Intermission 11 「できること」
取引所前の広場に残されたヒカリは、遠ざかる三人の背を見送っていた。
「……私は、待つんだ」
自分に言い聞かせるように、小さく呟く。
アルヴィオの声がまだ耳に残っている。
帰れと言われた。危険だから、と。
ヒカリ自身も、その言葉の意味は理解していた。異世界に来たばかりの自分が足手まといになるだけだと、頭では分かっている。
だからこそ、アルヴィオの言葉に従って、屋敷へ戻ることを選んだ。
「帰らなきゃ……」
そう呟き、取引所前の賑わいに背を向けた。
アイラの屋敷へと戻り、扉を開けると、そこには二人の不在を物語るような空虚さがあった。
「……少し、散らかってる」
ヒカリはふっと息をついた。
「帰ってきたときに、きれいな方がいいよね」
誰に聞かせるでもなく呟き、袖をまくった。
雑巾を絞り、机の上を拭く。椅子を整え、床に散らばった小物を拾い上げる。水差しを替え、花瓶の花を新しい水に浸す。
そうしていると、少しだけ心が落ち着いていく気がした。
「自分にできること」をしている、という感覚。
だが――ふと手が止まった。
机の端に、場違いなものが置かれていた。
重厚な蒼い銃身。異様な冷たさを放つ魔法銃。
「これ……」
アルヴィオが常に傍に置いていた武器。だが今はここにある。
つまりアルヴィオは、丸腰でイオナを追いかけに行ったのだ。
「そんな……」
小さな声が零れる。
胸の奥がざわざわと波立った。
届けなければ。けれど、きっと足手まといになる。
「アディスさんは、私を危険から守るために……私が持っていったら、逆に邪魔になるんじゃ……」
頭では「待つのが正しい」とわかっている。けれど心は「行かなければ」と叫んでいた。
「……どうしたらいいの」
答えは出なかった。けれど、気づけばヒカリの指は目の前の魔法銃に伸びていた。
冷たい金属の感触が指先を伝う。
次の瞬間――。
銃身が淡く光を帯び、部屋の空気が震えた。
「え……?」
まばゆい光が手を包み、視界が白く弾け飛ぶ。
足元がふわりと浮いたような感覚。
心臓が早鐘のように打ち、呼吸が乱れる。
「な、なにこれ……!」
叫ぼうとしたが、声は喉の奥で途切れた。
意識が急速に遠のいていく。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
人々の往来が続く大通りを、駆けて行くヒカリの姿があった。
瞳に焦点はない。
無意識のまま、アクアレイジを抱えて走り出していた。
足取りは迷いなく、軽やかで、速い。
通りを駆け抜け、橋を渡り、人混みを縫うように進む。
驚いた市民が振り返るが、ヒカリはその声を認識していない。
ただ、導かれるように――アルヴィオたちの戦場へ。
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そして――気がついたとき、ヒカリは白い天井を見つめていた。
清潔なシーツ。漂う薬草の匂い。
「……ここは……」
ぼんやりと呟き、瞬きを繰り返す。体は重く、思うように動かない。
枕元には、アクアレイジが静かに横たえられている。魔力の光が消えた銃身にはまだ冷たい水滴が残っていた。
ヒカリは混乱の中で息をのみ、毛布を胸まで引き寄せた。
「……私、何を……」
その答えはまだわからない。
けれど確かなことが一つだけあった。
あの時、ヒカリは確かにアルヴィオたちの戦場に現れ、アクアレイジを振るったのだ。
それがどうしてなのか。なぜできたのか。
ヒカリ自身にも、答えはなかった。
ただ――ヒカリの中に「なにか」が芽生え始めていることだけは、間違いなかった。




