第64話 「ケモ耳チェイスⅢ」
「まだ来るぞ!」
ミラの声が鋭く路地に響いた。
倉庫の屋根から、黒装束が次々と飛び降りてくる。十人、二十人――あっという間に数は倍以上になる。
「数が……」
アイラの声が震える。
「これは……」
俺は、舌打ちをこらえて状況を見極める。
倉庫街。
――こないだみたいにアイラが大規模魔法を撃てれば、一掃できる。
脳裏に一瞬、その考えがよぎる。だが即座に却下した。近くには、魚市場がある。重要な物流の中継地だ。木箱が積まれ、油の染みた樽が並ぶ。そちらに炎でも飛べば、一帯は一瞬で火の海になる。
――駄目だ。こんな街中じゃ使えない。
「来るぞ!」
ミラが叫ぶ。
「くっ!」
アイラが光弾を撃ち出す。
一人を倒す。その隙に、違う影がイオナへ迫る。
「きゃっ!」
短剣が振り下ろされる。
「――!」
俺の体が勝手に動いた。
剣も槍もない。アクアレイジも持っていない。素手だ。
それでも、止めなければならない。
腕を伸ばし、イオナの肩を抱き寄せた。
風を切る刃が俺の頬をかすめ、冷たい感触が走る。熱いものが一筋、頬を伝った。
すぐさま足を払う。短剣を振り下ろした黒装束が体勢を崩し、前のめりに倒れる。
「下がれ!」
俺が叫んだ瞬間――ミラが短剣を振り抜いた。
黒装束が、呻き声とともに崩れ落ちる。
「アルさん、左です!」
アイラが叫び、再び光弾を放つ。アルカナプレートが脈動するように光り、魔力がアイラの両掌に集約される。
光の槍が走り、屋根から飛び降りた黒装束を直撃した。
だが数は減らない。
「後ろからも来る!」
ミラが尾で敵を叩き飛ばしながら叫んだ。
倉庫街の路地は複雑に入り組んでいる。敵はそこを熟知しているかのように、四方から連携して攻めてくる。
「このままじゃ押し潰される!」
ミラが低く唸る。
追っ手は火の符を一斉に展開し、路地の両側から火炎を撃ち込んできた。
「下がれ!」
俺が叫ぶと、アイラが前へ出て防御魔法を張った。アルカナプレートが眩い光を放ち、アイラの前に透明な壁が生じる。
炎がぶつかり、火花が四散する。
「っ……!」
火力は強大だったが、アイラの結界は揺るがない。俺の魔力がプレートを通じて絶えず供給されているからだ。
「アルさんの大丈夫です!」
アイラが歯を食いしばりながらも笑みを見せる。
だが、敵の数は衰えない。燃え残った木片が周囲を焦がし、熱気が路地を満たしていく。
「……くそ、突破するしかない」
俺は決断した。
「西へ抜ける! ミラ、先頭を頼む!」
「了解だ!」
ミラが刃を構え、敵陣に飛び込む。尾がしなり、二人を薙ぎ倒す。
アイラが光の矢を放ち、進路を切り拓く。
俺はイオナの手を引き、後ろを守りながら走る。
「逃がすな! その女は我らのものだ!」
敵の指揮役が怒声をあげる。
火の魔法が再び雨のように降り注ぐ。
アイラの防御魔法が光り輝き、炎を防ぎ続ける。だが路地全体が熱に包まれ、呼吸すら苦しくなってきた。
「アルさん……!」
アイラの声に応えようとしたその瞬間だった。
轟音。
頭上から落ちてきた炎を、別の力が薙ぎ払った。
眩い水流が貫き、炎を一瞬でかき消す。
「な……水? こんどはなんだ!」
ミラが目を細める。
黒装束の連中も一様に驚愕の声をあげ、ざわめきが起こる。
水しぶきの奥。
そこに、一人の影が立っていた。
長い黒髪を濡らし、手には見覚えのある魔法銃――アクアレイジ。
「……ヒカリ?」
思わず声が漏れる。
だがその瞳は、普段のそれではなかった。無意識に突き動かされるような、鋭い光を帯びていた。




