表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/19

第一章 拾うという選択

崩れた高架の影で、ユウは足を止めた。


都市が壊れてから、こうした「止まる瞬間」は何度もあった。それでも、慣れることはなかった。むしろ拾い手として生きる時間が長くなるほど、世界の微細な変化に敏感になり、立ち止まる回数は増えていった。


風が止む。


それだけで、背中に冷たいものが走る。

音が消えるわけではない。ただ、空気の密度が変わる。崩壊前なら誰も気に留めなかった変化だが、今ではそれが生死を分ける。


「……ミオ、動くな」


低く告げる。

声を張る必要はない。拾い手のチームでは、判断は常に短く、明確でなければならなかった。


前方を進んでいたミオは、即座に身を低くした。返事はない。返す必要もない。彼女はユウの声色だけで、状況の深刻さを理解している。


背後では、レイが無言で銃の位置を調整していた。カナは端末の画面を伏せ、センサーの感度を一段下げる。全員が、それぞれの役割に戻る。


チームが静かに“探索モード”へ移行する瞬間だった。


ここは旧市街の物流区画。崩壊前には、昼夜を問わず貨物車が行き交い、倉庫の灯りが消えることはなかったという。今では、コンクリートは砕け、鉄骨は錆び、地図に記された区画名だけが虚しく残っている。


拾い手にとっては、ありがたい場所でもあった。


補給庫。

この言葉には、今でも特別な響きがある。食料、弾薬、医療資材。崩壊前に蓄えられたそれらは、完全には失われていない。運が良ければ、未来を数日延ばせるだけの“余剰”が見つかる。


ユウは膝を折り、地面に指先をつけた。


冷たい。

瓦礫の隙間から伝わる振動は微かだが、確かに存在している。一定ではない。規則性も薄い。だが――呼吸に近い。


「反応、弱い」


小声で言う。


「大型じゃない。生体。……たぶん」


この「たぶん」が命取りになることもある。

それでもユウは言葉を濁さなかった。拾い手は、断定できない情報も共有する。それがチームの生存率を上げる。


レイが小さく舌打ちした。「野生獣か」


「違う」


ユウは首を振る。


「動きが遅い。あと……間隔が不自然だ」


言いながら、胸の奥がわずかに軋む。

この感覚には、覚えがあった。


崩壊から三年目。

似たような夜。

同じように瓦礫の下で、微弱な振動を感じた。


あのときも、判断は一瞬遅れた。


結果として、助けられなかった。

名前も知らない、ただの“反応”だった存在。


拾い手は、迷った時点で遅い。


ユウはそのことを、誰よりも知っている。


「行くぞ」


短く告げ、先頭に立つ。

補給庫の残骸は、想像以上に崩れていた。天井は半分以上が落ち、古い搬送レールが歪んだまま剥き出しになっている。床は傾き、瓦礫が斜面を作っていた。


空気が重い。


埃と金属の匂いに、かすかな腐臭が混ざる。

RAD値は許容範囲内。だが安全ではない。この世界で「安全」という言葉は、相対的な意味しか持たない。


「サバイバルセンサー、反応出た」


カナの声が、静寂を切り裂く。


「熱源、一つ。……奥です」


ユウは頷き、ゆっくりと進む。足音を殺し、瓦礫を踏まないように重心をずらす。時間が、伸びていく。こういう瞬間、秒針の存在を忘れる。


奥にいたのは、人だった。


瓦礫の隙間に、痩せた少年がうずくまっている。年は十歳前後。簡易マスクは破れ、呼吸は浅い。腕には明確なRAD反応。致死量ではないが、放置すれば長くはもたない。


ミオが息を呑む音が、はっきりと聞こえた。


「……子ども」


この世界では、その言葉は説明以上の意味を持つ。

子どもは弱い。守る者がいなければ、まず生き残れない。


レイがユウを見る。

その視線には、何も書かれていない。だからこそ、問いがはっきりと伝わってくる。


拾うか。

拾わないか。


ユウは少年を見つめた。

意識はある。こちらを見返す瞳には、怯えと諦めが混ざっている。期待はない。ただ、結果を待っているだけの目だ。


拾えば、リスクは増える。

食料は減り、移動は遅くなり、敵対勢力に見つかる確率も上がる。


拾わなければ――。


ユウは、静かに息を吐いた。


「名前は」


少年は一瞬だけ視線を逸らし、それからかすれた声で答えた。


「……ユウト」


その名を、ユウは心の中で反芻する。

拾うのは物資じゃない。未来だ。


それは、かつて自分が掲げた言葉だった。

そして今も、手放せずにいる生き方だ。


「連れていく」


迷いはなかった。

ミオが安堵の息を吐き、カナがすぐに医療キットを取り出す。レイは何も言わず、周囲の警戒に戻った。誰も異を唱えない。


ユウの判断が、このチームの基準だった。


ユウトを背負いながら、ユウは考える。

自分はいつから、拾うことに理由を求めるようになったのか。


かつては、生きるためだった。

今は――それだけでは足りない。


補給庫を離れる直前、遠くで金属が擦れる音がした。

誰かが、この探索を見ている。


ユウは振り返らず、歩き続けた。


拾った未来が、正しいとは限らない。

それでも、選んだ以上は守り抜く。それが拾い手の責任だ。


そして彼はまだ知らない。

この小さな選択が、やがて世界の設計そのものと衝突することを。


補給庫を離れた瞬間、ユウは初めて息を整えた。

背中に回した重みが、選択の結果を静かに主張している。

それが正しいかどうかを考えるのは、まだ先でいい。


ユウトの体は、思った以上に軽かった。


軽すぎる、と言ってもいい。背負った瞬間、ユウは一瞬だけ力加減を誤った。筋肉が抵抗を感じない。そこにあるのは重さではなく、空白に近い感触だった。


食べていない。

眠っていない。

守られてもいない。


数字にすれば、Fはゼロに近い。ARMも、ほとんど期待できない。拾い手としての判断は冷静であるべきだが、それでも身体が先に答えを出してしまうことがある。


「……帰路、変更する」


ユウは短く言った。


「南回りはやめる。地下連絡路を使う」


レイが眉をひそめる。「遠回りだ」


「敵対勢力が動いてる。さっきの音、偶然じゃない」


言葉の端を切るように告げる。説明は必要ない。拾い手の世界では、判断が遅れること自体が危険だった。


地下への入口は、かつての貨物用エレベーターの跡だった。扉は歪み、半分が開いたまま固定されている。内部は暗く、湿った空気が滞留している。ライトを最低照度に落とし、ユウは先に入った。


地下は、音が溜まる。


一歩一歩が、反響して戻ってくる。誰かに聞かれているような錯覚が、常につきまとう。拾い手にとって、地下移動は好ましい選択ではない。それでも今回は、地上よりは安全だった。


ユウトが、背中で小さく身じろぎした。


「……ここ、暗い」


声は弱々しいが、意識ははっきりしている。

それだけで、ユウはわずかに安堵した。


「すぐ抜ける」


それ以上は言わなかった。希望を与える言葉は、時に残酷になる。拾い手は約束を軽々しく口にしない。


地下通路の壁には、崩壊前の案内表示が残っていた。色褪せた矢印と、意味を失った施設名。ユウはそれらを見ないようにして進む。過去に意味を見出すと、足が止まる。


途中、カナが立ち止まった。


「……反応、増えてる」


小声で報告する。


「上。移動音。複数」


レイが即座に銃を構え、ミオがユウトの様子を確認する。チームは自然と隊形を変えた。守るべき中心が、はっきりと定まった形になる。


ユウは考える。


もし、ここで接触すれば。

交戦になれば。

この子は、確実に足手まといになる。


それでも、判断は変わらなかった。


拾うという行為は、常に未来の負債を背負うことだ。

ユウはそれを理解した上で、この生き方を選んでいる。


「止まらず行く」


音を立てず、速度を落とさず、しかし急がない。焦りは判断を鈍らせる。地下通路の終端が見えたとき、ユウは初めて背中の緊張を少しだけ緩めた。


外に出ると、夜だった。


崩壊後の夜は、暗いだけではない。光源が少ない分、星がやけに鮮明に見える。ユウトが、思わず空を見上げた。


「……きれいだ」


その言葉に、ユウは足を止めなかった。

立ち止まる価値がある美しさほど、この世界では危険だからだ。


簡易キャンプに戻ったのは、予定より一時間遅れだった。

ミオがすぐに食料を分配し、カナがRAD値を測る。応急処置の手際は慣れているが、それでもユウトの状態は良好とは言えない。


「助かるか?」


レイが、ユウにだけ聞こえる声で尋ねた。


「分からない」


即答だった。


「でも、放っておけば確実に死んでた」


レイはそれ以上何も言わなかった。

拾い手にとって、それは十分な理由だった。


夜が深まり、見張りの交代時間が近づく。

ユウトは毛布に包まれ、眠りに落ちていた。呼吸はまだ浅いが、安定している。


ユウは少し離れた場所に座り、銃を膝に置いた。

星を見上げる。崩壊前の空と、何が違うのか。考えたことは何度もあるが、答えは出ていない。


拾う理由は、最初は単純だった。

生き延びるため。

役に立つものを集めるため。


だが今は違う。


拾わなければ、世界は確実に失われていく。

物資ではなく、人が。

選択肢そのものが。


ユウトの寝顔を見て、ユウは思う。

この子は、未来そのものではない。

だが、未来が「残っている」証明にはなる。


拾われた未来は、まだ形を持たない。

それでも、確かにここにある。


ユウは銃を握り直し、静かに目を閉じた。

明日もまた、選択を迫られる。


拾うか。

見捨てるか。


その問いから、もう逃げるつもりはなかった。   

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ