第52話 「廃棄姫と閃光姫」
模擬戦の会場には、既に多くの観客が集まっていた。
舞台の中央に立つ二人。
一人は「閃光姫」の異名を持つルミナス家の次女、エリーナ・ルミナス。その名を聞くだけで、誰もが畏怖を覚えるほどの実力者。もう一人は、俺の相棒――アイラシア・ルミナス。周囲からは「廃棄姫」と呼ばれ続け、誰からも期待されなかった少女。
ここにいる観客のほとんどが、エリーナの圧倒的な勝利を信じて疑わないだろう。
俺の耳にも、そんな声が嫌でも届いてくる。
「相手は閃光姫だぞ。廃棄姫じゃ話にならん」
「一撃で終わりだろうな」
「むしろ、よくこんな見世物を組んだもんだ」
「エリーナ様は何を考えているんだ?」
嘲笑と冷笑。それは俺が初めてアイラと出会った時、魔法士ギルドのロビーで耳にしたものと同じ響きだった。
アイラが勝てると思う者など、誰一人いないはずだ。そう、俺以外には。
開始を告げる鐘が鳴った瞬間、舞台の空気が爆ぜた。
エリーナの放った光弾が、矢の雨のようにアイラへ襲いかかる。直線だけでなく、角度を変え、複雑に絡み合って押し寄せる。まさに閃光姫と呼ばれる所以だ。
俺の目には、その光が舞台を白一色に塗りつぶすように映った。
観客席からどよめきが起きる。
「すごい……もう終わるぞ」
「廃棄姫なんて相手になるわけがない」
その声は容赦なくアイラに向く。だが、舞台の上でアイラは逃げなかった。展開した防御魔法の膜が、次々と光弾を受け止めている。
エリーナの魔力は桁違いだ。一発一発の密度が高く、防御を削っていく。アイラの額には汗が浮かび、腕は震えていた。
観客はそれを「限界の兆候」として嗤った。
アイラの防御魔法が、攻撃を受け止める度に、手元アルカナプレートからディムが少しずつ削られていく。
ほんのわずかな量。最低限の魔力を使ってアイラは攻撃を防いでいる。
――そういうところはアイラらしい。だけど金の遠慮はいらない!
――俺は知っている。アイラは強い。どんな天才でも追いつけない速さと強さを持っている。
問題は、その一歩を踏み出せるかどうかだ。
「……っ」
気づけば俺は立ち上がっていた。観客席の列を押しのけ、人波をかき分けて最前列に飛び込む。自分でも制御できなかった。ただ黙って見ていることが許せなかった。
喉の奥から声が溢れる。
「やっちまえ――アイラーッ!!」
大観衆の喧騒を突き抜け、俺の叫びが舞台に届く。
その瞬間、アイラの肩がピクリと震えた。金色の瞳がこちらを捉える。
アイラの表情が、一変した。迷いを振り払い、強い光をその瞳に宿す。まるで「待っていた」と言わんばかりに。
「……はいっ!」
短い返事とともに、アイラの周囲に幾重もの魔法陣が展開する。
アルカナプレートが光る。残高が引かれているのだろう。だが、今はそんなことはどうでもいい。
魔法陣の光が花開くように重なり合い、空気が震える。観客が息を呑んだ。
次の瞬間、鋭い水流が弾丸のように放たれる。
高速で起動された水の魔法が、光弾を切り裂き、エリーナへ迫った。
エリーナの顔色が変わる。即座に防御魔法を展開するも、かすかな飛沫が頬を打った。観客席から大きなどよめきが上がる。
「今、通ったか!?」
「馬鹿な……廃棄姫が……」
俺は拳を握りしめる。そうだ、見せつけてやれ。
誰もが嘲った少女が、最強の魔法士であることを。
アイラは畳みかけた。
高速で魔法を次々に起動し、連射する。小柄な身体が弾けるように舞台を駆け、光と水が激突して爆ぜる。
「あれ、身体強化も使ってないか?」
「なんだ、あの動き」
観客はもはや嘲笑する余裕を失い、歓声と悲鳴、驚嘆が入り混じるざわめきへと変わった。
舞台を切り裂く水刃が、火槍と衝突して爆風を巻き起こす。俺の視界も水蒸気に覆われる。水蒸気の中、アイラの姿がちらりと見えた。強く前を向いている。その姿は、もうあの弱々しい少女ではなかった。
エリーナが初めて表情を歪める。妹を認めまいとする意地が透けて見える。だが現実は残酷だ。アイラの攻撃は、確かにエリーナの防御を削り取っていた。再び水刃が走り、エリーナの肩をかすめる。布が裂け、鮮やかな赤がにじむ。観客が息を呑んだ。
俺は胸の奥で叫ぶ。
――やれる。
エリーナは魔力を高め、さらに強力な火槍を解き放とうとした。だが、その直前――。
ドーン、ドーン、ドーン。
低く重い鐘の音が、会場に鳴り響いた。
……違う。これは模擬戦の合図ではない。
街全体に非常を告げる、防衛警報の鐘だった。
「緊急事態発生! 模擬戦を中止、魔法士は指定集合地点せよ!」
観客席が騒然となる。誰もが顔を見合わせ、出口へ殺到し始めた。
伝令の声が響き渡る。舞台の二人も動きを止めた。エリーナの瞳に怒りと焦燥が浮かぶ。
俺は柵を飛び越え、舞台へ駆け寄った。
「アイラ!」
「アルさん!」
荒い息を吐きながら、アイラが俺の方へ走ってくる。
「ああ、大丈夫か!」
俺はアイラの手を強く握った。その手は熱を帯び、まだ戦いの余韻で震えていた。
さらにフィリアとエルヴィナが合流する。フィリアは険しい表情を崩さない。
「アルヴィオ、ただ事ではありませんわ。あの鐘の音は……街の防衛警報ですわ」
さらに、レイラが現れた。背後には元気よく手を振るティナの姿。
「少年、厄介な事態だ!」
「お姉さんに任せなさい! バッチリ守ってあげるから!」
ティナは笑顔を浮かべていたが、その瞳には緊張が宿る。
すぐにリックも駆け込んでくる。
「アル、これは……嫌な予感しかしないぞ」
その時、レイラの部下が駆け込んできた。顔は青ざめ、声は震えていた。
「報告! 近隣のダンジョン『薄明の洞窟』から、大量の魔獣が発生との報です! 群れを成して、こちらに向かっています!」
観客の逃げ惑う声が遠くで響く。鐘の音はなおも街全体を震わせていた。
薄明の洞窟――つい先日、俺たちが訪れた場所だ。
その奥から溢れ出した魔獣の群れが、今この街に迫っている?
あそこには、大量の魔獣などいなかったはずだ。




