉に、ユウトが反応する前に、ユウが答えた。
「なら、引きずってでも進む」
光が消えた。
静寂が戻る。
風の音だけが、廃都を流れる。
ユウトは、しばらく動けなかった。
「……俺、足引っ張る?」
ユウは、首を横に振った。
「いいや」
「じゃあ——」
「並んでる」
ユウトは、少し驚いた顔をしてから、笑った。
「それなら……行けるな」
遠くで、サイレンが鳴る。
GENESISの動きが、確実に始まっている。
ユウは歩き出す。
ユウトも、その横に並ぶ。
敵として生きる。
だが、それは——
選ぶ側として、生きるということだった。




