第68話 「魔力石」
セレスティア商会の倉庫には、今朝届いた荷の山が積み上がっていた。
子供の顔ほどもある巨大な球根。薄青い光を放ちながら、箱の中に並べられている。
「……これが10万個以上ですのね」
フィリアが眉間にしわを寄せて、山と積まれた荷を見上げていた。
「フレイジア球根。バブルを招いた元凶だ。大量の在庫がダブついている」
俺は淡々と呟いた。
「それを、十万個……しかも現物で……アルヴィオ、本気でどうなさるつもりですの?」
フィリアは半ば呆れ顔でこちらを振り向いた。
フィリアの言葉はもっともだ。青白い輝きを放つこの球根は確かに目を引くが、今の相場では安値で取引されている。通常は、買ったとしても利益など望めない。
「これが、鍵だ」
俺はそれだけを返す。
「ですの……」
フィリアは小さく肩を落とした。
横でアイラが困ったように笑みを浮かべる。
「アルさんが言うなら、きっと理由があるんです。ね?」
俺は頷き、倉庫を後にした。
次に向かうべきは――港だ。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
港はいつもとは違う緊張感に包まれていた。
海鳥の鳴き声と船員たちの怒号、木箱を運ぶ音が入り混じり、騒がしいのは変わらない。だが、沖合には数えきれないほどの船影が停泊していた。本来なら荷を積んで出航しているはずの船が、どれも足止めを食らっている。
「……やっぱり、戦争の影響ですか」
アイラが声を落とした。
「ああ。モスタール要塞の攻防が始まれば、ティラナ島とその周辺海域は危険地帯になる。誰もが出航をためらうだろうな」
俺の言葉に、フィリアも頷いた。
「交易の滞りは、市場を直撃いたしますわね」
港の喧噪の中を抜け、俺たちはある倉庫へ向かった。
そこは、港の一角にある廃棄物処理を請け負う業者の倉庫だった。
錆びた鉄扉の奥に入ると、薄暗い空間に山と積まれた灰色の石が目に飛び込んできた。
「……空の魔力石がたくさんです」
アイラが小さく呟いた。
「魔力を使い切った後の残骸だな。今はただの石ころに見えるだろう」
俺は足元に転がっていた一つを拾い上げた。手にするとずしりとした重さがある。
「だが、こいつは完全に死んでるわけじゃない。小さいものなら魔素濃度が高いダンジョンに二十年ほど放り込んでおけば、また少しずつ魔力を蓄える。そうやって再利用されるんだ」
「二十年ですか?」
アイラが目を丸くする。
「ああ、大きいものは百年以上かかる場合もある」
「百年……そんなに」
アイラは驚きの声を上げた。
「だから、再利用とはいえ効率は悪い。だがそれでも――魔力石は、この世界の根幹だ」
俺は掌の石を転がしながら言った。
「魔導灯を灯すにも、船を動かすにも、結界を維持するにも。魔力石は欠かせない。たとえ空になっていても、価値はある。未来の資産だからな」
アイラは小さく頷き、その瞳を石に注いだ。
「……眠っているだけ、なんですね」
「そういうことだ」
話をしていると倉庫の奥から、腹の出た中年の商人が現れた。油で汚れた前掛けをして、擦り切れた帳簿を手にしている。
「なんだお前らは。買い取りなら隣の倉庫に――」
俺は空の魔力石を掲げて見せた。
「これを買いたい。取引できるか」
商人は一瞬、怪訝そうな目をしたが、すぐに目を細めてこちらを値踏みするように見た。
「……買うだと? アンタ、これが何だか知ってんのか?」
「空の魔力石だろう。使い切った後の残骸だ」
「へっ……好き物もいたもんだな」
商人は帳簿をパラリとめくり、指で計算を始めた。
「港が封鎖状態だ。普段なら輸出して、サンクタム山脈周辺の魔素濃度の濃いダンジョンに放り込むんだが……今は船が一隻も動かねえ。おかげで在庫が溜まりに溜まってんだ」
商人は肩をすくめ、足元に転がる石をつま先で小突いた。
「数は?」
「ざっと十万個を超える。在庫の山だ。邪魔でしょうがねえ」
「値段を教えてくれ」
俺の言葉に、商人はにやりと口元を歪めた。
「百個で40ディム……いや、在庫処分だ。たくさん買ってくれるなら30ディムでいい」
フィリアが横で息を呑んだ。
「30ディム……相場でも50程度ですのに、それでは……」
「船が出ないんだ。倉庫代ばかりかさむ。処分できるなら損でも構わねえってわけよ」
商人は自嘲気味に笑った。
俺はすぐに言葉を返した。
「なら、すべて買い取りたい。可能か?」
「……すべてって……これ全部か?」
商人の目が大きく見開かれた。
「ここにある空の魔力石、ひとつ残らずだ」
倉庫の空気が一瞬で張り詰める。
フィリアが慌てて俺の袖を引いた。
「アルヴィオ! まさか本気ですの?」
「心配するな。置き場はある。問題ない」
「ですが……!」
フィリアは必死に言葉を探したが、結局は小さく息を吐いて肩を落とした。
「……まったく、底が知れませんわ。ですが、アルヴィオを信じます。お任せいたしますわ」
商人はしばらく呆然とした顔をしていたが、やがて乾いた笑いを漏らした。
「はっ……正気かよ。こいつ全部だぞ? 倉庫一つ分だ」
「構わない。契約書とアルカナプレートを用意してくれ」
俺は一歩も引かずに告げた。
商人は、部下を走らせて紙とアルカナプレートを用意する。
その横で、アイラが心配そうに声をかけてきた。
「アルさん……これだけの量、本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。今は誰も価値を見ていないが、いずれ目を覚ます。眠っている資産は、動かせる奴の手にある時が一番輝く」
「眠っている資産……」
アイラは小さく繰り返し、その言葉を胸に刻むように頷いた。
フィリアは額に手を当て、大きくため息をついた。
「まったく……あなたという方は。これで商会の倉庫が石ころの山で埋まりますわ」
「石ころの山かどうかは、見方次第だ」
俺は口の端を上げた。




