第70話 「たずねびと」
~憲章暦997年4月14日(火の日)~
大量の在庫が、セレスティア商会の倉庫を埋めた翌日。
取引を終えた俺とアイラは、受付で必要な手続きを終えて帰路につくところだった。
「今日も、いい取引ができましたね」
「まあな。でも、戦争の影響はいろんなところに出ている。調べることが多そうだ。明日も早いし、そろそろ帰るか」
取引所の喧騒も落ち着き、静かな風が流れていた。
そんなとき、背後から明るい声が響いた。
「アルヴィオ君っ、ちょっと待ってー!」
金髪を高く結んだポニーテールが揺れる。振り向けば、ヴァース商会の取引魔法士――ティナが走り寄ってきていた。息を切らしながらも、いつもの笑顔は健在だ。
「ティナ、どうしたんだ?」
「はぁ、はぁ……レイラさんが呼んでるの。すぐにヴァース商会まで来てほしいって!」
「俺に?」
「そうそう! あとね、アイラちゃんも一緒に、って言われたの!」
レイラが直々に呼ぶというのは、そう頻繁にあることじゃない。
「何かあったのか?」
「それがね~……ティナにも詳しくは教えてもらえなかったの。ちょっと空気がピリッとしてたかなぁ?」
その言葉に、俺とアイラは視線を交わす。
嫌な予感しかしない。
「わかった。今行く」
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
ヴァース商会の建物に入ると、廊下にはすでに夜の静けさが満ちていた。
応接室の前に立つティナが、俺たちに向かって小さく頷く。
「中でレイラさんが待ってるよ。あ、あとね――ちょっと、びっくりすると思うけど、驚かないでね?」
「……余計に不安になる言い方だな」
軽口を返す間もなく、ティナが扉を開けた。
応接室の中――
レイラがテーブル越しに座っており、その隣には、見覚えのある女がいた。
深緑の髪、赤い瞳と丸眼鏡のハイエルフ。
「……クロエ」
俺の口から思わず声が漏れた。
「やっほー、アル。久しぶりー」
軽やかな声。あいかわらず調子が抜けるほどの明るさだ。
クロエの隣、もう一人――フードを深く被った女と、小柄な少女が座っている。少女は女の袖を握りしめて、じっとこちらを見ていた。
「……この状況、どういうことだ?」
「まあまあ、座って」
クロエが指先でソファを叩く。レイラは苦笑しながらこちらに視線やる。
「突然呼び出して悪かった。少年」
応接室の空気は妙に張り詰めていた。俺とアイラが腰を下ろすと、クロエがいつもの調子でパンと手を叩いた。
「さて、本題に入りましょう。アル、あなた――私に恩があるわよね?」
恩、という単語に思わず眉が動いた。
「……まあ、恩がないとは言えないな」
「でしょ? じゃあ、その恩をちょーっとだけ返してもらおうかな!」
嫌な予感しかしない。クロエがそんな前置きをする時は、だいたいロクな話じゃない。
クロエが隣のフードの女を指差した。
「というわけで、この子を預かってほしいの」
「……は?」
思考が一瞬止まる。
隣のアイラも、ぽかんと口を開けていた。
「それって――」
「この子は、少し事情があってね。しばらく安全な場所にいてもらう必要があるの」
さらりと言うクロエとは対照的に、レイラはこめかみを押さえていた。
「クロエはいつも唐突すぎるんだ。事情くらい少年にも話してやれ」
「説明したら長くなるし~、それに話すと色々とややこしいのよ」
クロエは悪びれもせず笑った。
フードの女は静かに立ち上がり、深く頭を下げた。
「……ご迷惑をおかけします。しばらくの間、お世話になります」
その声は澄んでいて、芯があった。
肩までの髪がフードの影からこぼれる。銀に近い淡い光を帯びた髪。
顔を上げると、灰青の瞳が一瞬こちらを射抜いた。
「名前は?」
「……ティアナ、と名乗らせてください」
どこか苦しげに、それでも凛とした声だった。
その隣で、少女が心配そうに見上げている。
「この子は?」
「妹のラニアです」
ティアナと名乗った女が、そっとラニアの肩を抱く。
ラニアと紹介された少女は大人しく頷き、控えめな声で言った。
「……ひめ――っ!」
言いかけて、慌てて口を押さえる。ティアナが小さく息を呑み、咳払いをする。
「……少し人目を避けたい事情があるのです」
「……なるほどな」
クロエがパンと手を叩いた。
「そういうわけで、よろしくね! アル、あなたなら安心だし、アイラちゃんもいい子そうだし!」
「ちょ、ちょっと待てクロエ! 説明が足りない! 俺はまだ――」
「細かいことは後でいいでしょ? じゃ、レイラ、後は任せたわねー」
椅子を引く音も軽快に、クロエは立ち上がった。
「クロエ、また勝手に……!」
レイラが声を荒げるが、もう遅い。
ハイエルフの背中は、軽やかに扉の向こうへ消えていった。
残されたのは、ぽかんと口を開けた俺とアイラ、そして深いため息をつくレイラだけ。
「まったく……あいつはいつもこれだ」
レイラが額を押さえながら、こちら見る。
「……少年、この者たちを預ける。問題ないか?」
「……まあ、この状況じゃ断れないだろう?」
レイラが苦笑する。
「察しがいいな。そういうことだ」
アイラは困ったよう表情を浮かべている。
「アルさん、また女の人……」
思わずため息が漏れる。
ティアナは静かに頭を下げた。その動作にはそこはかとない品の良さがあった。
「アルヴィオ・アディスだ。よろしく頼む」
フードの奥で、灰青の瞳が一瞬だけ揺れる。
「……ありがとうございます。必ず、ご恩はお返しします」
その声音には、覚悟のようなものが感じられた。




