魔導トレード編 エピローグ
セレスティア商会の窓からは、取引所の尖塔が小さく見える。
リアディス中心部の喧噪からほんの少しだけ離れたこの場所が、今の俺の仕事場だ。
今日の取引を終えて取引所から帰ってきた俺は、マグカップを片手に今日の相場を反芻する。セレスティア商会の取引担当として、相場に張り付き、日々の売買を行っている。
やっていることは以前と大差ない。
違うのは、俺たちの後ろに、セレスティア商会という看板を背負っていることくらいだ。
商会の会頭、フィナ・セレスティアことフィリアもたまに取引所に顔を見せる。もっとも、相場に関してはからっきしで、最近も妙な銘柄を高値掴みしていた。俺の助言も聞かずにだ。
「アルヴィオ、この銘柄は上がると思わない?」
「どうして、そう思うんだ?」
「直感がそう言っているのよ」
その直感が曲者なんだが、口には出さない。そのうち何とかしよう。
フィリアは、引き続き魔法適正を持つ奴隷を買い取って保護するという目的で、たびたび奴隷オークションに参加している。
今日は、また奴隷オークションの日だ。
夕方、俺とアイラ、それにフィリアの三人で、南区に赴き、あの異様な会場を再訪していた。
今回の目的は、事前に調査していた男を落札すること。魔法適正があり、教育次第で戦闘魔法士として期待できる若者だ。俺の目から見ても、将来性は悪くない。
「開始価格、10万ディム。いかがかな」
競りが始まり、俺たちは計画通りに入札。フィリアが手を上げ、あっさりと落札が決まった。
「ふふ、順調ですわね」
フィリアが満足げに笑う。
その時だった。司会役のオークショニアが、やや困ったような声を上げた。
「続いては……ええと、出品番号72番。黒髪の少女、アルカ共通語を話さず、素性不明のため、開始価格は最低ラインの1万ディムからといたします」
ざわめきが起きた。
現れたのは、黒髪の少女だった。
薄汚れた白い服を身にまとい、表情は怯えで固まっている。
何より目を引いたのは、その髪の色と瞳の色だ。
黒に近いダークブラウンの髪、焦点の定まらない黒目。
会場の反応は冷ややかだった。
――言葉が通じない。
――魔力の検査もできない。
――買っても使い物にならない。
そういう空気が蔓延していた。
誰も札を入れようとしない。
そんな中だった。
ふいに、少女が口を開いた。
「……だれか…たすけて……ください……」
その声を聞いた瞬間、俺の背筋に電流が走った。
日本語――。
間違いなく、俺の前世の言葉だった。まわりの誰も、気づいていない。意味を理解していない。でも、俺だけには確かに聞こえた。
彼女は、異邦人だ。俺と同じく、異世界から来た存在だ。
俺は、迷わず手を挙げた。
「――落札する。1万ディムで」
ざわつく会場。
その声は、妙に静かに会場に響いた。
誰もが俺を振り返る。フィリアが目を丸くして俺を見る。アイラも不安そうに俺の袖を掴んだ。
「アルさん……?」
オークショニアが驚いたように応じた。
「1万ディム、他におられませんか? ……はい、落札」
少女はすぐに裏へと連れて行かれた。
俺は席を立ち、すぐに引き取り手続きに向かう。
「アルヴィオ、あなた……?」
フィリアもまた、困惑した表情を浮かべている。
「あとで説明する。今は……あの子と話させてくれ」
やがて、手続きが済み、少女が俺の前に姿を現した。
近くで見ると、彼女は小柄で、年齢は十代後半といったところか。
怯えた目で俺たちを見つめている。
ゆっくりと、俺は声をかけた。
「大丈夫だ。君を助けたくて、ここに来た」
少女の目がわずかに揺れた。
「……にほんご、はなせるの……??」
その言葉に、俺は頷いた。
「俺も、もともとそっちの人間だからな」
少女は目を見開き、そして、何かが決壊したようにぽろぽろと涙を流し始めた。
「よかった……ほんとうに……よかった……」
俺は、少女の目をまっすぐに見つめ、日本語で話を続ける。
「名前を聞いてもいいか?」
少女は、震える声で答えた。
「かがみ……ひかり……です」
俺は少女を見つめながら、思った。
この出会いが、俺たちに何をもたらすのかまだわからない。
でも、この世界で生きる意味――。
それは、きっと、こういう瞬間の積み重ねの中にあるのだと。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
第一部にあたる「魔導トレード編」はこれで完結となります。
小説の執筆自体が初めてのことで手探りでしたが、少しでも楽しんでいただけていたら幸いです。
よかったら下の☆☆☆☆☆から評価をいただけるとめちゃくちゃ励みになります。
次回以降は「ティラナ戦役編」が始まります。
引き続きお楽しみください。




