Intermission 6 「帝国の英雄」
アズーリア帝国の首都アズラフィア。
大理石を幾重にも積み上げた宮殿は、太陽に照らされて黄金のような輝きを放っていた。街の中央にそびえるその姿は、帝国の威信そのものだった。しかし、その内部では、誰も予想だにしていない事態が動き出していた。
夕刻。玉座に通じる大広間の扉が、唐突に破られた。目を血走らせた兵士たちがなだれ込み、叫び声と金属のぶつかる音が響き渡る。
「謀反だ!!守れ、陛下をお守りせよ!!」
衛兵たちの叫びはむなしく、組織的に動くクーデター勢力の兵士たちの前に次々と倒れて行った。
陣頭指揮をとる青年の顔は、無表情だった。ルキウス・アズーリア、第二皇子である。ルキウスは、剣を振るうことなく歩みを進め、ただ冷徹にクーデターを指揮した。
「父上と兄上を討て」
冷徹で短い命令が下される。
皇帝、ガルディス・アズーリアは、玉座で兵の侵入を見つめていた。
彼には、もはや反撃の手段はない。
「……ルキウス、お前か」
父の問いかけに、ルキウスの声は冷たい。
「帝国は変わらねばならない。あなたと兄上では、なにも変わらない。変えられない! 」
「そうか。だが、お前の信ずるものはまやかしかもしれんぞ」
「何をいう」
次の瞬間、玉座は赤く染まった。
第一皇子、ユリウス・アズーリアもまた、抗う間もなく捕らえられ、短い悲鳴と共にその生涯を終えた。
宮殿の奥では、皇后アルマリア、第一王女エミリアが足音に怯えていた。扉を蹴破って現れた兵たちは、彼女らに剣を向けた。だが、命は奪わなかった。
「陛下のご命令により、アルマリア様とエミリア様にはしばし宮殿内にてお過ごしいただきます」
アルマリア、エミリア両名は、そのまま宮殿の奥に閉じ込められ、外との連絡を絶たれた。
ただ、後宮に居たはずの第二王女ティタニア・アズーリアの姿はどこにも無かった。混乱のさなかに姿を消し、行方不明。帝国の誰もが、その消息を知らないままだった。
クーデターの翌日、宮殿前の広場には黒い旗が掲げられた。
「ルキウス・アズーリア陛下、ここに新たなる皇帝の誕生を宣言する」
堂々と読み上げる声に、群衆はざわめき、やがて大きな歓声が起こった。『ルキウスが、腐敗を一掃するため、苦渋の決断で父と兄を討った』というストーリーに民衆は喝采を送ったのだ。
即位後、すぐにルキウスは国内の改革に着手した。腐敗した貴族の財産を没収し、民に還元する政策を矢継ぎ早に発表する。帝都では、すべての家庭に食料が配られた。飢えたものたちは、涙ながらにそれを受け取った。
人々は叫ぶ。
「ルキウス皇帝万歳! 」と
「真の英雄だ! 」と
だが、その裏では冷酷な粛清が進んでいた。
表向き腐敗貴族とされた者たちは、広場に引き出され公開処刑となった。処刑台に立たされたのは、確かに悪名高い者たちばかりだ。収賄を繰り返した侯爵、民から搾取した伯爵、横領をした男爵などの小貴族。誰もが当然の報いだと思っていた。だが実際は、ルキウスにとって脅威となる存在、反逆の芽を摘むための選別が行われたに過ぎなかった。
ある貴族は、処刑台でこう叫んだ。
「民衆よ、欺かれるな! 真の苦難が始まるぞ! 」
しかし、その声は処刑台の上では意味を持たなかった。
数日が経ったある夜、新皇帝ルキウスは、執務室でただ一人地図を広げていた。考え込むルキウスの耳に、重厚な扉を叩く音が届く。
「……入れ」
低く響く声に従い、扉がゆっくりと開く。黒衣に身を包んだ初老の男が、静かに歩み出る。
「夜分に失礼いたします、陛下」
頭を垂れたその男は、アズーリア帝国新宮内卿、ヴァルタール・ノクスであった。
ルキウスの眉がわずかに動いた。
「ヴァルタール、貴様か」
ヴァルタールは、恭しくも冷ややかな口調で賛辞を述べる。
「見事な采配でしたな、陛下。民は熱狂し、帝国は再び血を得た」
ルキウスは、賛辞に顔をしかめた。
「……貴様らの助言に従ったまでだ。だが、私は貴様らの犬になった覚えはない」
「我らは道を示したにすぎません」
ヴァルタールは、「ただ」と言って言葉を続ける。
「英雄を英雄として維持するには、新たな薪をくべねばいけません」
「何が言いたい?」
「民の不満を逸らし、熱狂を作る方法……。陛下も知らないわけはないでしょう?」
「貴様っ! 私に戦をしろと言うのか!? 」
「いえ、そこまでは申しませんが、それも一つの方法論でございます」
「貴様らの狙いはなんだ。戦乱で利益を貪るつもりか」
「そんなこと、滅相もございません。私どもは陛下の統治が望ましいと考えているだけにございます」
「よくそのようなことが言えるな! 」
「陛下と私どもは運命共同体でございます。全力を挙げて陛下をお支えする所存でございます」
「世迷言を……」
「それでは陛下、お体にはご自愛ください」
ヴァルタールは、薄く笑い静かに部屋を後にした。
残されたルキウスは、広げられた地図を睨みつけた。赤い線で引かれた国境。ヴェール山脈の向こう、レオリア王国。その右側、アルカ海に浮かぶ島――ティラナ島がレオリア王国と同じ色で塗られている。
ルキウスの指が、島をなぞる。
「やはり、ここか」
その夜、静かな執務室には地図を打つ音だけが響いていた。




