第十五章 条件という名の道
招待は、救難信号の形をして届いた。
周波数は古く、規格も壊れている。だが、復号の癖が整いすぎていた。ミオが一目で言った。
「GENESIS。隠す気がない」
「罠?」
ハヤトが短く問う。
「罠じゃない」ユウトが首を振る。「条件だ」
ユウは端末を閉じた。救難信号という外皮は、現場の倫理を刺激する。拾うべきか、見捨てるべきか。だが、今回の相手はそれを知っている。知っていて、使う。
「行く」
ユウは言った。迷いはなかった。
「二人までだ」信号の追伸が入る。「多いと、選択肢が増える」
増えるのが嫌だ、という宣言。ユウは笑わなかった。
「ユウト、ミオ」
二人が頷く。ハヤトは何も言わない。言わなくても、役割は決まっている。
合流地点は、旧研究区画の地下。白い壁は煤で汚れ、床には補修の痕が幾重にも走っている。機能は残り、装飾だけが死んだ場所。GENESISらしい。
扉が開いた。
中にいたのは人だった。白衣ではない。戦闘装備でもない。記録端末を抱え、静かな目をしている。
「再生主任代理」
名は告げられたが、意味はない。役割が重要だ。
「管理不能変数、ユウ」
その呼び方に、ユウトの肩が僅かに強張る。
「“管理不能”は嫌いだ」ユウは言った。
「私たちは嫌いを基準にしない」相手は答える。「コストだ」
机の上に、二つの端末が置かれた。どちらも地図を映す。一つはTOXIC MIRAGE圏。もう一つはNIGHT RECLAIMERSの交易路。
「条件は簡単だ」
代理は淡々と続ける。「二つのうち、どちらかを選べ」
画面が切り替わる。
一つ目。
毒霧圏で、抗毒プロトコルが不足している。支援すれば、一定数が救われる。ただし、RAD拡散の管理権限はGENESISに移る。救われるが、管理される。
二つ目。
夜盗の交易路を断つ。闇市の流通が止まり、短期的な被害は出るが、長期的な資源の漏出が抑えられる。救われない者が出るが、管理は増えない。
「二つで足りる」
代理は言った。「三つ目はない。選択肢は増やさない」
ミオが言葉を選ぶ。「……両方は?」
「不可」
即答だった。「両方は、最終状態が不安定になる」
ユウトが問う。「不安定だと、何が困る?」
「予測精度が落ちる」
代理は、当然のことのように言った。「それは人命の最適化に反する」
ユウは黙って画面を見た。数字。曲線。救われる数。救われない数。管理コスト。反発係数。すべてが整っている。整いすぎている。
「期限は?」
「一時間」
「短いな」
「現場は、いつも短い」
ユウは立ち上がった。歩き、二つの端末の間に立つ。右も左も、誰かの未来だ。
「これは交渉じゃない」
ユウは言った。
「その通り」
代理は頷く。「これは道だ」
ユウは理解した。GENESISは奪いに来ていない。道を敷いている。歩けば安全。外れれば、危険。だが、道の外にあるものは——道の設計者には不要だ。
「第三の道は?」
ユウは問う。
代理は、初めてわずかに間を置いた。「存在しない」
「存在しない、じゃない」
ユウは言う。「用意してないだけだ」
沈黙。
その沈黙が、すべてを語っていた。
「一時間だ」
代理は繰り返す。「どちらを選んでも、あなたの評価は上がる。選ばない場合——」
「——管理不能のまま、削る」
ユウが言葉を継いだ。
「正確だ」
部屋を出ると、空気が重かった。ミオが息を吐く。
「綺麗な地獄だね」
ユウトが言う。「どちらも、嘘じゃない。だから厄介だ」
ユウは答えない。歩きながら、胸の奥で何かが噛み合わない。数字は正しい。だが、正しさが、現場を救うとは限らない。
「一時間」
ユウは呟く。「……十分だ」
「何が?」
ミオが聞く。
「第三の道を拾う」
ユウは足を止めた。「用意されてないなら、拾えばいい」
ユウトが静かに言う。「拾うには、時間が足りない」
「足りる」
ユウは言い切った。「拾うのは、物じゃない。やり方だ」
彼は端末を取り出し、RUINS RAIDへ短い指示を送る。配給列、端末、交易路、毒霧圏。点が線になる。線が面になる。面が、現場になる。
「条件を壊す」
ユウは言った。「選ばない。選べる状態を残す」
ミオが微笑んだ。「管理不能」
「いい」
ユウは頷く。「それでいい」
遠くで、タイマーが動き始めた音がする。
GENESISは、結果を待っている。
一時間後、世界は二つに分かれるはずだった。
——ユウが、三つ目を拾うまでは。
残り四十五分。
ユウは走らなかった。走ると、視野が狭くなる。必要なのは速度ではなく、重ね方だ。
最初に繋いだのは、TOXIC MIRAGE圏の周縁集落だった。
抗毒プロトコルが不足している場所。だが、完全な支援を送れば管理権限が移る。GENESISの条件通りだ。
「全部はいらない」
ユウは通信越しに言った。「半分でいい」
向こうが困惑するのが分かる。
「半分じゃ、足りない」
「足りる」
ユウは言った。「足りない分は、こっちで拾う」
次に繋いだのは、NIGHT RECLAIMERSの交易路。
遮断ではなく、減速。一時的な停滞を作るだけ。完全に断てば反発が出る。反発はGENESISの言い分を強める。
「三日だけ、流れを遅らせる」
ユウは言った。「その代わり、医療物資は通す」
返答は短かった。
「損だ」
「違う」
ユウは即答した。「信用を拾う」
同時に、ORBIT RELICへも指示を飛ばす。
落下遺物の回収ルートを一本、毒霧圏に回す。新品ではない。整備途中の、使い古しだ。だが、今すぐ使える。
「完璧じゃない」
レンの声が混じる。
「完璧はいらない」
ユウは言った。「今を越える分だけでいい」
IRON HAVENには、防壁の外での小規模な補修支援を要請した。都市内部ではない。外縁部だ。管理権限が及びにくい。
「例外になる」
ハルカの声は硬い。
「例外でいい」
ユウは答えた。「例外が残るから、道が一本にならない」
端末の上で、数字が崩れ始めた。
救われる数は減る。だが、救われる可能性の分布が広がる。管理コストは増える。だが、反発係数が下がる。
ミオが画面を覗く。「……これ、評価関数が効かないね」
「そう」
ユウは頷く。「評価されないやり方だ」
残り十五分。
GENESISから通信が入る。
「不完全だ」
代理の声は、初めて感情を含んでいた。「救済率が基準を下回る」
「基準は、そっちのだ」
ユウは言った。「現場の基準は、生き延びること」
「管理権限を渡せば、安定する」
「安定は、選択肢を減らす」
ユウは答えた。「減らした先で、誰が拾う?」
沈黙。
その沈黙は、短かった。
「時間切れだ」
代理が言う。「どちらを選ぶ?」
ユウは選ばなかった。
代わりに、現場を映した。
毒霧の中で、簡易マスクを調整する手。
減速した交易路で、医療箱が受け渡される瞬間。
外縁の壁で、補修杭が打ち込まれる音。
「これが、第三の道だ」
「非効率だ」
代理は言った。
「そうだ」
ユウは認めた。「だから残る」
GENESISの評価表示が止まった。
初めて見る、空白。
「……予測不能」
代理が呟く。
「違う」
ユウは静かに言った。「予測しないんだ。現場は」
通信が切れた。
切られたのではない。切れなかった。
残り時間、ゼロ。
ミオが深く息を吐く。「やった?」
「やってない」
ユウは首を振る。「続けただけだ」
ユウトが空を見上げる。「評価は下がるな」
「いい」
ユウは言った。「評価は拾われるものじゃない」
遠くで、誰かが生き延びる音がした。
それは数字にならない。
だが、確かに世界に残る。
GENESISは道を敷く。
ユウは、道の外に余白を残した。
拾われなかった未来が、
ここで、拾われ直された。




