第39話 「再会」
翌朝、俺とアイラはリアディスの街路を歩いていた。
リーリアの引き渡しと今後の話をするために、セレスティア商会へ向かっている最中だ。
「……アルさん、本当に大丈夫でしょうか?」
アイラが心配そうに俺の横顔をうかがった。
「なにか心配事か?」
「これから向かうセレスティア商会……フィリア様はアリスタル家の令嬢です。レオリア王国で王家に次ぐ貴族で、北東の国境地帯を治める大貴族です」
少し驚きはしたが、すぐに俺は首を横に振った。
「……そんな立場だったとはな。まあ、フィリアはフィリアだ」
「それに、俺たちがこれから会うのはアリスタル家の令嬢じゃなく、セレスティア商会のフィナ・セレスティアだ。一介の商人として接するだけだろう」
アイラは少し驚いた表情を浮かべた。
「はい……それもそうですね」
「気負わず行こう」
俺は、緊張しているアイラを横目に苦笑しながら歩を進めた。
やがて目の前に、木造と白い漆喰壁の落ち着いた佇まいの建物が現れた。
華美な装飾はなく、実直な商会らしい質素さと整然さが感じられる造りだった。
「……ここが、セレスティア商会」
アイラがそっと呟いた。俺たちは深呼吸をしてから門をくぐった。
ほのかに木の香りが漂う建物の中は、木目と白壁を基調とした落ち着いた空間だ。
案内された応接室は、魔法障壁によって人払いと防音をしているという。
重厚なドアを開けると、フィリアが静かに待っていた。
「お待ちしていましたわ、アルヴィオ、アイラ」
フィリアの背後、カーテン越しにやわらかな光が差し込む。その金色の髪が輝いて見える。
「そちらに、お座りになって」
フィリアに促されて、ソファの端に腰掛ける。
俺の視線が扉の方に向いているを見て、フィリアがくすりと微笑んだ。
「ふふ……そんなに待ちきれないのね。安心して、すぐに会わせてあげるわ」
フィリアが、軽くベルを鳴らすと、隣室につながる扉が静かに開かれた。
「アル兄……!」
リーリアは目に涙をため、俺に向かって駆け寄った。
「アル兄……! 本当に、アル兄なの……?」
震える声に応えるように、俺はその小さな体をしっかりと抱きしめた。
「……俺だ。迎えに来た。もう大丈夫だ」
「よく頑張ったな、リーリア……」
俺の腕の中でリーリアは堰を切ったように泣き出した。
「怖かった……っ。暗い檻の中でずっと、ずっと……でも、アル兄なら絶対に助けてくれるって……信じてた……!」
その言葉に胸が締めつけられた。アイラはそっとリーリアの背中に手を添え、温かく見守っていた。
リーリアは震える声で「アル兄、アル兄」と何度も呟いた。
ひとしきり泣いたリーリアは、ようやく嗚咽を収めると、俺の腕の中からゆっくりと顔を上げた。
そして傍らでそっと手を添えていたアイラに気づき、きょとんとした表情を浮かべた。
「……アル兄、この人……?」
リーリアが不安そうに俺に問いかける。
俺は小さく笑い、優しく頷いた。
「アイラだ。俺の取引パートナーで、大切な仲間だ。アイラがいなければ俺はここまで来れなった」
アイラは少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに穏やかに微笑んだ。
「アイラシア・ルミナスです。アルさんと一緒に……ずっとリーリアさんを助けるために動いてきました。無事でよかった……」
アイラは、リーリアに向けて差し伸べる。
「えっと…リーリアさん、お友達になってくれますか」
リーリアは戸惑いながらもアイラの手をぎこちなく取った。
「…はい…よろしくお願いします」
そのやり取りを静かに見守っていたフィリアが、柔らかく手を叩いた。
「ひとまず、無事に再会できたことを祝して……と言いたいところですが、一つ提案がありますの」
フィリアの紫の瞳が俺とアイラ、そしてリーリアを順に見る。リーリアがぴたりと緊張したように身を固くした。
「安心して。わたくしからリーリアに無理強いはいたしません。ですが、あなたには選択肢を与えたいのです」
フィリアはテーブルに置いていた薄い封筒を指先で軽く叩く。
「リーリア。あなたには魔法適性がありますわ。もちろん今は、生活魔法レベルではあるけれど、訓練次第ではより高度な魔法にも手が届くという確信がありますの」
リーリアが驚いて俺の顔を見る。俺はリーリアの肩に手を置き、軽く頷いた。
「だからわたくし、あなたに王都エルドレインの王立魔法学校への進学を推薦したいと考えております。もちろん、強制はいたしませんわ。あなた自身の意思を尊重いたします」
リーリアは呆然としたように目を丸くし、震える声で問い返した。
「私が……魔法学校に……?」
「そうですわ。あなたが望むなら、推薦状も手配するわ。セレスティア商会の私的支援として。ですが、これはあくまで提案。受け入れるかどうかは、あなた次第ですわ」
俺はリーリアに視線を向けた。
「……リーリア、決めるのはお前だ。俺はどんな道を選んでも応援する」
リーリアは何度も目を瞬かせ、視線をさまよわせた。やがてフィリアの顔、アイラの顔、俺の顔を順に見る。
「……少しだけ、考えさせてください」
フィリアは満足げに微笑んだ。
「ええ。急ぐ必要はありませんわ。じっくり考えて、自分の未来を選びなさい」
フィリアは姿勢を正すと、俺に向き直る。その瞳は柔らかい光を湛えながらも、どこか達観した鋭さがあった。
「ところでアルヴィオ……。あなたは、奴隷オークションについて、どう思っているのかしら?」
思わず言葉に詰まった。リーリアが身を震わせ、アイラも眉をひそめたまま沈黙している。俺は少しだけ深く息を吸い、ゆっくりと口を開いた。
「……俺はあの場に立ち会って、自分の無力さを痛感した。冷酷だった。あんな仕組みが許される社会は、到底納得できない」
フィリアはじっと俺の目を見つめた。その視線には、貴族令嬢としての冷徹な観察眼と、一人の人間としての良心のせめぎ合いが見て取れた。
「ええ…わたくしも同じよ。あんな非道な制度は本当なら消えてほしいと願っているわ。だけど……どのようにそれを成し遂げればいいのか、正直わたくしにもわからないの」
意外な言葉に俺は息をのんだ。
「時々思うことがありますわ。いっそアリスタル家の名と影響力を使って、公然と奴隷制度に反旗を翻したほうがいいのではないかと。強硬な姿勢で王都や議会に働きかけ、正面から廃止を訴えるべきではないかと……」
その言葉を聞き、俺は即座に首を横に振った。
「……それは得策じゃない」
フィリアはわずかに驚いたように眉を上げた。
俺は静かに言葉を続けた。
「フィリアがそんな行動に出れば、必ず強硬派や既得権益層が全力で潰しにかかる。アリスタル家もセレスティア商会も無事では済まないはずだ。結果としてフィリア自身も動けなくなる」
フィリアは黙って聞いていたが、やがて深く息を吐いた。
「……お父様と同じことを仰るのね。それが現実ということかしら。今は被害を最小限に抑えるため買い手としてあの場に関わることしかできない。危険な者の手に渡る前に、可能な限り救い出す。それがわたくしのできる最善手ですわ」
「……危険な者の手?」
「ええ。特に魔力適性ありの子たちは、貴族や闇組織の私兵、あるいは違法な人体実験に使われることもあると聞いております」
俺は言葉を失った。確かにあの会場で感じた違和感……得体の知れない緊張感は、そうした思惑の入り混じったものだったのかもしれない。
やはり、いずれあの場所はなくさないといけない。
「アルヴィオ、あなたはできると思いますか?あの場所をなくすことを」
その瞳には、静かな期待が混じっているように見えた。俺は静かに頷き、言葉を続けた。
「できるさ……経済の力はこの世界の理不尽そのものを変える」
フィリアは驚いたように目を瞬かせ、次の瞬間には満足げに微笑んだ。
「ふふ……あなたなら、もしかしたら、と。期待していますわ、アルヴィオ」
窓の外から差し込む光が、フィリアの金髪をふわりと照らす。その姿は、どこか満足気だった。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
【資産合計】1,013,022ディム
【負債合計】0ディム
【純資産】1,013,022ディム
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆




