Intermission 5 「公爵家メイドの憂鬱」
リアディス南区の路地裏。
先ほどまで対峙していた黒髪の青年と、その横に立つ少女――アルヴィオとアイラシアを見送る。足音が遠ざかっていくのを確認し、公爵令嬢の護衛であるエルヴィナはようやく息を吐いた。
「肝を冷やしました」
普段のエルヴィナなら決して口にしない言葉だった。冷静沈着こそエルヴィナの評価であり、その冷徹さがアリスタル公爵家の護衛として役目を支えてきた。しかし、先ほどの状況は、エルヴィナに不覚の動揺を与えていた。
「やはり、あなたも気づいていたのね」
紫色の瞳が、夜の灯に揺れて輝く。主人――フィリア・アリスタルの貴族令嬢らしい落ち着きに、エルヴィナは感心すら覚える。
「はい、あの少女――アイラシア・ルミナス」
確かに彼女の魔力量は乏しく見えた。むしろほぼ感じることができなかったと言った方が差し支えないだろう。
だが――
「得体の知れないものを纏っている感覚がありました」
エルヴィナの低い声に、フィリアは小さく頷き「そうね」といって口を開く。
「それに…わたくし、以前にアイラシアさんを宮中の大晩餐会で見かけたことがあるの。ルミナス家の皆様といらしてたかしら。でも、あの時は、特別な印象はなかったわ」
フィリアは、言葉を切り視線を遠くに投げ言葉を続けた。
「ですが、先ほどの彼女は……そう、まるで別人のよう。面白いですわね」
口元を緩めるフィリアを見て、エルヴィナは思わず夜空を仰いだ。遠くから運河を渡る船の汽笛が微かに聞こえてくる。もしあの少女が怒りに任せて魔法を放っていたら――自分もフィリアでさえも、無事では済まなかっただろう。
「先の状況、あのまま戦闘になっていれば我々は恐らく…」
護衛としての矜持がこの先の言葉を躊躇させる。
「負けていた。エルヴィナそうでしょう?」
「……はい」
フィリアの問いに、エルヴィナは重く頷く。だが、主人であるフィリアの瞳には興味の光が揺れ、どこか楽しそうにさえ見える。
「彼、アルヴィオと出会って、アイラシアさんに何があったのでしょうね」
「それは、私も知りたいところではあります」
エルヴィナそう答えながらも、胸のざわめきは収まらない。魔法の使えないただの人間であるアルヴィオ。あの男の存在が触媒になり、アイラシアの潜在する力を呼び覚ましているようだった。
その上――彼らはこれからセレスティア商会でともに働くことになる。得体の知れないなにかと日常を共にする。そのストレスを想像してエルヴィナは思わず唇を噛む。
「フィリア様、やはりあの男を雇うのはやめにしませんか?」
「いやですわ。二人が、どのように動くのか。見守るだけでも退屈しないでしょう」
フィリアそう答えて、軽やかに前を向いた。その背中を見ながら、エルヴィナはますます苦労を負わされる未来を予感する。
――少なくとも、今夜は無事に終わった。それだけで十分だ。
エルヴィナは、そう自分に言い聞かせてフィリアと共に帰路に就くのだった。




