第十二章 選ばれる側
夜明けは来なかった。雲は低く垂れ、街はまだ眠りの底に沈んでいる。だが、眠っているのは人間だけだ。センサーは起き、ドローンは巡回し、ログは静かに積み上がる。RUINS RAIDが身を潜めた旧通信塔の地下室にも、微かな振動が届いていた。遠くで、重機が動いている。回収だ。GENESISか、あるいは別の誰かが、今日も世界を整理している。
「動きが増えてる」
ミオが端末を伏せたまま言う。「このエリア、価値があるって判断されたみたい」
価値。ユウはその言葉を噛みしめる。物資、装置、地形、そして——人。拾われる未来は、拾う側が決める。だからこそ、彼らは拾われない場所を選び続けてきた。
「接触がある」
ユウトが低く告げる。「発信源、軌道由来。落下遺物の同期信号だ」
その瞬間、空気が変わった。騒音のない圧。整えられた沈黙。ORBIT RELICだ。
ユウは立ち上がり、合図する。「警戒。撃つな」
通信塔の外、崩れた路地の影から、白に近いグレーの装甲が姿を現す。過剰な威圧はない。だが、無駄もない。先頭に立つ女が、ゆっくりと手を上げた。
「こちらは軌道回収班。指揮は——セイル」
声は落ち着いている。「敵対の意思はない」
ミオがユウを見る。ユウトも同じだ。ユウは一歩、前に出た。「こちらも。用件は?」
「評価だ」
短い返答。だが、その一語に含まれる重みは、GENESISの“回収”とは違う。ORBIT RELICは拾う。だが、使い捨てない。ユウは、それを知っている。
セイルは続ける。「先ほどの回避行動、記録した。戦闘を選ばず、相手の条件を折る。指揮判断として、良い」
「褒め言葉として受け取っていい?」
「事実として」
セイルの視線が、ユウトとミオに流れる。「部隊の分業も合理的。単独での英雄行動がない。……希少だ」
希少。ユウの胸の奥が、わずかに疼く。拾われる価値を、他者が言語化した瞬間だった。
「提案がある」
セイルは、躊躇なく言った。「落下遺物の回収に協力してほしい。報酬は、装備と情報。拘束はしない」
条件は明確だ。だが、その裏にあるものも、ユウには見える。評価の次は、試用。試用の次は——選別。
「断ったら?」
ミオが聞く。
「追わない」
セイルは即答した。「選択は尊重する。ただし、次の接触は保証できない」
ユウトが小さく息を吸う。「……つまり、今が窓だ」
「そう」
ユウは、床に落ちた埃を踏みしめる。ORBIT RELICは、GENESISと違う。管理しない。だが、観測する。そして、結果で判断する。
「一つ、聞かせてほしい」
ユウは言った。「俺たちは、回収対象?」
セイルは、少しだけ間を置いた。「いいえ。今は——“協力者候補”だ」
今は。言外の条件が、はっきりとした輪郭を持つ。だが、それでもユウは、否定しなかった。否定できなかった。拾われる未来を、拒み続けるだけでは、前に進めないと知っているからだ。
「判断に時間を」
ユウは言う。
「五分」
セイルは頷く。「それ以上は、こちらのリスクが増える」
通信が切れる。路地に、再び静寂が戻る。
ミオが口を開いた。「どうする?」
ユウトが続ける。「GENESISよりは、マシだ。拘束はない。少なくとも、今は」
ユウは目を閉じる。選ばれる側になるということは、選ぶ責任を負うということだ。拾われた過去が、彼の足首を引く。だが、部隊の重さが、背中を押す。
「行く」
ユウは言った。「ただし、条件を出す」
「条件?」
「現地判断は、俺がやる。撤退の最終判断も。……俺たちは、使われるために来るんじゃない」
ミオが、短く笑った。「らしいね」
ユウトは、頷いた。「それでいい」
ユウは、通信を開く。「セイル。条件がある」
返答は早い。「聞こう」
「指揮権は、こちら。撤退判断も含めて」
一拍。だが、否定はなかった。「了承する。結果が伴うなら」
ユウは、息を吐いた。「なら、協力する」
通信が切れた瞬間、胸の奥で何かが定まる。拾われる未来は、選び取る未来に変わる。少なくとも、今は。
「準備だ」
ユウは言った。「評価されるなら——見せよう。俺たちのやり方を」
RUINS RAIDは、動き出す。選ばれる側になった者たちは、まだ知らない。評価は、始まりに過ぎないことを。だが、ユウは知っている。次に問われるのは、結果だ。結果だけが、拾われた未来に意味を与える。
落下遺物は、音より先に影を落とした。空がわずかに歪み、雲の下で光が砕ける。軌道由来の残骸は、速度を殺しきれず、街の骨格に噛みつくように降りてくる。衝撃は遠雷のようで、だが、破壊は局所的だった。ORBIT RELICの誘導が、精密に効いている。
「着弾、予測誤差三%」
セイルの声が通信に乗る。「回収班、展開」
ユウは即座に指示を出す。「ミオ、周辺索敵。ユウト、退路の確保。ハヤト、上。撃たない、見張れ」
部隊は動く。誰も疑問を挟まない。判断が速いのは、命令が短いからだ。短いのは、迷いがないからだ。
遺物は、半ば地面に埋もれ、半ば露出していた。金属というより、結晶と配線の中間のような質感。古いのに、新しい。時間が、別の軌道を通ってきた証拠だ。近づくにつれ、微弱な電磁音が皮膚を撫でる。
「反応、出てる」
ミオが言う。「動力は休眠。けど、触れば起きる」
「触るな」
ユウは即答した。「まず、周囲」
その直後、影が動いた。GENESISだ。整えられた足並み、無駄のない配置。彼らも、この価値を嗅ぎつけた。
「接触」
ユウトが低く言う。「距離、百」
セイルの声が重なる。「交戦は避けたい。だが、向こうが来る」
ユウは一瞬だけ、遺物を見る。拾われる価値。だが、今ここで失えば、意味はない。「退路を優先。遺物は囮にする」
「囮?」
ミオが息を呑む。
「触らない。起こさない。……音だけ出す」
ハヤトが合図を理解し、上から瓦礫を撃ち落とす。衝撃が遺物に伝わり、微弱な起動音が増幅される。GENESISの動きが、遺物に引き寄せられた。
「今だ」
ユウは言う。「ORBIT、回収線をずらせ。五メートル」
一拍。だが、セイルは即応した。「了解。同期を再設定」
回収用のアームが、角度を変える。遺物の一部だけを掴み、全体を起こさずに引き抜く。繊細な作業だ。GENESISが踏み込む。
「前に出るな!」
ユウは叫ぶ。「撃たせろ。外させろ」
撃つ。だが、当てない。威圧だけで距離を作る。GENESISは合理的だ。損失が増えるなら、引く。判断が遅れた個体だけが、足を止める。
「回収、完了」
セイルの声が、わずかに上ずる。「撤退!」
ユウは最後に、周囲を一瞥する。味方は無事。遺物は、半分だけ。だが、半分で十分だ。価値は、量じゃない。使い道だ。
撤退線に入った瞬間、通信が切り替わる。ORBIT RELICの回収艇が、影のように上空を横切った。
安全圏に入ってから、セイルが言った。「評価を更新する」
「結果は?」
ユウは聞く。
「良好」
短いが、確かな言葉。「交戦を避け、価値を確保。撤退判断も適切。……一つ、聞きたい」
「何だ?」
「なぜ、全回収を狙わなかった?」
ユウは答える。「全部を拾うと、全部を守らなきゃならない。今の俺たちには、重すぎる」
沈黙。だが、それは否定じゃない。
「理解した」
セイルは言う。「あなたは、拾う量を選ぶ指揮官だ」
通信が切れた後、ミオが息をついた。「生きてるね」
ユウトは笑わない。「……次は、もっと厳しい」
ユウは頷く。評価は、始まりに過ぎない。選ばれる側になったということは、次も見られるということだ。だが、胸の奥に、確かな手応えが残っている。拾われた未来は、結果で意味を持つ。少なくとも今日、その意味は、彼ら自身が作った。
「戻ろう」
ユウは言った。「次に備える」
夜は、まだ明けない。だが、暗闇の中で、確かな線が引かれた。選ばれる側から、選び返す側へ。その境界線の上に、ユウは立っている。




