第1話 10001人の俺(最強)
カイル・ヴェルグレインは最強である。
二十歳で第一魔法騎士団の団長となり、二十五歳の頃には全ての騎士団をまとめる総団長の座に就いた。
その後も研鑽を続け、古今東西のあらゆる魔法を習得し、体術から剣術、棒術、弓、銃にいたるまで幅広い戦闘スキルを極めた。
王国最強の騎士にとどまらず、世界最強の騎士となり、さらには銀河最強の騎士となった。
百年、二百年。彼の伝説は続いた。
積み上げ続けた実績の果てにたどり着いたのは”肉体”という器からの脱却。
生物の限界を超え、魔力と同化し、不死の存在となった。
ある星では彼は神だった。
またある星では彼は現象だった。
多くの者に愛され、多くの仲間に恵まれ、多くの伝説を残し、そして尊き者全てを失った神にして現象。
誰も彼の時間にはついてこられない。
不死とは別れの連続であり、悲しみであり、退屈であり、呪いだ。いいかえるならば、蓄積された傷の象徴。
故に彼は終わりを望んだ。
そして彼は考えた。
最強である自分を殺せるのは、最強である自分しかいない――と。
「10000人の俺よ。誰でもいい。俺を超えてくれ。そして、俺の全てを終わらせてくれ」
極大創生魔法――万界胎動。
白銀の閃光が銀河を包み込み、10000もの異世界が、次元が生み出されていく――。
***
ゲートの向こうに広がっているのはダンジョンであるはずだった。
しかしながら、眼前に広がっているのは深淵だ。上も下もない。右も左もない。
無限の闇が支配する空間。古い書物に書かれていた”宇宙”というものに似ている気がする。
奇怪だ。何よりもわからないのは――。
カイル・ヴェルグレインの名を冠する男は、眼前に浮かぶ”白い光”を睨みつけた。
その光こそが最大の謎。
「どうして……そこに俺がいる……?」
白く発光した謎は、己と同じ顔を持つナニカであった。
とても濃い魔力を感じる。肉体そのものが魔力であるにも思える。
「お前が……モンスターたちの親玉なのか?」
カイルは右手に握りしめていた長剣の切っ先を、ソレに向けた。
はずだった。
次の瞬間、カイルの腕が深淵を泳いでいた。
(何が起きた? 攻撃されたのか?)
ナニカがぱちんと指を鳴らした――ようにカイルには思えたが音は聞こえなかった――その瞬間、2人の間に氷の槍が出現した。
(防御魔法を――)
カイルの眼前に厚さ30CMほどの透明な防御壁が出現する。
ドラゴンの息吹すら防ぐ鉄壁の防御魔法だ。
しかし、長さ1Mほどの氷槍は防御壁をたやすく貫通し、カイルの胸に突き刺さった。
(馬鹿な――)
カイルは吐血し、くぐったばかりのゲートの中へと落ちていく。
カイルの形をした光源は彼を一瞥し、残念そうにため息をついた。
「お前で239人目。やはり、誰もこの俺を殺すことは出来ないのか」
声はカイルの脳内に直接響いたように感じられた。
その瞬間、カイルは理解した。同時に激怒した。
ふざけるな。
故郷を滅ぼしたモンスターたちは、いつもゲートの向こう側からやってくる。
騎士団を率いて、幾度となく敵を切り伏せ、ついにゲートの向こう側へたどり着いたのだと思った。
だが、やっと見つけた出した黒幕が自分自身だとは。
ソレは自分を殺させるために、俺をこの場へ招いたようだ。
目的は不明だ。ソレが何故自分と同じ顔をしているのかもわからない。
はっきりしているのは、ソレの”何かしらの計画”のせいで、自分の家族や仲間、国は焼かれたのだということ。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。
死にたければ勝手に死ね。何故俺達を巻き込んだ。何故俺たちの世界にモンスターを送り込んだ。
何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ。
カイルは薄れゆく意識の中で、ナニカへの怒りに震える拳を握りしめた。
(そんなに死にたければ殺してやる。俺の偽物め!)
***
「出来損ないのゴミが。お前のような落ちこぼれの息子を持ったことが、俺の人生において唯一にして最大の汚点だ」
氷のように冷たい父のまなざし。
殴られ、蹴り飛ばされ、青あざだらけの体で絨毯に這いつくばり、悔し涙を流す。
二人の兄も同様に冷たい視線を向けるばかり。宮殿に仕えているメイド達にいたっては、くすくすと遠巻きにあざ笑う始末。
レオンハルト・ヴェルディアにとって、家族からの暴行と嘲りは日常であった。
アストリア王国の王族・ヴェルディアの三男に生まれながらも、魔力をまったく持たない欠陥品。
魔法が使えないのならと、代わりに鍛えた体も魔法で強化された父の拳の前では無力にすぎない。
一族の恥さらしである自分に唯一出来ることといえば、優秀な父や兄たちのストレス解消役として殴られ続けることのみ。
昨日は次男に指を折られた。
その前の晩には次男に新魔法の特訓と評され、炎魔法により顔にやけどを負わされた。
その前の晩は父に殴られ腹部にあざをつくったのも記憶に新しい。
耐えてきた。耐え忍び、体を鍛え、魔法の勉強を重ねてきた。
落ちこぼれでも、頑張り続ければ強くなれるかもしれない。
勉強し続ければ、魔力を得る方法が見つかるかもしれない。
そうなれば、兄たちも自分を認めてくれるはず。
そう思い続けて十六年。なんの成果も得られない。
もう沢山だ。レオンハルトの心は限界を迎えていた。
その夜。
自室にあてがわれた物置小屋の中で、レオンハルトは毒薬を口にした。
(ごめん、母さん。俺はもう、無理だよ)
唯一自分を愛してくれた肉親である母親も、四年前に病気で他界している。
いつか立派な魔法騎士となり、二人の兄と父に認められてみせる。
そう約束したこともあった。母の墓前にも誓った。だが、かなわない夢だった。
長男は第二魔法騎士団の団長。次男は副団長。父は元第二魔法騎士団の団長にして、元王宮騎士団の団長。
亡くなった母も優秀な魔法薬学士だった。レオンハルトだけが何者でもない、劣等者。
(どうして俺にだけ魔力がないんだろう?)
レオンハルトの胸を激しい痛みが襲う。
「うっ……」
レオンハルトは両膝を床につき、うつぶせに倒れた。そのままごろん、と体を仰向けにさせる。
今夜は月が綺麗だ。赤い満月。最後に美しいものを目に焼き付けようと、レオンハルトは月を見上げる。
(この世界は魔法がすべてだ。どんなに鍛えたって、魔力がないんじゃ……)
レオンハルトは薄れゆく意識の中で、最後にもう一度叶わぬ夢を想った。
(強くなりたかった。魔力がなくても……家族を見返せるくらい強くなりたかった)
***
――強くなりたかった。
少年の無念の叫びが聞こえる。
暗闇の向こう側から、切望の声が聞こえてくる。
カイル・ヴェルグレインは無意識に右手を伸ばした。
意識がはっきりとしてくる。
体に感触が戻ってくる。指が動く。腕が動く。足が動く。目が開く。
視界がクリアになった。痛覚が戻る。胸の痛み。だが穴は見られない。
この痛みは体の内側から感じられるものだ。
カイルは仰向けの状態で、周囲を観察する。
そこは窮屈な牢屋のような部屋に思えた。
粗末なベッドと箪笥、古い木の机があるだけの窮屈な部屋。
カイルは窓を見た。ガラスに反射する自分の顔は、ずいぶんと若く見える。
とても三十半ばの男の顔とは思えない。
十代後半くらいだろうか。黄金の髪が背中まで伸びていたはずだが、今は見当たらない。
頬に少し髪先が触れるくらいの長さしかない茶髪。若返ったわけではなさそうだ。
髪が、顔が、体そのものが違う。
ともすれば――。
カイルは起き上がり、痛む胸を抑えた。
「事態を把握する前に……まずは体をなんとかしないとな」
恐らくは毒。床に転がっている小瓶から液体が流れているところを察するに、毒殺か服毒自殺だろう。
回復魔法を使えば体内の毒を無効化することはたやすい。
しかし、どういうわけかこの体からは魔力を感じられない。
「仕方ないな」
カイルは窓を開け、眼下に広がる庭を見下ろす。
木々が沢山生えている。これだけの庭だ。どこかの金持ちの屋敷か、宮殿か。丁度いい。
カイルは周辺の木々や草が持つ自然の魔力をちょっとずつ拝借し、魔法を発動した。
魔装――周囲の魔力を支配し、操る高等スキル。
発動したのは肉体を蝕む毒を打ち消すだけの魔法だ。
上級レベルの回復魔法に分類されるが、カイル以外にも使い手が複数人いる程度の魔法だ。特別難しいわけではない。
しかし、体がどっと疲れる。
自然の魔力を使ったのだから、魔力量には問題はないはず。
問題があるとすれば肉体そのものの方。
「どうやらこの体は魔法の使用に慣れていないらしいな」
カイルは机の上で開かれているノートに手を伸ばす。
ぱらぱらと紙をめくる。どうやら日記帳らしい。
机の引き出しを引っ張ると、何十冊もの日記帳が現れる。
「情報処理魔法――この体でどこまで使えるかはわからないが……」
魔法の力を借り、ぱらぱらとめくったページに書かれている情報を脳に直接刻み込む。
それにより、いくつか判明したことがある。
自分がレオンハルト・ヴェルディアという十六歳の少年であること。
レオンハルトは王族の家に生まれながらも、家族から迫害されていること。
度重なる虐待の末、自殺をしたこと。
ここが王宮の隣に位置する王族の宮殿あること。
そして、この世界が自分の死から百年後の世界であることを理解した。
「何が何だか……原因はわからないが、俺はこの少年の体に転生したらしいな」
カイル(レオンハルト)は日記帳をすべて引き出しの中に戻し、ベッドに腰掛けた。
「自殺……か」
確かに、この体からは魔力を感じない。
欠陥品。落ちこぼれ。そう揶揄する者がいるのもうなずける。
しかし、強さとは己の魔力量が全てではない。
体を見ればわかる。相当鍛えられた体だ。それだけに勿体ないと思う。
魔力がなくても戦う方法はある。それを知ってさえいれば、命を絶つ必要はなかっただろうに。
「無念だっただろうな」
カイルは己の肉体の持ち主を想う。
日記には母への愛と誓いも記されていた。
心優しい少年だったのだろう。
彼のような優しい人間を護るために、カイルは魔法騎士になったのだ。
「しかし、百年か。俺を知る人間は誰もいないんだろうな」
百年。
あの後もモンスターによる襲撃はあったのだろうか。
魔法や魔道具はどのように進化したのだろうか。
知るべきことは沢山ある。
「まずは情報がいる。なにせここは百年後の世界だ。だがまぁ……そのついでで良ければ、お前の無念も晴らしてやるさ」
カイルはベッドの上で仰向けになった。
何故自分が自殺した少年の体で蘇ったのかはわからない。
何かしらの奇跡が起きたのか。
あるいは、自分と同じ顔を持つヤツの策略か。
考えることは山済みだ。だが、焦っても仕方がない。
「まずは休息だな。細かいことは明日考えよう」
カイルは目を閉じた。