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違和感は、いつも小さかった。
だからこそ、
リィナはそれを見逃さなかった。
「……未発生、三件目」
机に並べられた報告書。
北方廃都跡。
街道沿いの森。
そして――今回の、峡谷入口。
どれも共通点がある。
裂け目の前兆は観測された。
修復執行官は派遣された。
だが――発生しなかった。
「……修復不要……」
指で文字をなぞる。
修復が“不要”だったのではない。
修復する前に、消えている。
「……修復の仕事じゃない」
リィナは、深く息を吸った。
修復執行官として、
彼女は何百もの裂け目を見てきた。
崩れ方。
残り方。
“元に戻る”時の癖。
――どれとも、違う。
「……外されている」
誰かが、
世界の“裏側”から、
そっと引き抜いている。
剣を使わず。
力を誇示せず。
壊さずに、無くす。
「……そんなことができる存在……」
脳裏に浮かぶのは、
一人しかいない。
否定しようとする。
それは、職務違反だ。
――粛清は、完了している。
――世界は、彼の死を記録した。
「……記録、か……」
リィナは、立ち上がった。
⸻
峡谷入口。
風が強い。
裂け目の“気配”は、ない。
それでも彼女は、
剣を抜かずに、目を閉じた。
修復執行官としての感覚を、
あえて、使わない。
代わりに――
一人の人間として、
“そこにいたはずのもの”を探す。
「……ここ……」
足元の空気が、
ほんの僅かに、軽い。
「……触られた……」
殴られた痕でも、
切断の跡でもない。
“持ち上げられた跡”。
「……間違いない……」
胸の奥が、
静かに鳴る。
違和感が、
一つの線に収束していく。
•未発生事象
•記録に残らない処理
•修復ではない介入
•そして――
剣を向ける必要のない距離感
「……あなたは……」
名前を、
声に出さずに呼ぶ。
「……生きている……」
それは、願いではない。
推測でもない。
結論だった。
⸻
「……だから、会わない……」
リィナは、剣の柄に触れる。
「……会えば、
私は……」
止める側として、
剣を振るう。
それが、
彼の選ばなかった未来。
「……あなたは……
それを、避けた……」
胸の奥に、
奇妙な温度が生まれる。
後悔ではない。
安堵でもない。
理解だ。
「……世界の外に出て……
それでも、
世界を守っている……」
剣を、鞘に納める。
「……皮肉ですね……」
小さく、笑う。
「……止めるべき存在が……
止めなくていい場所にいる」
その瞬間、
彼女の中で、何かが変わった。
追うべき“異常”は、
もう、彼ではない。
「……私は……」
空を見上げる。
「……見なかったことには、
しません……」
だが。
「……邪魔もしません……」
それは、
執行官としての判断ではない。
一人の人間としての選択だった。
⸻
拠点へ戻る途中、
リィナは一通の私用ログを閉じた。
件名:未発生事象・結論(非公開)
結論:
世界外干渉体は存在する
目的は、裂け目の未然消去
当該存在は――
私が執行した対象本人である可能性が高い
対応方針:
追跡を停止
公式記録には残さない
最後に、
一文を追加する。
※彼は、
もう“止める対象”ではない
端末を閉じ、
深く息を吐く。
「……生きなさい……」
誰にも聞こえない声で、
そう呟いた。
確信は、
音を立てずに訪れた。
だがそれは、
彼女の中で――
もう、消えない。




