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調査は、正式な命令ではなかった。
だから、
誰にも知られない方法で始める必要がある。
「……北方廃都跡、再調査」
リィナは、個人端末に短く入力した。
理由欄は、空白のまま。
――未発生事象。
――記録矛盾。
それだけで、
十分だった。
「……私が動く理由としては」
呟き、端末を閉じる。
誰にも聞かせるつもりはない。
⸻
廃都跡は、
“何も起きていない場所”だった。
瓦礫は崩れたまま。
空気は澄み、
裂け目の痕跡は――ない。
「……綺麗すぎる」
通常、裂け目の前兆があった場所には、
必ず“残滓”が残る。
空間の歪み。
魔力の滞留。
あるいは、地面の微細な変質。
だが――
ここには、何もない。
「……未発生、ではない」
リィナは、しゃがみ込み、
地面に指を当てた。
「……発生する“前”に、
処理された」
しかも。
「……修復ではない」
修復執行官の仕事は、
“元に戻す”ことだ。
だが、ここは――
最初から、何もなかったことになっている。
「……世界の内側の仕事じゃない……」
背筋に、冷たいものが走る。
⸻
「――調査官殿」
声をかけられ、
リィナは即座に立ち上がった。
振り向くと、
気絶していたはずの執行官が立っている。
「……体調は」
「問題ありません」
だが、その目は――
どこか、落ち着かない。
「……覚えていることは?」
問いかけると、
執行官は、首を振った。
「裂け目を確認し、
次の瞬間――」
言葉が、途切れる。
「……“誰かが、そこにいた”
ような気がします」
「……誰か」
「顔も、声も……
思い出せません」
だが、と。
「……“殴られた”感覚は、ありません」
「……では?」
「……触れられた、
という感じです」
リィナは、
一瞬、息を止めた。
殴らず、
壊さず、
触れて――消す。
そんな手段を取れる存在を、
彼女は一人しか知らない。
「……もう一つ」
執行官が、続ける。
「気絶する直前、
笑い声を聞きました」
「……笑い声?」
「はい。
……楽しそうな声でした」
確信が、
胸に落ちる。
――彼だ。
いや。
彼一人ではない。
「……ありがとうございます」
リィナは、深く頭を下げた。
「この件は、
私が引き取ります」
執行官は、
何も聞かず、頷いた。
⸻
廃都跡を後にしながら、
リィナは、剣の柄に触れる。
「……あなたは……」
心の中で、名を呼ぶ。
「……世界の外に、
出たんですね」
それは、
追放ではない。
自ら、外れた選択。
「……だから、
記録に残らない……」
歩きながら、
一つの仮説を組み立てる。
•裂け目は、未然に消えている
•修復ではなく、干渉
•世界に記録されない存在
•そして、複数の痕跡
「……一人で、
やっているわけじゃない……」
もう一人。
戦場を楽しむ、
危険な影。
「……魔族……
いえ……」
リィナは、目を細める。
「……仲間、ですか」
その言葉は、
かつて剣を向けた相手を、
“孤独な異常”ではなく
“誰かと並び立つ存在”として認めるものだった。
⸻
夜。
拠点に戻ったリィナは、
一通の非公式ログを開いた。
件名:未発生事象・追跡記録(私用)
仮説:
世界外干渉体が存在する
目的:裂け目の未然消去
脅威度:測定不能
備考:
当該存在は、
かつて私が執行した対象と
高い一致率を示す
最後に、一文を付け足す。
※感情的判断を排除すること
だが――
その一文を見つめながら、
リィナは、小さく息を吐いた。
「……できるなら……
最初から、そうしている……」
止める者は、
疑いを捨てない。
それが、
彼女の強さであり、
同時に――
再び彼へ近づく道でもあった。




