第45話 「魔法士ギルドからの通達」
~憲章暦997年3月24日(水の日)~
朝の光が差し込む。
アイラの家の台所には、香ばしいパンの焼ける匂いが漂っていた。
黒髪の少女――ヒカリが慣れない手つきでフライパンを振り、卵を焼いている。
ヒカリは、例の奴隷オークション以来、アイラの好意でこの屋敷に居候をしている。
もちろんアイラには、俺とヒカリの生活費と気持ちばかりの家賃を払っているが、毎回受け取ろうとしないので、渡すのには骨が折れる。
ヒカリは異世界――日本から来た転移者で、この世界の常識を知らない。それでも「家事なら役に立てる」と言って、毎朝の食事作りを手伝っていた。
「アイラさん、……これで……合ってるんです。ちょっと……焦げました」
たどたどしいアルカ語だが、確実に上達はしている。
「ううん、大丈夫。ちょっと焦げてるほうが香ばしくて好きって人もいるから」
アイラは柔らかく笑い、皿を並べていく。
俺はまだ眠気を引きずったまま、椅子に腰を掛けて湯気の立つカップを手にしていた。
「アルさん、少し熱いので気をつけてください」
アイラが、そっとスープ皿を差し出してきた。
俺は軽く頷き、スプーンを手にした――その時。
コン、コン、と扉を叩く音が響いた。
ヒカリが手を止める。
「……誰か…来ました」
「こんな朝早くに?」
そう言って、アイラは玄関に向かって駆けていった。
やがて戻ってきたアイラの手には、一通の封筒があった。深い青の封蝋に、魔法士ギルドの紋章が刻まれている。
「……魔法士ギルド、です」
金色の瞳が揺れている。
俺とヒカリの前で、アイラは封を切った。中から現れた羊皮紙には、鮮やかな刻印が光っていた。公的な通達文書である証だ。
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魔法士各位
リアディスの防衛戦力を測るため、リアディス魔法士ギルドに所属するすべての魔法士を対象に、公開査定試験を実施する。
実施日:憲章暦997年3月26日 風の日
指導役:エリーナ・ルミナス氏
場所 :レオリア王国軍北リアディス基地
なお拒否は認められず、不参加の場合は資格剥奪の処分とする。
以上
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読み上げるアイラの声は震えていた。
公開査定。公の場で実力を示す試験。そして、その指導役がエリーナ・ルミナス。アイラの姉だ。
アイラの指がかすかに震える。紙の端をぎゅっと握りしめるのが見えた。
「エリーナお姉様が……」
俺は何も言わなかった。アイラにとって、これは避けがたい運命だ。外から励ましや慰めの言葉を浴びせるより、アイラ自身の答えを待つべきだと思った。
ヒカリが困惑した顔で俺を見た。何かを言いかけていたが、アイラの肩が小刻みに震えているのを見て、不安げに口をつぐんだ。
長い沈黙ののち、アイラは小さく息を吸った。
「……わたし、参加します」
俺とヒカリの視線が同時にアイラに向く。
「逃げたら、全部失います。アルさんとの契約も、取引所での立場も……そして、自分自身も。だから……もう逃げません」
その言葉には、決意があった。
朝食を終えた俺たちは、それぞれの支度を整えた。俺とアイラはセレスティア商会へ向かう。ヒカリは屋敷に残り、掃除と洗濯、アルカ語の勉強をするつもりらしい。
リアディスの街はいつもよりざわめいていた。魔法士の公開査定が行われるという噂は、もう市民の間に広まっているらしい。行き交う人々の話題は、公開査定と閃光姫エリーナのことばかりだ。
セレスティア商会に入る。
「おはようございます、アルヴィオ、アイラ」
フィリアが執務机から顔を上げた。金髪が光を受けてきらめく。
「おはようございます、フィリア様」
アイラが恭しく頭を下げる。
フィリアの机の上にも、同じ紋章の封書が置かれていた。
「フィリア、それは査定か?」
「……あなたたちのところにも届いたのね」
フィリアはため息をつく。
「わたくしもフィナ・セレスティアとして魔王士ギルドに登録している以上、例外ではないですわ」
「フィリア様も……」
アイラが驚きに目を見開く。
「それに、エリーナさんが直々に監督するなんて、ただの査定で終わるはずがありませんわ。きっと別の意図があると思いますの」
「お姉様は、何を考えているのでしょうか?」
「わかりませんわ。でも、気負うことはありませんわ」
「そうですね」
俺は何も言わず、二人のやり取りを見守りながら思考を巡らせる。
公開査定。観衆の前で、魔法士としての存在を問われる試練。
情勢を考えると、魔法士ギルドの建前は理解できる。だが、閃光姫――エリーナ・ルミナスがリアディスに配置された意図がいまだに掴めていない。
そんな舞台に、アイラとフィリア、エルヴィナも挑むことになる。フィリアやエルヴィナに不安はないだろう。けれど、アイラに関しては……違う重圧があるはずだ。
俺にできるのは、ただ傍にいて見届けることだけだ。
エリーナが、妹にどんな答えを求めているのかはわからない。けれど――
見せてやるよ。閃光姫。
――俺が傍にいる意味を。
――今のアイラが、あんたが知っているアイラじゃないってことを。
不安に揺れる金色の瞳を横目に、俺は静かにそう決意を固めた。