Intermission 7 「王国の英雄」
レオリア王国南部、ルドマン山脈。サヴェナリア国との国境にほど近い峡谷は、風が吹き抜けていた。
岩肌は鋭く、木々はねじれ、どこか荒涼とした雰囲気を漂わせている。人里離れたこの地は、獣人や人間のならず者たちが根城とするにはうってつけの土地だった。
その岩間に、整然とした列をなして進む軍勢の姿があった。王国軍旗を掲げ、山道を重厚な鎧をまとった兵たちが行進する。その先頭に立つのは、一際目を引く若き女性であった。
ブラウンの髪は波打ち、肩口で揺れるたびに存在感を放つ。紅の瞳は冷ややかに、しかし確固たる意志を宿して山道を睨む。軍服に身を包み、腰には剣と王国軍式の小さな魔導杖。その姿はまさに、将としての風格を備えていた。
彼女の名は――エリーナ・ルミナス。
王国でも屈指の魔法士の名門、ルミナス家の次女にして、炎を自在に操る将軍。「閃光姫」と呼ばれるその異名は、エリーナが放つ一撃の魔法が戦場を一瞬にして紅蓮の光に染め上げることに由来する。
「エリーナ様、間もなく山賊の根城に着きます」
その隣で馬を操りながら声をかけたのは、副官のガルド・ヴァレンだった。四十代半ば、無精髭を生やした渋い顔立ち。鎧は古びていたが、剣の柄は使い込まれ、ガルドの戦場経験の豊富さを物語っている。兵たちからは「苦労人のガルド副官」と親しみを込めて呼ばれ、若き姫将軍を陰から支える存在だ。
「山賊ども、また愚かにも村を襲ったそうだな」
エリーナは短く呟く。
「はい。被害にあったのはラルトロン大公領の農村です。人々をさらい、物資を奪い……このあたりで一番凶悪な一派かと」
ガルドは低く答える。その目には憤りよりも疲労がにじんでいた。何十年もこうした討伐に付き合ってきた男らしい、現実を知る者の目だ。
だが、エリーナの目は揺るがなかった。
「……ならば、この地に二度と人の道を踏み外す者が出ぬように、火を灯すまでだ」
その言葉に、兵たちの背筋が震えた。将の声は冷徹でありながらも、不思議と人々の心を奮い立たせる。
閃光のエリーナ。その指揮の下なら、どんな強敵も恐れるに足らぬと、兵たちは信じて疑わなかった。
峡谷を抜けた先、開けた岩場に築かれた粗末な砦が姿を現した。
見張り台に立つ山賊たちは、王国軍の旗を目にして狼狽した。粗野な叫びが飛び交い、慌てて武器を構える。
「陣を組め!」
エリーナの号令が響く。兵たちは即座に行動し、盾を前に突き出して防御陣を敷いた。その整然たる動きは、訓練の賜物であり、エリーナの統率力の証でもあった。
やがて山賊の矢が雨のように降り注ぐ。
だが、兵たちは怯まなかった。「プロテクション!」の唱和とともに部隊の魔法士たちの防御魔法が展開され、矢は光の障壁に弾かれて無力化された。
ガルドが苦笑を浮かべながら呟く。
「矢でどうにかなると思ってるあたり、連中の浅はかさがよくわかりますな」
「人を脅かすだけの者など、その程度よ」
エリーナは冷ややかに答える。そして、一歩、前へ出た。
紅の瞳が煌めく。
「炎よ穿て、インフェルノ・ランス!」
赤く輝く魔法陣から烈火の魔力を解き放つ。
空気が震え、周囲の兵たちの髪が逆立つほどの熱が生じる。
次の瞬間――
轟音とともに、巨大な火炎の槍が放たれる。爆ぜる炎が周囲を包み込む。岩肌が赤熱し、山賊たちの悲鳴が掻き消されるほどの爆音が谷に響き渡った。一瞬にして砦の半分が崩れ落ち、残された山賊は武器を投げ捨て、逃げ惑う。その姿は、まるで灼熱の太陽に焼かれる小虫のようであった。
兵たちは目を見開き、己が将の力に圧倒されながらも歓声をあげた。
だが、エリーナの表情は微動だにしなかった。紅の瞳は依然として冷たい。その中にあったのは勝利の快感ではなく、ただ「人々を守るための必然」としての静かな決意であった。
戦闘は程なくして終わった。残った山賊はわずか数十名。剣を捨て、地にひれ伏して命乞いをしていた。兵たちが処断の構えを取ろうとしたとき、エリーナが制した。
「待て。――罪を償わせよ。無辜の人々を脅かした罪は重い。だが、命を奪うだけでは何も残らぬ」
兵たちが戸惑う中、ガルドが進み出た。
「エリーナ様のお言葉、承った。捕虜として縛り上げ、後方へ送ります。奴らにも労役で償わせましょう」
ガルドの声は兵たちを落ち着かた。さらに、エリーナは負傷した山賊の一人に歩み寄った。 傷を負い苦しむその男に膝をつき、淡い光を宿した掌をかざす。
「治療魔法……エリーナ様、自ら……?」
兵士の一人が驚きに息を呑んだ。
エリーナの表情は淡々としていた。
「生きる機会すら奪うのは、神のすること。――人の道を踏み外したなら、人の世で償わせればよい。それがどれだけつらい事か、その身をもって知るがいい」
その言葉に、兵たちは深く頭を垂れた。閃光姫の冷徹と慈悲。その両面を知るからこそ、兵たちはこの将に心から従うのであった。
夕刻、戦後処理を終えた軍勢が山道を引き返していく。血と煙の匂いが薄れ、生暖かい風が再び吹き込んだ頃、副官ガルドに早馬が届いた。
「エリーナ様。伝令が届いております」
ガルドは一通の密書を差し出す。封蝋には王都エルドレインの紋章が押されていた。
エリーナは眉をひそめ、それを開いた。数行の文を読み進めるうちに、紅の瞳にわずかな疑念の色が差す。
「……王都への帰還命令、だと? この時期に?」
声には明らかな不審がにじんでいた。
ガルドは静かに頷いた。
「南部の治安維持は一段落。されど、王都直轄の命令とあれば従わねばなりません。……裏があるのかもしれませぬが」
エリーナはしばし沈黙し、冷たい風に髪をなびかせながら峡谷を見渡した。やがて低く呟く。
「王都が呼ぶ……ただの帰還ではなさそうだな」
エリーナの紅の瞳が天を仰いだ。




