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第三章 狙われる理由

夜は、静かすぎた。

昼間の瓦礫音や遠鳴りが嘘のように、空気が澄み切っている。だが、その静けさは安心とは無縁だった。生き残ってきた者ほど知っている。何も起きていない夜ほど、危険が近い。


ユウは足を止め、暗闇に耳を澄ませた。

背中のユウトは眠っている。浅い呼吸が、一定の間隔で続いている。体温はまだ高いが、意識は落ち着いているらしい。だが、眠りは回復とは限らない。単なる逃避かもしれない。


遠くで、短い電子音がした。

一度。間を置いて、もう一度。


ドローンの同期音だ。


ユウは舌打ちを噛み殺し、進路を切った。建物の内部へ。外にいれば追跡される。屋内は危険だが、センサーの死角は多い。階段を避け、崩れた床を跨ぎ、壁の影を選んで進む。頭の中で、地図が組み上がる。ここは旧行政棟。地下に通路がある。


床に落ちていた端末が、微かに光った。

古い警告表示。再生区画:立入制限。


GENESISの残骸だ。


「……ここ、嫌な感じがする」


ユウトが、眠りの底から浮かび上がるように言った。

目は開いていない。だが、声に芯がある。


「嫌でいい。起きるな」


「……夢じゃないよな」


「現実だ」


それ以上の説明はしなかった。

説明は、余裕のある者の贅沢だ。


地下への入口は、半分崩れていた。ユウは体を滑り込ませ、ユウトを下ろす。暗視を最低レベルで起動し、熱源の反射を抑える。静かに、静かに。


そのときだった。


天井の奥で、何かが動いた。

人の動きではない。規則的で、無駄がない。


「……来てる」


ユウは銃を構え、呼吸を止めた。

だが、撃たない。ここで撃てば、終わりだ。


影が、通路の端に現れた。白い装甲。清潔すぎる曲線。

レイダーとは違う。汚れがない。迷いがない。


GENESISの管理ドローンだ。


ユウは一歩、後退した。

逃げ道は、狭い。だが、完全に塞がれてはいない。


ドローンのセンサーが、空を切る。

一瞬、ユウトの首元の金属が、淡く反応した。


——見られた。


次の瞬間、通路の奥で警告音が鳴った。短く、冷たい音。

ユウは即座に判断した。


撃つ。


銃声は抑えた。それでも、ドローンの装甲が弾ける音は、地下に反響する。

続けて二発。完全に沈黙。


「……今の……」


「見るな」


ユウはユウトを再び背負い、走った。

追撃が来る。今のは“目”を潰しただけだ。


地下通路を抜け、非常口から地上に出た瞬間、空気が変わった。

夜の匂いに、別の匂いが混じる。冷たい、人工的な匂い。


「……俺、何だったんだろうな」


背中から、ユウトの声が落ちてくる。

責めるでもなく、怯えるでもなく、ただ疑問として。


ユウは答えなかった。

代わりに、歩みを止め、初めて振り返った。


「……それを決めるのは、お前だ」


ユウトは黙った。

だが、その沈黙は、さっきまでの無力な沈黙とは違っていた。


GENESISは、人を“用途”で見る。

だが、拾った以上、用途はユウが決める。


夜空の向こうで、かすかな光が瞬いた。

追跡網が、静かに閉じ始めている。


第三章は、まだ半分だ。

だがここで、はっきりしたことがある。


ユウはもう、逃げているだけの存在ではない。

世界の設計図に、線を引かれ始めている。


夜明けは来なかった。

正確には、来る前に止められた。


空の色が変わる兆しを見せるより先に、街の奥で光が走った。

探照のような、だが音を伴わない冷たい線。ユウは即座に伏せ、瓦礫の影に身を滑り込ませた。背中のユウトが、小さく息を詰める。


「……来たな」


答えは、音だった。

ブーツが地面を踏む規則的な響き。人数は三。間隔が均一すぎる。レイダーじゃない。人の歩幅を、計算で再現した足音だ。


白い装甲が、闇の向こうに浮かび上がった。

清潔で、傷がない。崩壊世界では異物そのものの存在感。


「対象を確認。生体反応、安定。回収フェーズに移行する」


声は拡声器越しではない。直接、空気を震わせる。

感情が削ぎ落とされた、しかし完全な機械でもない声。


ユウは銃を構えたまま、動かなかった。

撃てば終わる。だが、撃たずに済むなら、それに越したことはない。


「回収、だと?」


返事は、間髪入れずに返ってきた。


「対象はGENESIS管理下の資産。保護および再配置が必要です。抵抗は推奨されません」


資産。

その言葉が、胸の奥で鈍く鳴った。


「本人の意思は?」


一瞬、間が空いた。

ほんのわずかだが、確かに“計算”が挟まった沈黙。


「意思は考慮対象外です。効率と再現性が優先されます」


ユウトの体が、背中で強張るのが分かった。

震えではない。拒絶だ。


「……俺は、モノじゃない」


か細いが、はっきりした声だった。

白い装甲の視線が、ユウトに向く。


「対象、自己認識を確認。問題ありません。修正可能です」


その瞬間、ユウの中で何かが切れた。

理屈ではない。もっと原始的な部分だ。


「——ふざけるな」


言葉と同時に、引き金を引いた。

銃声が夜を裂く。装甲が火花を散らし、二体がよろめく。だが、倒れない。


「抵抗を確認。制圧に移行」


ユウは走った。

遮蔽物を使い、射線を切り、ユウトを庇うように動く。弾が尽きる前に、距離を取るしかない。


背後で、地面が抉れた。非殺傷兵器だ。生かして回収するつもりなのが、逆に分かる。


「……ユウ……」


「喋るな。掴まれ」


非常階段を駆け下り、崩れた壁を越え、闇に紛れる。

だが追撃は止まらない。足音が、確実に距離を詰めてくる。


行き止まりだった。

瓦礫の先は、深い裂け目。落ちれば、終わりだ。


ユウは立ち止まり、振り返った。

白い装甲が、ゆっくりと距離を詰めてくる。


「保護は義務です。あなたの行為は非合理的」


「合理的じゃなくていい」


ユウは、ユウトを下ろし、正面に立った。

銃を捨て、両手を広げる。


「こいつは、俺が拾った」


一瞬、GENESIS側が動きを止めた。

理解不能な変数を前にした、短い停止。


「拾う、という概念は非効率です」


「そうだな」


ユウは、笑った。

この世界で、久しく忘れていた感覚だった。


「でもな……未来は、拾われるもんだ」


次の瞬間、ユウは裂け目に飛び込んだ。

ユウトを抱え、闇の中へ。


風が、全身を叩く。

衝撃。痛み。だが、意識は手放さない。


転がり落ちた先は、地下の水路だった。

濁流が、二人を飲み込む。


白い装甲の姿は、上で止まったままだった。

追えない。効率が悪すぎる。


水に流されながら、ユウトが叫ぶ。


「……なんで、そこまで……!」


ユウは、息を整えながら答えた。


「理由は、これから作る」


それが、宣言だった。

GENESISに対する、明確な敵対。


水路の先で、わずかな光が見えた。

生き延びた先に、選び直す未来がある。


第三章は、ここで終わる。

だが、物語はここから、はっきりと方向を持った。


拾われた未来は、もう回収されない。

それは、自分で歩き出したからだ。 

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