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街に入るのは、思っていた以上に簡単だった。
それが、逆に不気味だった。
「……本当に、いいんでしょうか」
フードを深く被ったミオが、小声で言う。
「回収部隊が、街にいるんですよね……?」
「ああ。
だからこそ、だ」
俺たちは今、街の裏口――
商人や労働者が使う脇門から入っている。
人の流れに紛れれば、
目立たない。
「正面は警戒が厚い。
でも、裏は――」
「“もう回収した”と思ってる、ですね……」
ミオは、察しがいい。
街の中は、平穏だった。
市場では人々が笑い、
屋台の香りが漂っている。
――裂け目が開く世界とは思えないほど、普通だ。
「……こうしてると、忘れそうになりますね」
「何を?」
「……壊れてる、ってこと」
その言葉に、胸の奥が小さく軋む。
俺は壊れていく側だ。
それを、忘れてはいけない。
「……ミオ、今日は宿を探そう。
長居はしない」
「はい……」
その時だった。
ぞわり、と。
背中に、冷たい視線が突き刺さる。
「――止まりなさい」
聞き覚えのある声。
人混みの向こう、
黒い外套の女が立っていた。
リィナ。
回収部隊・拘束執行官。
「……気づいてたのか」
「ええ」
彼女は、周囲を一瞥し、
兵がいないことを確認する。
「ここでは、騒ぎは起こしません」
「……俺を捕まえに来た?」
リィナは、答えなかった。
代わりに、一歩近づく。
「あなた、さらに“揺れている”」
「……戦ったからな」
「ええ。
しかも、相当危険な相手と」
彼女の視線が、
一瞬だけ――ミオを見る。
「……癒し手を連れているのに」
ミオが、びくりと肩を震わせる。
「その人を、危険に晒すつもりですか」
「……俺が選んだ」
「違う」
リィナの声が、少し強くなる。
「選ばされた。
あなたは、自覚していないだけ」
一瞬、言葉に詰まる。
図星だった。
「……だから、止める必要がある」
リィナは、静かに言った。
「今なら、まだ戻れます」
「戻って……どうする」
「戦わない」
「裂け目は?」
「……他の者が」
「間に合わなかったら?」
また、沈黙。
彼女は、目を伏せた。
「……その時は」
拳を、強く握りしめる。
「それでも、あなたを止めます」
「……ミオ」
振り返ると、
ミオは、必死に前に出ようとしていた。
「……この人は……!」
「下がって」
リィナの声は、冷たい。
「あなたは、優しすぎる。
だから、壊れる人間を助けてしまう」
「……っ」
「でも、それは――」
リィナは、一瞬だけ言葉を探し、
「――世界を壊す行為です」
その場の空気が、凍りつく。
「……言い過ぎだ」
思わず、前に出る。
「ミオは、俺を――」
「生かしています」
リィナが、即答する。
「ですが、
生かすことと、止めることは違う」
視線が、真正面からぶつかる。
「私は、あなたを嫌っていません」
「……」
「むしろ――」
一瞬、声が揺れた。
「……守りたい」
その言葉は、
誰にも聞こえないほど、小さかった。
だが、確かに。
「だからこそ」
リィナは、一歩下がる。
「今回は、見逃します」
ミオが、驚いて息を呑む。
「ですが――」
指先に、淡い光が宿る。
「次に会う時は、
あなたを拘束します」
「……覚悟は?」
「ええ」
リィナは、静かに頷いた。
「あなたも、私も」
そう言って、
彼女は人混みに紛れて消えた。
残されたのは、
重たい沈黙。
「……あの人……」
ミオが、震える声で言う。
「……優しい、ですね」
「……ああ」
止める女。
それは、壊させない覚悟を持つ者。
そして同時に――
最も、心を削る役割。
街の喧騒が、再び耳に戻る。
だが俺は、はっきりと理解していた。
この街に、
もう“安全な場所”はない。
そして――
彼女は、必ずまた現れる。




