Intermission 14 「クーデター追放王女の割とガチ目な脱出劇」
時は遡り、アズーリア帝国の首都アズラフィア、クーデター勢力が宮殿になだれ込む数刻前。
後宮の一角、ティタニア・アズーリアは、机に広げた文書に視線を落としていた。
金糸を編み込んだ青のドレスが、窓から射す光に照らされてきらりと輝く。二十歳を迎えたばかりの第二王女。その灰青の瞳は、静かに文字を追う。
「……やはり、また財務報告が誤魔化されている」
小さく吐息をついた。帝国財務局から届けられた最新の帳簿を繰るたびに、数字の辻褄が合わない。ティタニアは元より鋭い観察眼を持ち、宮廷政治の裏側にも精通していた。
その時、重い扉が勢いよく開いた。
「姫様っ!」
慌てた声と共に駆け込んできたのは、従者のラウラだった。
「どうしたの、ラウラ。廊下で転んだのかしら?」
ティタニアは唇の端を持ち上げ、冗談めかして迎える。
「……密偵からの報告です。ルキウス様が……本当に、動き出しました!」
その名を聞いた瞬間、ティタニアの瞳に冷たい光が宿る。
「ルキウスが?」
「はい。夕刻、軍を動かし、宮殿を掌握するつもりです。姫様を含め、側室筋の王族は――」
「粛清対象、というわけね」
ティタニアは椅子から立ち上がった。
足元に広がるドレスの裾を軽く払う。その仕草は、命を狙われる身にある者とは思えぬほど落ち着いていた。
「……馬鹿だと思っていたけど、ここまで愚かだとは」
皮肉な吐息を漏らす。
ルキウス。第二皇子。異母兄弟にあたる。
その野心と短慮は、ティタニアにとって格好の観察対象だった。だが、ティタニアはまさか本当にクーデターに打って出るとは考えていなかったのだ。
「姫様、どうなさいますか。兵はすでに街に展開していると……」
ラウラが不安げに声を震わせる。
「決まっているでしょう。逃げるのよ」
「逃げ……!」
「このまま残れば、夕刻には首が落ちているわ。私はまだ死にたくないもの」
灰青の瞳に決意が宿る。
ティタニアは机の引き出しを開け、包んであった粗末な布束を取り出した。
「……服、ですか?」
ラウラが驚いたように目を丸くする。
「そう、万が一に備えて作らせておいたのよ。市井の女の子が着るような簡素な服」
布を広げると、くすんだ茶色のスカートと白いブラウス、薄手の上着が現れる。
「ずっと着てみたかったのよね、こういうの」
ティタニアはドレスの肩紐を外し、すらりと腕を抜く。ドレスが床に滑り落ちると、灰青の瞳がほんの少し楽しげに細められた。
「姫様、こんな時に……」
「こんな時だからよ、ラウラ」
軽口を叩きながらも、動きは迷いがない。白いブラウスに袖を通し、上着を羽織る。
鏡に映る自分の姿を見て、思わず笑みがこぼれる。
「どう? 市井の娘に見えるかしら」
ラウラは一瞬だけ言葉を失い、それから小さく首を横に振る。
「……市井の娘、というよりは、貴族の娘が無理に庶民の真似をしているように見えます」
「まあ、そう見えるの? 残念ね。まあいいわ」
ティタニアは肩をすくめ、楽しげに上着のボタンを閉める。
灰青の瞳には、危機の最中とは思えぬほどの好奇心がきらめいていた。
「さて」
ティタニアはそう言いながら、机の下から古びた地図を取り出した。羊皮紙に記された薄い線、暗号のような注記。
「姫様、それは……」
「古文書よ。王都の図書塔に保管されていたの。昔の王族が非常時に使うために作った地下道の記録。ルキウスは知らないはずだわ」
そう言って、地図に指先を走らせる。
「ここから南の浴堂の方向に抜ける通路がある。そこから西門の外に通路が続いているはず」
「はず……ですか」
「はず、よ。だから試してみるしかないわね」
二人は、頷き。後宮の奥へ向かった。
夕刻が近づき、王都全体が不穏な空気に包まれる頃、二人は後宮の床下に隠された扉を開けていた。
湿った石段を下り、ランプの光だけを頼りに進む。古代のレンガが積み上げられた狭い通路、かつて誰かが歩いた気配だけが残る。
「ここが……秘密の通路……」
ラウラの声はかすれている。
「わくわくするわね、ラウラ。まるで小説のヒロインみたい」
「姫様、遊びじゃありません……」
「わかってるわよ」
だが、楽しげなその声の奥には確かな緊張があった。
通路の先がわずかに開け、石段の先に夕刻の光が見え始める。
「もう出口です……」
ラウラが安堵しかけたその瞬間、外から甲冑の擦れる音が響いた。
「誰かいる……」
ティタニアは立ち止まる。
次の瞬間、外から兵士たちの怒号が響いた。
「そこだ! 抜け道を見つけたぞ!」
クーデター勢力の兵士たちが通路の出口を塞いでいた。槍の穂先が光り、ティタニアたちに向けられる。
「……見つかったか」
ティタニアは小さく息を吐いた。灰青の瞳が鋭く光る。
「ラウラ、下がって」
「姫様……!」
その瞬間だった。
外の空気がざわりと揺れた。
甲冑の音、怒号、そして――風が渦を巻くような低い唸り。
兵士たちが一瞬たじろぎ、通路の先に立つ影を見上げる。
頭巾をかぶった、一人の魔法士がそこにいた。
ただならぬ魔力だけが、石段を伝ってティタニアとラウラの肌にまで届く。
青白い光が兵士たちの槍を弾き、火花が散った。
「な、何者だ……!」
兵士の一人が叫ぶ。
ティタニアは灰青の瞳を細めた。
次の瞬間、兵士たちが一斉に吹き飛ばされた。風か、それとも別の何かか、見分ける暇もない。
通路の出口に、ふわりと手が差し伸べられる。
ティタニアは躊躇わなかった。
「行くわよ、ラウラ」
二人はその手を取り、闇の中へと駆け出した。




