第五章 拾われた未来の価値
夜が明けきらない空の下、ユウとユウトは廃れた高架道路の影を歩いていた。かつては都市と都市を結んでいた道だが、今では崩落と錆に覆われ、行き先を失った骨組みのように横たわっている。
足元で、砂利が音を立てた。
ユウは反射的に立ち止まり、周囲を確認する。風の音だけだ。追跡の気配はない。
「……静かだね」
ユウトの声は小さかった。
静けさを喜ぶというより、慣れない沈黙に戸惑っているようだった。
「ああ。だから逆に、油断するな」
二人は高架の下にある小さな空間に入り、腰を下ろした。崩れたコンクリートが、即席の壁になっている。ユウはバックパックから水と乾いた携行食を取り出し、ユウトに渡した。
「少し休む。ここなら、すぐには見つからない」
ユウトは頷き、食べ物を口に運んだ。だが、半分ほどで手が止まる。
「……ユウ」
「なんだ」
「俺さ」
少し迷ってから、言葉を続ける。
「GENESISに戻ったら、どうなってたんだろ」
ユウは水を飲みながら、答えを待った。
急がせる必要はない問いだった。
「……ちゃんとした部屋があって、毎日飯が出て、危険な場所には行かなくてよくて」
ユウトは、指で地面の埃をなぞる。
「それって、悪いことじゃないよね」
「悪くはない」
ユウは正直に答えた。
「少なくとも、死ぬ確率は下がる」
「……だよね」
ユウトは少し安心したように息を吐いた。
だが、次の言葉は続かなかった。
「続きは?」
促すと、ユウトは顔をしかめた。
「……でも、なんか、怖い」
その言葉に、ユウは視線を向けた。
「何が?」
「考えなくてよくなるのが」
しばらく、風の音だけが二人の間を流れた。
ユウは、その言葉の意味を噛みしめる。
「考えなくていいってのは、楽だ」
ユウは言った。
「誰かが全部決めてくれる。間違っても、自分のせいじゃない」
ユウトは、じっと聞いている。
「でもな……」
ユウは少し言葉を探し、続けた。
「それは、生きてる理由を、外に預けるってことだ」
「……理由」
「そうだ。『なぜ生きてるか』を、自分で持たなくてよくなる」
ユウトは、ゆっくりと顔を上げた。
「それって……空っぽ、ってこと?」
「空っぽになる前に、形を決められる」
その言い方に、ユウトは小さく息を飲んだ。
しばらくして、彼は言った。
「……ユウは、理由を持ってるの?」
その問いは、鋭く、そして優しかった。
ユウはすぐには答えられなかった。
「前はな」
ようやく、そう言った。
「生き残ること自体が理由だった。腹が減るから動く。撃たれるから隠れる。それだけだ」
「今は?」
ユウは、ユウトを見た。
「……今は、まだ途中だ」
その答えに、ユウトは少し笑った。
「俺も、途中でいい?」
「ああ」
即答だった。
「むしろ、それしかない」
そのとき、ユウの端末が小さく振動した。
拾い物の古い通信機だ。普段は沈黙している。
画面に、断片的な信号が流れる。
明確なメッセージではない。ただの残響のようなデータ。
だが、ユウには分かった。
「……GENESISだ」
ユウトの体が強張る。
「追ってきてる?」
「いや」
ユウは首を振った。
「探してる。俺たちじゃない。“何か”を」
通信の断片には、座標と識別コードが含まれていた。
その形式は、ユウトが知っているものだった。
「それ……俺がいた施設の……」
「だろうな」
ユウは端末を切った。
「お前一人の話じゃない。GENESISは、失われた未来を回収し始めてる」
「未来……」
ユウトはその言葉を繰り返した。
「俺だけじゃない、ってこと?」
「ああ。だから——」
ユウは立ち上がり、荷を背負った。
「お前が生きる意味は、もう“保護される存在”だけじゃない」
ユウトも立ち上がる。
「……俺、選んだよ」
「何を?」
「考えるほうを」
その目は、もう怯えていなかった。
「怖いけど……空っぽになるより、いい」
ユウは、短く頷いた。
それで十分だった。
高架の向こうで、空がわずかに明るくなる。
夜と朝の境界線。世界が、また一日続く合図。
拾われた未来は、問いを持ち始めていた。
第五章は、ここから本当に動き出す。
高架を離れてから、二人は慎重に進路を選んだ。
開けた場所は避け、崩れた建物の影をつなぐように移動する。廃都では、視界の広さは安全を意味しない。見えるということは、見られるということでもあった。
「ユウ」
しばらく黙って歩いていたユウトが、ふいに口を開いた。
「さっきの信号……GENESISは、何を探してるって言った?」
「“未来”だ」
ユウは短く答えた。
「正確には、未来になり得るもの。人か、技術か、記録か……」
「俺も、その一つ?」
「可能性は高い」
ユウトは足を止めなかった。
それが、答えだった。
遠くで、低い駆動音が響いた。
ユウは即座に手を上げ、ユウトを止める。
「伏せろ」
二人は瓦礫の影に身を沈めた。
音は複数。均一な間隔。人間の足音ではない。
「ドローン……?」
ユウトの囁きに、ユウは頷いた。
「GENESIS製だ。索敵型」
瓦礫の隙間から見える空に、灰色の影が横切る。三機。高度は低い。広域スキャンではなく、特定地点の確認に近い動きだった。
「ピンポイントだな」
「俺たち……?」
「違う」
ユウは周囲を見回し、視線を一つの建物に止めた。
半壊した研究施設。古いが、GENESISの設計思想が残っている。
「……あそこだ」
ドローンの一機が、施設上空で停止した。
次の瞬間、施設の奥で微かな光が走る。
「起動音……?」
ユウトの声が震える。
「生きてるシステムだ」
ユウは歯を食いしばった。
「放置されてた遺構だと思ってたが……GENESISが鍵を持ってたら話は別だ」
ドローンが信号を送る。
回収フェーズに入る合図だった。
「どうする?」
ユウトの問いに、ユウは即答しなかった。
逃げる選択肢はある。GENESISの本隊が来る前に距離を取ることもできる。
だが。
「……見過ごせない」
そう言ってから、ユウは自分の言葉に少し驚いた。
「理由は?」
ユウトは、確認するように聞いた。
「“未来”を回収するって言葉が、気に食わない」
ユウは静かに言った。
「誰かが決めた価値基準で、選別して、持ち去る。それは——」
「生きる意味を、また奪うってこと?」
ユウトの言葉に、ユウは頷いた。
「そうだ」
短い沈黙のあと、ユウトは一歩前に出た。
「俺も行く」
「危険だ」
「分かってる。でも……」
ユウトは拳を握った。
「選ぶって、こういうことだろ」
その目に、もう迷いはなかった。
ユウは深く息を吸い、吐いた。
「……ついて来い。ただし、勝手なことはするな」
「了解」
二人は施設の裏手に回り込んだ。
扉は半壊しているが、内部はまだ形を保っている。
中に入った瞬間、空気が変わった。
古い冷却装置の匂い。稼働中の電力音。
「中央制御室が生きてる」
ユウは低く言った。
そのとき、スピーカーがノイズを吐き、合成音声が流れた。
『識別コードを確認。回収対象を検出』
ユウトの体が硬直する。
「……俺だ」
「違う」
ユウは前に出た。
「“お前だけ”じゃない」
モニターに、複数のデータが表示される。
人の名前、設計図、思考ログ。
その中に、ユウトの識別コードがあった。
『対象:未登録個体。高い適応性を確認』
「未登録……」
ユウトが呟く。
「俺、部品じゃなかったんだな」
「最初からな」
ユウは端末を取り出し、回線に割り込んだ。
「聞け、GENESIS。こいつは回収対象じゃない」
『権限不足』
「だろうな」
ユウは、わずかに笑った。
「だから、壊す」
端末を接続し、過負荷をかける。
施設全体が低く唸った。
「ユウト、下がれ!」
警告音。ドローンの武装が展開される。
だが、遅かった。
制御核が悲鳴のような音を立て、光が弾ける。
回収プロセスは強制終了した。
二人は瓦礫の中に飛び込み、衝撃をやり過ごす。
やがて、静寂。
ドローンは制御を失い、墜落していた。
「……やった?」
ユウトの声に、ユウは頷いた。
「ああ。少なくとも、今日は」
二人は瓦礫の山の中で、しばらく動けなかった。
息が整ったころ、ユウトが言った。
「ユウ」
「なんだ」
「俺さ……」
少し間を置いて、続ける。
「拾われた未来、だったんだな」
その言葉に、ユウは答えなかった。
代わりに、空を見上げた。
崩れた天井の向こう、夜明けが始まっている。
「違う」
やがて、ユウは言った。
「未来は——拾われるもんじゃない」
ユウトを見る。
「拾いに行くもんだ」
ユウトは、ゆっくりと笑った。
第五章は、ここで終わる。
“守られる存在”だった未来は、初めて、自分の足で立ち上がった。




