第九章 守られる秩序、壊れる選択
GENESISが引いたあと、世界は少しだけ静かになった。
それは嵐の後の平穏ではない。
次の衝突に備えて、空気が張り詰めているだけだった。
RUINS RAIDの拠点は、急速に移動準備へと切り替わっていた。
通信は断続的。補給は最低限。誰もが、次は逃げ切れないかもしれないと理解している。
「……HAVENが動いた」
ミオが、短く告げた。
「情報筋?」
「生きてるのが奇跡みたいな旧配線よ」
彼女は端末をユウに差し出す。
映像。
巨大な防壁。鉄骨。照明。整然と並ぶ警備ライン。
IRON HAVEN。
「……思ったより近い」
ユウトが呟く。
「逃げ道を塞ぐ位置ね」
ミオが言う。
「包囲じゃない。招待よ」
ユウは、黙って画面を見つめていた。
IRON HAVENは、GENESISとは違う。
管理ではなく、防衛。
選別ではなく、隔離。
だが、そこにあるのもまた、秩序だった。
「通信、入るわ」
ミオが回線を開く。
《こちらIRON HAVEN 防衛管制》
低く、落ち着いた声。
《RUINS RAID 指揮官に告ぐ》
《貴部隊の行動は確認している》
ユウは、マイクを取った。
「こちらRUINS RAID。要件は?」
《貴部隊は、現在複数勢力から敵性指定を受けている》
「知っている」
《我々は、保護を提供できる》
その言葉に、拠点内の空気が揺れた。
「……保護?」
ユウトが思わず声を上げる。
《鉄壁の避難都市、IRON HAVENへの移動を許可する》
《武装解除と行動制限を条件に、安全と食料を保証する》
ミオが、鼻で笑った。
「檻付きの楽園、ってやつね」
《檻ではない》
通信の声は、少しだけ強くなる。
《秩序だ》
ユウは、目を閉じた。
守られる。
食べられる。
眠れる。
それは、多くの人間が夢見る未来だった。
「……条件をもう一つ聞かせろ」
《指揮権の放棄》
その一言で、全てが分かった。
《貴部隊は、個として保護される》
《だが、組織としての行動は認められない》
ユウトが、ユウを見る。
「それって……」
「RUINS RAIDを、解体するってことだ」
ユウは静かに言った。
ミオが、腕を組む。
「らしいわね」
《拒否する場合》
通信は、冷たく続く。
《我々は、貴部隊を脅威とみなし、進路を制限する》
「つまり?」
「ここを通るな、ってことだ」
ミオが代弁した。
沈黙。
IRON HAVENは、撃たない。
だが、通さない。
「……ずるいな」
ユウトが、ぽつりと言った。
「守るって言葉、武器にするなんて」
ユウは、彼を見た。
「違う」
「え?」
「本気で守ってる。だから厄介なんだ」
ユウは通信に戻る。
「質問だ」
《どうぞ》
「保護された人間は、外に出られるのか?」
《原則、不可》
「原則?」
《例外はある》
「どんな?」
《我々の秩序に貢献した者》
その言葉は、はっきりしていた。
「……兵になるか、壁になるか、か」
ミオが吐き捨てる。
IRON HAVENは、GENESISほど冷たくはない。
だが、優しくもない。
そこにあるのは、生き延びるための正義だ。
「ユウ……」
ユウトが、少し迷いながら言う。
「正直……ここに入れば、楽になると思う」
その言葉は、弱さではなかった。
本音だった。
「……俺も、分かる」
ユウは答えた。
「ここなら、誰も死なないかもしれない」
「じゃあ……」
ユウは、首を振った。
「でもな」
一歩、前に出る。
「俺たちは、選んでしまった」
「選んだ?」
「拾われない未来を」
通信の向こうで、わずかな沈黙があった。
《確認する》
《貴部隊は、保護を拒否するのか》
ユウは、はっきりと言った。
「拒否する」
「ユウ……」
ユウトの声が揺れる。
「だが、敵対もしない」
ユウは続けた。
「通らせてくれ。俺たちは、HAVENを壊しに来たわけじゃない」
再び、沈黙。
《……検討する》
通信が切れた。
拠点内に、重たい空気が残る。
「正解だったの?」
ミオが、静かに聞く。
ユウは、答えなかった。
正解かどうかは、もう重要ではない。
重要なのは、
守られるために、自分を捨てないと決めたこと。
その選択が、次に何を招くのか。
まだ、誰にも分からない。
だが確かに、世界は動いていた。
GENESISに敵と認識され、
IRON HAVENに拒まれ、
それでも進むと決めたRUINS RAID。
ユウは、静かに言った。
「行こう」
「どこへ?」
「拾われた未来の、その先へ」
鉄の壁の向こうで、
別の正義が、彼らを見下ろしていた。
鉄壁の避難都市、IRON HAVEN。
その中枢管制室は、外界の荒廃とは切り離された静けさを保っていた。
壁の外では、世界が壊れ続けている。
だが、ここでは数値と監視灯が、秩序を形作っていた。
「……拒否したか」
ハルカは、表示された通信ログを見下ろしながら言った。
避難都市司令。
彼女の肩書きは重いが、声は静かだった。
「予測範囲内です」
隣に立つグレンが答える。
「RUINS RAIDは、すでにGENESISから敵性指定を受けている。こちらの保護条件を受け入れれば、組織としては死ぬ」
「それでも、多くは受け入れる」
ハルカは言った。
「生きるために」
「彼らは、違った」
グレンは一瞬、言葉を探す。
「……“生き方”を選んだ」
ハルカは、目を閉じた。
IRON HAVENは、生き延びるための都市だ。
壁、配給、監視、制限。
それらはすべて、過去の失敗から積み上げられてきた。
「通行を拒否すべきです」
グレンは続ける。
「彼らを通せば、他の勢力も動く」
「分かっている」
ハルカは、壁外の映像に視線を向ける。
遠くに、小さな熱源。RUINS RAIDの移動痕跡。
「だが……」
言葉が、わずかに揺れた。
「彼らは、まだ誰も壊していない」
「GENESISを撃った」
「回収を拒んだだけだ」
ハルカは、はっきりと言った。
「GENESISの正義は、世界を救うが、人を救わない」
「……彼らの正義は、違うと?」
「違う」
少し間を置いて、続ける。
「危うい。でも……人間的だ」
グレンは、苦い顔をした。
「司令。感情で秩序は守れません」
「分かっている」
ハルカは、端末を操作する。
「だから、折衷案だ」
RUINS RAIDの前に、再び通信が入る。
ミオが、即座に回線を開いた。
《IRON HAVEN 防衛管制より再通達》
ユウは、黙って聞いた。
《貴部隊の通行を、一時的に許可する》
ユウトが息を呑む。
《ただし、条件がある》
「……聞こう」
ユウは答えた。
《我々の防衛ラインを迂回すること》
《補給、修理、避難民の受け入れは行わない》
《貴部隊は、あくまで“外部勢力”として扱われる》
ミオが小さく笑う。
「要するに、助けない。でも撃たない」
《その通りだ》
《そして——》
一瞬、通信が途切れる。
《貴部隊の指揮官、ユウ》
名を呼ばれ、空気が変わる。
《あなたは記録された》
《GENESISからも、NIGHTからも、そして我々からも》
ユウは、黙って聞いている。
《今後、あなたの選択は“例外事例”として参照される》
「……それは、光栄だな」
ユウは皮肉を込めて言った。
《忠告する》
ハルカ自身の声に変わる。
《壁の外で選び続ける者は、いずれ誰にも守られなくなる》
ユウは、少しだけ笑った。
「もう、守られてない」
《……そうか》
短い沈黙。
《通行を許可する》
通信が切れた。
壁が、ゆっくりと開く。
鉄の音。
圧倒的な質量。
ユウトは、その光景を見上げていた。
「……中は、違う世界だな」
「ああ」
ユウは答える。
「守られてる世界だ」
「羨ましい?」
ユウは、首を振った。
「怖い」
「怖い?」
「壁があるってことは……」
言葉を選ぶ。
「外を切り捨てたってことだ」
ミオが、肩をすくめる。
「どこも、同じよ。選び方が違うだけ」
RUINS RAIDは、壁の影を通り抜ける。
守られない側として。
IRON HAVENの中から、誰かが見ていた。
安堵の目。
不安の目。
そして、わずかな羨望。
ハルカは、管制室でその様子を見つめていた。
「……彼は、危険ね」
グレンが言う。
「はい」
ハルカは答える。
「でも、必要かもしれない」
「何に?」
「この壁の外に残った“人間”を思い出すために」
RUINS RAIDは、去っていく。
守られる秩序の横を。
壊れやすい選択を抱えたまま。
ユウは、振り返らなかった。
壁は、守る。
だが、未来までは守らない。
それを知ってしまった者は、
もう、戻れない。




