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第0章 世界が、終わったあとで

世界が終わった日、人類はそれを「終末」とは呼ばなかった。呼ぶ余裕がなかったのだ。空が割れ、都市が沈み、通信が途切れ、食料が腐り、水が毒に変わり、法も国家も順番に消えていった。呼び名だけは残った。災害、暴動、事故、疫病。責任の所在を示す言葉ほど、人は必死に掴む。けれど「説明」は、腹を満たさない。


世界は、静かにゼロになった。


爆発の映像が延々とループする端末もあった。崩れ落ちる高層ビルと、火の粉と、人の叫び。そんなものよりも、決定的だったのは別の場面だ。ある朝、蛇口をひねっても水が出なかった。ある夜、冷蔵庫の唸りが止まり、翌日には中身が腐った。ある瞬間、ネットワークから「応答」が返ってこなくなった。


生活が、終わった。


それが――AFTER ZERO。すべてがゼロになった、その「あと」。以降の世界は、誰かが設計した未来ではなく、誰かが拾った残骸で回り始めた。拾えない者は、落ちる。拾う者は、立つ。立った者も、いつか落ちる。そこに例外はない。


かつて文明は、便利さを積み上げることで未来を作っていた。いま、人類は拾い集めることでしか未来を作れない。瓦礫の下、崩れた地下鉄、毒に覆われた研究区画、空から落ちてきた名も知らぬ遺物。拾い上げたものは、ただの物ではない。次の一日を生む権利だ。


物資――Material。弾丸、薬、工具、電池、鉄板。使えるものは何でもいい。

エネルギー――Energy。動かすための力。起動するための熱。

食料――Food。生きるための最小単位。

そして汚染――Radiation。見えない刃であり、甘い毒であり、勝ち筋にもなる。


人は数値で生きるようになった。そんな言い方は冷たいが、冷たさはこの世界の標準温度だ。明日を作るのに必要なのは、祈りではなく残量だった。今日の残量、明日の残量、次の交渉で削られる残量。残量が尽きると、人は消える。


この世界には、八つの生き方がある。奪う者、守る者、燃やす者、止める者、毒と共に進む者、夜に紛れて選択肢を奪う者、遺物を起動し未来を再設計しようとする者。そして――拾う者。


拾う者は、立派な看板を持たない。国家も宗教も、もう通貨にならない。通貨になるのは「持っているか」「動けるか」「直せるか」だけだ。拾い手は、廃墟を漁り、壊れた装備を直し、生き残った人間を繋ぎ止める。彼らは英雄ではない。革命家でもない。ただ、明日を諦めなかった連中だ。


ユウは、その拾い手の中でも少し変わっていた。


彼は物資だけを拾わない。銃や弾丸や食料と一緒に、人の意思を拾ってしまう。「一緒に来ないか」「まだ使える」「直せる」「終わりじゃない」。その言葉は、軽い励ましではない。拾い手の言葉は、責任の宣言だ。拾ってしまえば、放り捨てられない。拾い続けるしかない。


だからユウの周りには人が残った。残ったというより、離れられなくなったと言ったほうが正しい。世界は人に優しくないが、ユウは人に厳しくなれなかった。厳しくなる方法を、覚えなかった。


だからユウは隊長になった。


望んだわけじゃない。なりたかったわけでもない。ただ、最後まで拾うのをやめなかった結果だ。隊長とは、偉い人間の称号じゃない。最後に責任を背負う人間の呼び名だ。ユウは、その呼び名を返す術を持たなかった。


廃都の夕焼けは、いつも同じ色をしている。赤く、乾いていて、金属の匂いが混じっている。崩れたビルの骨組みが影を落とし、路地の砂埃が舞い、遠くの瓦礫が熱で揺らぐ。世界が終わっても、太陽だけは律儀に沈む。


ユウの部隊が活動するのは、旧都市圏の南端――かつて「居住区」と呼ばれた場所の外れだ。地図にはまだ道路が描かれているが、現実には道路は割れている。橋は落ちている。地下鉄は水没している。ビルの内部は、住処というより巣穴だ。誰が棲んでいるかは分からない。人かもしれないし、終末獣かもしれない。


「怖がるな」


ユウはよくそう言う。しかし彼の声は、勇ましくない。むしろ淡々としている。自分に言い聞かせるような調子だ。怖がらない方法を知っている人間は、この世界にいない。ただ、怖がっても手は止められない。


「隊長、今日の探索は――」


ミオが言いかけて、言葉を飲み込む。偵察兵の目は鋭い。けれどそれは、勇敢さからではない。怯えを隠すための鋭さだ。


「崩れた補給庫だ」


ユウは短く答える。見上げる先、崩れた高速道路の下に、半分埋もれたコンテナ群が見える。そこが補給庫だった。軍のものか、企業のものか、行政のものか。いまはそんな区別に意味はない。意味があるのは、中身が残っているかどうかだけだ。


「罠の匂いがするね」


ドローン技師のカナが、笑って言う。笑い方は軽いが、目は笑っていない。彼女の指は手袋越しに工具を弄り続けている。整備の癖が抜けない。直せるものを直してしまう。そうしないと、壊れる側に回るから。


ハヤトは喋らない。夜襲のスナイパーは、言葉を節約する。弾丸と同じだ。必要な時にしか使わない。彼が口を開くのは、撃つ前か、撃った後か、そのどちらかだけだ。


レイは足元の瓦礫を蹴り、乾いた音を鳴らす。格闘家の拳は、荒廃世界では信用できる道具だ。弾が切れても、エネルギーが尽きても、人間は殴れる。殴れる限り、まだ終わりじゃない。


「行くぞ」


ユウがそう言った瞬間、全員の呼吸が変わる。緊張は伝染する。隊長が言う「行くぞ」は命令ではない。合意だ。生きるための合意。


補給庫の周辺は静かだった。静かすぎる場所は危ない。人がいないのではなく、いた痕跡が消えているということだからだ。足跡がない。空き缶が転がっていない。火を焚いた跡もない。つまり、ここは「誰かの領分」か、あるいは「誰も近づけない理由」がある。


カナのドローンが小さく飛び、瓦礫の隙間を覗き込む。映像がユウの端末に映る。暗い。湿っている。鉄骨が絡み、落下したコンクリが視界を塞ぐ。その奥に、白い箱が見える。医療キットか。電池か。あるいはただの空箱か。


ミオが低い声で言う。


「隊長。右、セットっぽい」


セット――伏せられた罠。EVENTか、FIELDか。見えないカードがあるというだけで、人は歩幅を変える。見えないものに殺されるのが、この世界だ。


「ハヤト。見えるか」


ハヤトは一瞬だけ頷き、狙撃銃を構える。照準の先を読むように、空気を読む。撃つ対象がいないのに撃つ準備をするのは、無駄ではない。準備が遅れると、死ぬ。


ユウは補給庫の入口を前にして、立ち止まった。


胸の奥が、わずかに痛む。理由は分かっている。この匂いは、昔と同じだ。崩壊前夜。瓦礫。煙。そして――掴めなかった手。


ユウは目を閉じる。閉じると、世界が少しだけ静かになる。その静かさの中で、自分の中の「約束」が聞こえる。


拾う。拾えるものは、全部。


それは美徳ではない。呪いだ。


「……入る」


ユウが言った。その言葉で、補給庫は“現在”になる。


補給庫の中は、想像よりも狭かった。崩落で天井が低くなり、通路は人ひとりがやっと通れる幅しか残っていない。湿った空気に、古い油と薬品の匂いが混じる。足を踏み出すたび、瓦礫が小さく鳴った。その音さえ、この場所では過剰に響く。


ユウは先頭を歩いた。隊長だからではない。拾い手は、最初に拾う場所に立つ。危険も、選択も、いちばん先に引き受ける。それが暗黙の役割だった。


ドローンの映像が途切れ途切れに届く。ノイズの向こうで、白い箱がはっきりとした形になる。医療用のマーク。古いが、本物だ。ミオが息を呑む音が聞こえた。医療キットは、この世界では弾薬と同じ価値を持つ。あるいは、それ以上だ。


「罠、あるね」


カナの声は低い。軽口は消えている。ドローンの影が、床の一部で不自然に歪む。セットカード。伏せられた何か。踏めば、終わる。


「……レイ」


ユウは名前だけを呼ぶ。説明はいらない。レイは無言で頷き、拳を固める。罠は必ずしも爆発するとは限らない。ガス、拘束、電撃。殴れるものなら、殴る。壊せるものなら、壊す。


レイが瓦礫を蹴り飛ばした瞬間、床が沈んだ。


世界が一拍、止まる。


次の瞬間、空気が変わった。見えない圧が、肺を押す。毒霧だ。緑がかった霧が、床から這い上がる。TOXIC MIRAGEの領分。ここは、誰かの戦場だった。


「マスク!」


ユウが叫ぶ前に、全員が動いている。動ける者だけが、生き残る。ユウトの声が遠くで聞こえた気がした。嗅覚よりも早く、判断が働く。RADが上がる。数値が、頭の中で警告を鳴らす。


霧の中で、何かが動いた。


人影だ。いや、人だったものかもしれない。防護服が裂け、皮膚がただれている。終末獣ではない。汚染された人間だ。目は焦点を失い、口だけが動く。


ハヤトの銃声が一発、乾いた音を立てる。迷いはない。撃つ前に、勝っている。弾丸が頭部を貫き、人影は崩れ落ちた。


「まだいる」


ミオが言う。偵察兵の目は、霧の揺れを追っている。複数だ。補給庫は、すでに誰かに“使われていた”。


ユウは医療箱に目をやった。一瞬の迷い。拾うか、退くか。拾えば、戦いになる。退けば、生き延びる確率は上がる。


掴めなかった手の感触が、胸の奥で疼いた。


「……拾う」


その言葉で、決まった。


カナが前に出る。ドローン技師は、壊すより直す人間だが、必要なら爆ぜる装置も使う。EMPグレネードが床を転がり、青白い閃光が霧を切り裂く。機械的な動きが止まる。束の間の静寂。


ユウは医療箱を引き寄せる。重い。中身が詰まっている証拠だ。未来が、そこに入っている。


その瞬間、背後で爆発が起きた。


衝撃で身体が浮き、壁に叩きつけられる。視界が白くなる。耳鳴り。砂埃。叫び声。誰の声か、分からない。


「ユウ!」


誰かが名前を呼ぶ。その声が、過去と重なる。


――手を、掴め。


崩壊前夜。瓦礫の下。伸びてきた手。あの時は、遅かった。


今回は――


ユウは腕を伸ばした。視界の端で、倒れたミオの姿が見える。瓦礫に足を取られ、動けない。毒霧が迫る。時間は、残っていない。


ユウは掴んだ。


指が絡む。重さが伝わる。引き上げる。肺が軋む。RADの警告が鳴り続ける。それでも、離さない。拾うと決めたからだ。


ミオが咳き込みながら、笑った。


「……拾われたね」


その言葉が、ユウの胸に刺さる。


補給庫を脱出した時、夕焼けはもう沈みかけていた。医療箱は無事だった。全員、生きている。勝利と言っていい。だがユウは、胸の奥に別の感情を抱えていた。


拾ったのは、物資だけじゃない。


またひとつ、未来を拾ってしまった。


そして同時に、気づいていた。

このやり方は、いつか限界が来る。拾うだけでは、救えない未来がある。その時、自分は何を選ぶのか。


AFTER ZEROの世界は、まだ答えをくれない。


だが、問いだけは確かに生まれていた。

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