第54話 「アイラ」
砂塵が晴れると、前線で陣を立て直していた兵士たちが次々と戻ってくる。勝どきを上げる声があちこちで響いた。
「撃退したぞ! 魔獣どもは退いた!」
「閃光姫の勝利だ!」
兵士の歓声が渦を巻き、基地全体に広がっていく。
その輪の中、エリーナがゆっくりと歩み寄ってきた。血に染まった軍装、煤けた頬。だがその眼差しは、さっきまでの冷徹な指揮官のものではなかった。
「……アイラ」
呼ぶ声は、掠れていた。
アイラは顔を上げ、緊張したように背筋を伸ばした。
「はい、お姉様」
「さっきの……お前の魔法。私を救ったのは、間違いなくお前だ」
エリーナの視線が一瞬揺れる。
「……礼を言う」
その言葉に、アイラは驚いたように瞬きをした。
「わ、わたしは……ただ、目の前のお姉様を助けたくて……」
言葉に詰まるアイラを見て、俺は内心で頷く。これは大きな転機だ。
エリーナは小さく息を吐き、視線を逸らした。
「……勘違いするな。ただ……命の恩は、借りっぱなしにする気はない」
ツンとした声音。けれど頬がわずかに赤らんでいるのを、俺は見逃さなかった。
「……はい」
アイラは、ほっとしたように微笑んだ。
――やれやれ。面倒な姉妹だな。だが、ようやく歩み寄れたらしい。
歓声と混乱の余韻の中、俺はふと空を仰ぐ。
魔獣の群れを退けた。物語ならこれで大団円だ。
だが――。
「……明日の相場、大荒れになるな」
思わず口をついて出た独り言に、隣のティナが肩を落とした。
「この状況で考えること、それなの~? アルヴィオ君」
「投資家は戦場より相場の方が怖いんだよ」
苦笑いを返す。ここでの戦いは終わっても、数字の戦場が待っている。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
夕焼けが基地を照らす頃、俺たちは帰路についた。
土埃を帯びた風が吹き抜ける。兵士たちの笑い声や安堵の声が後ろに遠ざかり、やがて小高い丘の上に差しかかった。
周囲にはもう誰もいない。赤く染まる空と、草の匂いだけが広がっている。
「アルさん……」
隣を歩いていたアイラが、ぽつりと俺の名を呼んだ。
振り返ると、アイラは立ち止まり、両手を胸の前でぎゅっと握っていた。
「……今日、わたし……本当に、怖かったんです。でも……アルさんがいてくれたから、最後まで……」
声が震え、視線が泳ぐ。
「よく頑張ったな」
「はい、頑張りました……」
「だから……あの……あ、アルさん……その……」
頬を赤く染め、ゆっくりとこちらに顔を向けた。金の瞳が、夕陽を映して潤んでいる。
「……えっと、あの、ええと……」
「どうした?」
「……が、頑張ったから……その、ごほうび……ほしいです」
「ごほうび?」
「……っ」
耳まで真っ赤になりながら、アイラは両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。小さく震えている。
「……あの……その……頭を……なでて、ください……り、リーリアさんに……やってた……みたいに……」
言葉は途切れ途切れ。まるで勇気を振り絞るように、ようやく口にした。
俺は一瞬、息を呑んだ。
「わたし、アルさんに……なでてもらえたら……また、がんばれますから」
声が細く、それでも必死に伝えようとしている。
そっと手を伸ばし、アイラの頭に触れる。
さらりとしたプラチナブロンズの髪が指の間を滑っていく。アイラはびくっと肩を震わせた。
「……っ……」
金の瞳がゆるみ、ほんの少し涙が滲む。
俺が髪を梳くように撫でるたびに、アイラは小さく息をもらす。
「……アルさん……」
震える声で、アイラは俺の手にそっと額を預けた。
「……もっと……なでてください……わたし……頑張れますから……」
耳まで赤くしながら、それでも必死に甘えを押し出す。
「よく頑張ったな、アイラ」
「……はい……っ、わたし、……がんばりました…」
途切れ途切れの声に、こみ上げる感情がにじんでいる。
何度も傷ついてきた少女が。
誰にも認められなかった少女が。
今、やっと「頑張った」と自分で言えた。
「……ああ。見てたよ。全部な」
俺の答えに、アイラは小さく頷き、安堵するように額を俺の胸へ寄せる。
その温もりが、何よりも強く心に残った。




